187 皇太子のお相手は
「ふう……ドワーフに酒を飲ませる時は覚悟しないと危ないな」
「知らなかったのかい?教えたと思っていたよ」
「閣下、冷たい水です」
風に乗って聞こえてくる宴会の音
どうやら朝まで飲むようである
俺達は一足先に執務室……元謁見の間へと戻っていたのだが、目の前には憂鬱になりそうなモノが鎮座している
「ああ。アルバート、うまい水だな」
「おや、私にもですか?アルバート卿」
「……周りの目がないのです。アルバートで結構です、師匠」
駄犬が用意した冷たい水を飲み、意識がサッパリしていくにつれてそのモノの存在感は増していく
「さて……いつまでも現実逃避していても終わりませんよ」
「仕方ないでしょう、師匠。これをどうにかしないといけないのは分かっていますが……」
「閣下、これは本でしょうか?」
俺達が見つめるその先あるモノ
それはターセルが物凄く嫌そうな顔で持っているモノである
「ゼスト閣下、例の皇太子殿下が孕ませた女性達の実家からの親書です」
ガタガタ言う前に早く読め
そんなオーラが漂うターセルは、俺達が部屋に戻ってきた時と同じセリフを呟くのだった
「嫌だ!!こんなに分厚い親書いっぱいに嫌味が書いてあるに違いないだろうが!」
「諦めなさい。私も一冊手伝いますから」
「残念です。私にもお手伝い出来ればよかったのですが……手伝わない事がむしろ手伝いかと思われます!」
アルバートのクセによく分かっているじゃないか……こいつには文官としての能力は期待していないから仕方ない
それにしても、まだ幼い娘が帝国の皇太子にやられてしまったのだ
絶対に親族はお怒りであろう
直接的にはキレられないだろうから、このような遠回しな方法で怒りを表しているのだろう
ターセルが持っている親書という名の本三冊
一冊が俺の親指程の厚さのそれを、俺と師匠はゆっくりと受け取る
椅子に座って封を切ると、同じセリフを口にするのだった
「「アルバート、強い酒を頼む」」
「はっ!!」
飲まなきゃやってられない
酔っているのか、嫌で身体が拒否しているのかわからない震えが襲う指で広げていく
そして本文が見えた時、俺と師匠は揃って動きを止めてしまう
「「……血文字……だと?」」
おどろおどろしい筆跡は赤黒く、余計に不気味さを強調している
この厚さの内容を全て血で書く程の怒りなのか
カラカラになった喉を駄犬が用意した酒で潤すが、全然足りない
「「アルバート!もっとじゃんじゃん持ってこい!!」」
「はっ!!!」
酒に弱い筈の師匠ですら酔えない状況の中、おっさんだけの読書会は続く
素直に罵倒されるならまだマシである
血文字で怒りに震えるような筆跡で『実にありがたい事です』とお礼が書いてあるのだ
これを『ああ、喜んでいるんだな』と思う馬鹿は居ないだろう
「し、師匠!怖いです!私は限界が近いです!」
「しっかりしなさいゼスト!私も吐きそうなのを我慢しているのです!」
「酒の追加であります!!」
遠回しな嫌味もここまでくれば直接言われているようなものである
メンタルに多大な被害を受けながらも読書は続く
そして、天井の無い部屋が明るくなってきた頃に、最後の一枚となった
そこに書かれていた一文で、俺と師匠は大混乱に陥る事になる
『我が家の長老をこれからもよろしくお願いいたします』
「……は?」
「……長老?」
皇太子に孕ませられた幼子の話から何故長老が出てくるのか
これは貴族特有の言い回しなのか?
しかしそれならば師匠には理解出来るだろう
なのに俺と同じようにキョトンとした顔で手紙を見る師匠が隣に居るのだ
「ゼスト閣下、あのお三方のご実家より口頭で伝言があります」
「……言ってみろ」
酒で焼けたガラガラ声でターセルに返事をする
師匠も疲れた顔でそのやり取りをじっと見つめているようだ
「100歳を超える大年増をもらっていただいて感謝の言葉もない。我が一族は帝国にどのようなお礼も厭わないと」
「100歳?」
「大年増?」
全くターセルが言った伝言が理解出来ない俺達に、やさしく言い含めるように彼が続ける
「どうやらあの三人は、外見はああですが『行かず後家三人衆』として有名な老人達だったようです。幼い容姿の為、獣人族には貰い手が居なかったようで……ドワーフ族との混血だそうです」
「……それさぁ……」
「早く……言って欲しかった……」
俺と師匠はそこで緊張の糸が切れてしまったようで、そのまま意識を失った
行かず後家三人衆という言霊が意識を刈り取ったのだ
どうか、カチュアが大年増という言葉に反応しませんように
無駄だとは思いつつ、薄れゆく意識の中でそう願うのだった
「お酒臭いのじゃ」
「良いご身分じゃのう、婿殿」
俺と師匠が気持ち良く意識を刈り取られて数時間が経過していたらしく、天井の無い部屋には日の光がガンガンと降り注ぐ
そして目の前にはこめかみをピクピクさせている辺境伯とカチュアが仁王立ちしていた
「おはようございます。いろいろと言いたい事があるでしょうが、まずはこれを見てください。カチュアも見ていいぞ」
「ふぉ?……これはこれは……」
「なっ!?100歳で大年増じゃと!!わらわにケンカを売っておるのか!!??」
違う
カチュア、驚く所はそこだけど方向が違う
突っ込むのも危険なので、手紙を持ってブルブル震えるのじゃロリババアは無視して話を進める
「これなら『妊娠出来るのか不安があったので先に……』とゴリ押してもいいですよね?」
「そうじゃのう。実際に高齢だから問題は無いじゃろう。妊娠出来て子を産めるというのは貴族にとって重要な事じゃからな」
「では、この事を帝都に伝えておきます。彼女達の実家からの手紙も一緒に送っておきますよ」
「なるほど、これを読んで安心して落ちたか……婿殿は気苦労が絶えぬのう」
サボっていたのではなく、仕方のない事だと納得してくれた辺境伯
隣で顔を真っ赤にしているカチュアはなるべく視界に入らないようにする
手早く皇帝陛下へ手紙を書いて竜騎士部隊に任せた
この程度ならアルバートが行く必要はないだろう
「後は時期を見て帝都に彼女達本人を連れて行きましょう。ここよりは安全ですしね」
「そうじゃな。それがいいじゃろう……ところでソニアはどうした?」
「昨夜、あの手紙を読むのに酒を飲みまして……大分強い酒でしたからまだ……」
「やれやれ、酒には弱いのも直らぬのう」
「ゼスト閣下、師匠が細かく痙攣しておりますがいかがいたしますか!?」
「動いているなら生きている。そのままにしておけ」
「はっ!」
机に突っ伏した師匠は血の気の無い真っ白な顔で、小さく『大きな声を出すな』とか言っていたが無視する
俺だって特訓の最中は地獄を見せられたから、少しくらいはいいだろう
「酒のせいでこうなっていますから治療魔法では治せませんし、仕方ないですね。辺境伯、早速ですが事務仕事を手伝ってください」
「そうじゃな。酒は魔法ではどうにもならぬからな。どれ、この書類は任せておけ」
俺ならそれも治療出来るがあえてやらない
たまには師匠も地獄を見た方がいいだろう
それに辺境伯が居るから事務関係も安心だしな
テキパキと書類を処理していく顔面凶器の爺さんに感謝しながら俺も仕事をする
「ゼスト閣下、私はいかがいたしますか?」
「パパ上、100歳はまだ若いのじゃ!」
「アルバートには事務能力を求めていないから、師匠が動かなくなったら教えろ。カチュア、エルフ基準ならそうだろうが、寿命の短い種族なのだ……納得しなくていいから割り切りなさい」
「はっ!ご理解いただきありがたき幸せ!」
素直に返事をする駄犬とは違い、どうにも怒りが収まらない様子のカチュア
まだまだご機嫌斜めである
おそらく『100歳が年増』について怒っているのではない
『そんな若者が妊娠したのに自分に相手が居ない』事を怒っているのだろう
「カチュア、こっちに来い。そんなに怒っていてはかわいい顔が台無しだぞ?ほら、膝の上に座っていなさい」
「そんな事ではわらわの気分は落ち着かないのじゃ!」
そう言いながらも一目散に俺のところへ来てササッと膝に座る
足をブラブラさせながらしっかりと俺にしがみついてくる
「私はお前が結婚したら寂しくなってしまう。もう少し私の娘として一緒に暮らしてくれないか?結婚はそれからでも遅くはないだろう?」
「……パパ上はわらわが一緒じゃないと寂しいと?」
「当然だろう。この戦の後始末が終わったら、教国で温泉にでも入ろうか?家族でゆっくりしたいな」
「家族……そうなのじゃ。家族でゆっくりするのじゃ」
ようやく機嫌が良くなってきたカチュアの様子にホッとして頭を撫でてやれば更に笑顔を深める
これでカチュアは大丈夫だな……まったく、頼むからこいつの前で歳の話は勘弁してくれ
寝起きなのに早速疲れた頭だが、思い直して手元の資料を確認する
そこには驚愕の事実が書かれていた
「なっ!?あのミラが120歳だと!!」
ババアじゃないか!
あの外見で120歳とか詐欺もいいところだ
ロリババア製造機なのかドワーフ族は!?
「なんと……あの娘がのう」
「そんなに驚く事かのう?パパ上」
「ゼスト……大声はやめてください」
三者三様の対応だが、男二人は肝心な事実を口には出さない
言えばどうなるかは理解しているからだ
「ほほう。120歳とは驚きましたな」
駄犬がドヤ顔でそう言った
言うのだろうか?この流れでババアと言ってしまうのだろうか?
俺と辺境伯が不安と期待のこもったまなざしを向けると、カチュアは膝から下りて魔力を練り始めた
ちなみに師匠はまだ起き上がれない
「しかし、安心しました。その程度ではカチュアお嬢様には勝てません!最年長の座は我等が大公家の手に!!」
非常に良い笑顔で右手を上げるとグッと拳を握る駄犬
そのままの姿でカチュアの放った黒い炎が彼を包むのだった
アルバート……何で年齢勝負だと思った
獣人族の手引き書の完成が待ち遠しいです