181 閑話 魔導士カチュア 後編
「あらためてよろしくなの!仲良くして欲しいの!」
喋る棺桶の精霊様……いや、れいぞうこじゃったか?
ともかく、白くて四角い箱のフタがパカパカ動くのは本当に奇妙なのじゃ
「少しだけ魔力をもらえれば食べ物や飲み物が出せるの!みんなのご飯は任せるの!」
まだ何やら呟いておるのじゃが、そんな事はどうでもいいのじゃ
「プリンのおかわりなのじゃ」
「ワシは茶碗蒸しを」
「クレープとは魔性の味じゃのう」
「さ、三人とも……そんなにお腹減ってたの?」
その後もしばらく食べ続け、ゆっくりと話をし始めたときには真っ暗になっていたのじゃ
異世界の食べ物は美味だったのじゃ
「ふむ。ならばわらわが魔力を注ぐのじゃ。そしてここに定住するのじゃ。食べ物が安定して手に入るなら移動生活を続ける意味もあるまい」
冷蔵庫の精霊様であるガーベラの説明を聞いてわらわが言い切る
年老いた二人には長時間の移動は辛い筈なのじゃ
「ケンタにはわらわが魔法を教えるのじゃ。いくら光属性の使い手でもまだまだ未熟なのじゃ。きちんと一人前にしてやるのじゃ」
「魔法の修業!やった!」
「カチュア、ありがとうなの!主様が嬉しそうなの!」
ふふふ、二人とも嬉しそうなのじゃ
突然、異世界に来たというのにたくましいのじゃ
「そうと決まれば、もう寝る準備なのじゃ。明日からは忙しくなるのじゃからな……修行や家も作らねばのぅ」
「スゲエ!キャンプみたいだ!」
「主様、ガーベラが地面を平らにしたの!ここで寝るの!」
野宿がそんなに嬉しいとはのぅ
異世界人と精霊は変わり者なのじゃ
大騒ぎする二人を見ながらわらわはプリンのフタを開く
「カチュア、いいかげんにしなさい」
「気に入ったのはわかったから、もう寝るのじゃ」
……叱られてしまったのじゃ
フタをきれいに直してわらわもケンタの隣に寝転ぶ
まあ、明日食べればいいのじゃ
そう思いながら目を閉じると眠りにおちるのじゃった
だが……
「うっ、うううう……」
夜中にそんな声が聞こえて目が覚める
その声の主はケンタだったのじゃ
いきなり見知らぬ世界に放り出されたのじゃ
泣くな・混乱するなと言うのが無理な話なのじゃ
「ケンタ、泣くなとは言わぬのじゃ。じゃが一人で泣くな……」
隣で背中を向けて寝転ぶケンタを抱きしめてやる
わらわも昔こうしてもらったのじゃ
「今は無理じゃが、ケンタが魔法をきちんと使えるようになったら旅に出るのじゃ。元の世界に戻る方法があるかも知れぬのじゃ」
「ほ、本当?カチュアお姉ちゃん、手伝ってくれるの?」
「かわいい弟の為なのじゃ。こうして出会ったのも何かの縁じゃ。わらわはエルフといって長生きの種族じゃから付き合ってやるのじゃ」
「じゃあ、指切りだね!」
少しだけ元気になったケンタがこちらを向いて小指を出した
「……切ったら痛そうなのじゃ」
「ええ?本当に切らないよ?指切り知らないの!?」
騒がしくて泣き虫の弟に教わった指切り
約束を必ず守る誓いの儀式
最初の指切りは『大きくなったら旅に出る』だったのじゃ
「お嫁に行けないのじゃ……」
一夜明けて、わらわが魔法の教師になるのはいいと言われたのじゃ
しかし、一般常識の勉強はケンタと一緒にやり直しと言われたのじゃ
「もう、お嫁に行けないのじゃ……」
ババ上に教わった『淑女としてのたしなみ』は、わらわを絶望の淵へと叩き落したのじゃ
この深い森の中、服を着ているとは言ってもボロボロの穴だらけのもの
ほとんど着ていないのと同じなのじゃ
しかも、それすら着ていない全裸を見せてしまったのじゃ……
「だ、大丈夫だよ!カチュアお姉ちゃんはかわいいから結婚出来るよ!」
こんな童に言われても余計に惨めなのじゃ
しかも結婚出来ない理由はそこでは無いのじゃ
「男に裸を見られたのじゃ……これではただのいかがわしい女なのじゃ」
「カチュア、家族なら大丈夫じゃ」
「そうじゃのう。しかもこんなに小さな弟ならばなおさらじゃな」
ジジ上とババ上にそう言われて、少し考えれば確かにその通りなのじゃ
わらわもこ奴を童扱いしておったし……
「そうなのじゃ!家族で弟なのじゃ!!」
「……あの、カチュアお姉ちゃんっていつもあんな感じなんですか?」
「察しの通りじゃ」
「悪い子ではないのじゃがのぅ」
何やら言っておるが無視するのじゃ
家族だから大丈夫、家族だから大丈夫
そう自分に言い聞かせるのじゃ
「そうなの!そんなペッタンコな胸を見られても大丈夫なの!そういうのはもっと大きな人が言う事なの!」
「お前は起伏どころか、一直線の体じゃろうが!この冷蔵庫が!!」
「この機能美が理解出来ないから胸が育たないの!ナイスバディなの!」
「ないすば……?異世界語を使ってもわからぬのじゃ!自分で『機能美』って言っておるのじゃ!女の体に機能は求めないのじゃ!のう?ジジ上にババ上」
育ての親に視線を送ればジジ上はハッキリと答える
「ワシは男じゃから答えられぬのう。お主はどうじゃ?」
そう逃げたジジ上はババ上に丸投げなのじゃ
しかし……ババ上は……
「機能のう……まあ、カチュアにはまだ早いのじゃ。それに胸など大きいと肩は痛くなるし邪魔なのじゃ。小さい方がよいではないか?」
優しい眼差しでそう言うが、ババ上の胸は大きいのじゃ
これが持てる者の余裕というやつなのじゃな……
しかも将来は機能が必要になるとはのぅ
女というのはそんなに大変な事を求められるのじゃろうか?
ゴクリと唾を飲みこむわらわじゃが、あの冷蔵庫の直線体型よりは……
「どう?ガーベラは人型にもなれるの!」
「ががががががが、ガーベラ!服を着てよ!!」
わらわが見たのは見事な胸を持つ美女だったのじゃ
……その美女がケンタに抱き付いているのじゃ
しかも、あの愚弟はわらわの時には出なかった鼻血が出ていたのじゃ
「ま、負けたのじゃ……なんという屈辱なのじゃ……」
生まれたての精霊以下の胸
そんな言葉が脳内を駆け回り、わらわの意識は闇に落ちていくのじゃった
あの胸は兵器なのじゃ……心底、そう思ったのじゃ
次の日からはケンタの修行やわらわも一緒の勉強
ガーベラに出してもらった食べ物を皆で食べたら家を作る
そんな平和な毎日だったのじゃ
一ヵ月もすれば家は完成し、それまでとは全く違う平穏な日々だったのじゃ
……たった数週間の家での暮らしでも親代わりの二人は満足したと言ってくれたのじゃ
勉強は基本的な事は教えたから安心じゃと言っていたのじゃ
後はわらわがケンタの魔法を見てやれというのが最後の言葉だったのじゃ
「うわあああああん、カチュアお姉ちゃん、どうしよう!?」
「泣くな!大丈夫なのじゃ。わらわはまだ若いから数百年は生きられる……ずっと一緒に居てやるのじゃ……どこにも行かないのじゃ」
ようやく穏やかな生活が始まる筈じゃったのに、ジジ上とババ上は揃って死んでしまったのじゃ
いまだに泣き止まないケンタと一緒に作った墓の前で指切りをしたのじゃ
「本当に?本当にカチュアお姉ちゃんは一緒に居てくれる?」
「ああ、指切りをしたのじゃ。約束は守るのじゃ」
その約束通り、わらわ達は一緒に暮らしたのじゃ
あの二人が死んでから五年間を一緒に
そして……
「なあ、カチュア姉上。俺は旅に出たい」
「……そうか。なら、付き合ってやるのじゃ。約束じゃからのう」
「いいのか?怒らないのか?」
「帰りたいのじゃろ?それにはいろいろと調べないといけないのじゃ。姉に頼るといいのじゃ」
最初はケンタが元の世界に帰る方法を探す旅
しかし、森の外の世界は広かったのじゃ
二人で旅をして様々な事をしたのじゃ
「お願いします!光属性の魔導士様!」
「娘を助けてください!」
「おおおい、盗賊団だぞ!早く逃げろ!」
あの当時は疫病が蔓延してどこの街でもそんな騒ぎが毎回だったのじゃ
「ケンタとガーベラはここで皆を守るのじゃ。あの痴れ者共はわらわが燃やすのじゃ」
「ああ、任せたぞ!姉上」
「主様、ガーベラも治療を手伝うの!綺麗なお水を使うの!」
大干ばつと疫病で混沌とした時代だったのじゃ
それでもわらわ達姉弟なら……ガーベラも一緒なら、たいていの事はどうにかなった
なったからこそ、『異世界人の治療魔法使い』は有名になりすぎてしまったのじゃった
こ奴らしい地味な部屋
飾り気も無くそれほど広くも無い
そんな中で姉弟久しぶりの二人きりで、そんな昔の話を続けた
「懐かしいのじゃ。あの後の事を覚えておるか?」
「ああ、シロツメクサの冠を作って姉上にあげた。ガーベラに負けたって大泣きしてたよなぁ」
「そうなのじゃ。その時の指切りを覚えておるか?」
「……指切りなんかしたか?覚えてないなぁ」
部屋の主であるケンタは真面目な顔で答える
……本当に忘れたのじゃろう
「やれやれ。そんな事でよくぞここまでになったものなのじゃ」
「姉上、怒ってるのか?手をつねるな、手を」
わらわのクセだったのじゃ……こうしてケンタの手を握った時につねるのは
クセだったのじゃ
「この大馬鹿者!つねってなどおらぬのじゃ……お主……もう感覚が無いのか?」
「ははっ、姉上は鋭いな。さすがエルフの国の宮廷魔導士様だな」
力なく答えるケンタはベッドに寝ていた
いや、もう寝ている事しか出来ないのじゃろう
「なあ、姉上……頼みがある」
「言ってみるのじゃ」
「俺の子供達の事はガーベラに頼んだ。この国を守って欲しい。子供達を守って欲しいと」
「義妹に似てかわいい子達じゃからのう。わらわにも守れと?」
今はもう居ない義妹が残した子供達
長女が教皇猊下をやっておる筈なのじゃ
……ケンタが結婚したからエルフの国へ帰ったわらわにどうしろと言うのじゃ?
「万が一、この教国が無くなるような事になったら助けてやってくれ。宮廷魔導士筆頭殿」
「……はぁ。あの懐かしい森の小屋に連れて行ってやるのじゃ。心配いらんのじゃ」
「ははは、懐かしいなぁ……まだあるのか?あの小屋は」
「あるのじゃ。お主がそんなジジイになってもわらわは若いからのう。しっかり手入れはしてあるのじゃ」
ケンタと出会って、たった八十年程度でこのザマだったのじゃ
人族は本当に寿命が短いのじゃ
「カチュアお姉ちゃんに任せるのじゃ、ケンタ。安心していいのじゃ。わらわはお主と違って指切りは守るのじゃ」
「……思い出したよ」
「いっ、今さら思い出さなくてもいいのじゃ!まったく……弟らしく姉に頼ればいいのじゃ」
「ああ……ごめん。ありがとう、カチュアお姉ちゃん」
わらわにシロツメクサの冠を作って『おっきくなったらお嫁さんにする』と指切りした嘘つきな弟
泣き虫で寂しがりだった愚弟
ライラック聖教国を建国した異世界人の治療魔法使いは、その年末にはそっと息を引き取ったのじゃった
「よく似合ってるぞ。お前の赤い髪に白い花が映えるな」
そして今、同じ異世界人にそう言われたのじゃ
弟と同じ黒い髪のパパ上
おそらくはこの時代、最強であろう光属性の魔導士
「ほら、指切りしようか?ずっと変わらずに一緒に居るってな。寂しい思いはさせないさ」
このパパ上はわらわに……いや、家族には物凄く甘いのじゃ
以前は弟で今回はパパ上なのじゃ……まったく異世界人と家族になる運命とかあるのじゃろうか?
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ますのじゃ!指切った!!」
今度は信じてもいいのじゃろう
側室を何人持っても文句は言われない立場なのに、ママ上一筋の男
そして身内には優しい人なのじゃ
まあ、敵には容赦無いのじゃが……それも大事な家族を守る為なのじゃ
「……この世界にも指切りあったんだなぁ」
そう言ってキョトンとするパパ上
最初は姉で今度は娘とは
しかも、ケンタの子孫と姉妹とはのぅ……ゆくゆく縁が有るのじゃろう
まあ、それもいいかもしれないのじゃ
結婚も考えたが、このままパパ上の娘として
アナスタシアの姉として生きていくのも悪くないのじゃ!
そう、心に決めたわらわなのじゃった
……そう決めたのじゃがなぁ
「カチュアお嬢様、今日も婚活で二十組が成功いたしました!」
「婚活遠征連合軍はまさに常勝無敗ですな」
「なんと!メディア卿の部隊からも成功者が出ておるぞ」
「……よ、よかったのじゃ。これからも結婚相手をしっかりと世話してやらねばいかんのじゃ」
結婚はしなくてもいいとは思ったのじゃが……
何故にわらわのところには、見合いの話が一件も来ないのじゃろうか?
震える手で飲む紅茶は今日も涙の味がしたのじゃ