169 平和な日常では終わらない
「……以上が本日の予定です。ですから、ごゆっくりなさってください」
スゥの読み上げるスケジュールを聞き終えて、甘い香りの紅茶を一口
領地に帰った日に悪夢のような出来事があって以来、非常に平和な日常が続いていた
あの日、館に帰り私室に戻ったときは漏らした
ベアトが無表情で真っ暗な部屋の中でピンクダイヤを見つめていたのだ……軽くトラウマである
美人の無表情は勘弁してほしい
「今日も気楽な一日になりそうだな。こんな毎日が続くと助かるよ」
「最近は平和ですね。あれ以来、マリー卿も大人しいですし」
「マリー卿か……ふふ、あいつも貴族様になったからな」
マリー卿とは名前を変えた『水田まり』の事である
戦闘力がない彼女が異世界人だと判明したら、狙われるだろう
だからこその処置だったのだが、本人も意外と気に入っているらしい
「あのご老人達も到着したそうで……これでもう少し大人しくなりますね」
「ああ、あの人か。本物の家族のようだったな」
以前、教国で面会したあの日本人男性と奥さん
体調を崩しており到着が遅れていたのだ
仲のいいおじいちゃん達の監視が付けば安心感が増すな
「あれだけ脅し……教育したから大丈夫だとは思うがな」
「しかし旦那様に感謝するべきですね。普通なら斬られても文句は言えません」
「いきなりこの世界の常識を求めるのもな……同じ日本人だからと甘い対応だったかもしれないが」
「旦那様は身内には優しい方ですからね。ですが、人目がある場所でしたら話が違います。私が処理いたします」
「……いい、私がやる。お前にそんな事まで押し付けないぞ?」
大事にするのと甘いのは違うって事だろう
俺が『甘い』と思われれば、いつベアトやウィスに災難が降りかかるか……そう思えばやるときはやるさ
「大貴族だと威張る必要はありませんが、怖がられておかないと面倒ですので」
「ああ、善処する。お前には……兄にも世話になっているのだ。汚れ仕事にまで手を出すな」
俺の言葉にニコリとするだけで返事はしない
必要があるならやりますって意味か
本当に頭が上がらないな……
「そういえば、お嬢様方と『お散歩』に行かれた奥様ですが……そろそろお戻りになるかと思います」
「『お散歩』なぁ」
ウィスを連れての『お散歩』が毎朝の日課になっているベアト
最近は娘達が同行しているので、余計に安心である
ベアトと戦乙女部隊だけでも過剰戦力なのに、カチュアとアナスタシアが一緒なのだ
うちの黒騎士部隊を総動員しても勝ち目はないだろう
おまけにドラゴン達も犬のように後ろからくっついて行くのだ……喧嘩を売ろうという馬鹿は大陸中探しても居ない
「だが、お散歩で盗賊団とか魔物とか……他国の諜報部隊員を狩ってくるのは普通なのか?貴族らしくないと批判がこないか?」
「辺境伯家の乙女なら普通に出来る事だそうです。黒騎士との訓練が花嫁修業の領地があるのですから問題ありませんね」
「……なら、仕方ないな」
やや冷めた紅茶を飲みながら思う
どうかウィスはおしとやかになりますように、と
「ニャアアア、計算が合わないニャアアアアア!!」
隣の部屋から響くカタリナの悲鳴に紅茶を吹き出しそうになる
最近は彼女も出世させたので、個室を与えているのだが裏目に出た
一人だからと、ときおり奇声を発するのだ
「やかましいぞ!何事だ、カタリナ」
「ニャ!?も、申し訳ありませんニャ、閣下」
彼女の部屋に乗り込むと、女性とは思えない格好で仕事中だった
頭はボサボサでスカートをまくり上げて床にあぐらをかいて書類と格闘している
「……もう少し女性らしくしろ。伯爵殿だろうが」
「うぅ、この格好が楽なのですニャ……それに伯爵と言われても実感がないですニャ」
手で髪をパパッと整えてスカートをおろす
確かにマシにはなったが、貴族としては失格点である
「お前には女子力の講習が必要だな。そのままじゃ行き遅れるぞ?いいのか?」
「……よろしくお願いしますニャ」
自分でも多少は自覚があるのだろう
顔を赤らめた彼女はそう答えたのだった
「で、何を騒いでいた?原因は何だったのだ?」
「あ、はい。これですニャ」
そう言って差し出されたのは住民の記録簿だった
最近は随分と増えたから、こういった事務仕事が大量にあるのだろう
確かに面倒な仕事だわ
「これか……計算が出来る者や字を書ける者を増やした筈だが、まだ足りないのか?」
「マリー卿が予算の計算を引き受けてくれたので、これでも随分と助かってますニャ」
意外と優秀なマリーだが手放しでは褒められない
あいつは隙があれば、また薄い本を作りかねないからな
それでも内政の戦力としては非常に助かっているのも事実なのだ
「そうかぁ。よし、私も少し手伝おう」
「え?閣下がですかニャ?」
「……お前、馬鹿にしてるだろう?」
日本では営業だったのだ
書類仕事が出来ない筈がないだろうが
普段は確認のサインしかしないから彼女がそう思うのも無理はない
「要はこれと同じものがあれば一気に終わる訳だ……コピーが出来ればなぁ」
「こぴい?何ですかニャ?それは」
黙々と同じ作業を繰り返していればあんな悲鳴もあがるだろう
書類のテンプレートさえ出来ていれば作業量は半分以下になるが、この世界にはコピーなんてない
……魔法でコピー出来ないかな?
ふとそう思って白紙に光魔法を込める
「あ、出来たわ」
「閣下、遊んでいないで仕事を……ニャニャニャ!!??」
不満顔だったカタリナだが、俺の手元の書類を見て大げさに驚いた
さっきまで真っ白な紙だったものが見事に完成書類になっていたからだ
「こ、こんなに早く終わってる……閣下、何をどうしたのですかニャ!?」
彼女の熱い視線を見て鳥肌が立つ
これはマズイ……仕事をたっぷりと回される流れだ
調子に乗って早まったか?
そんな不安にかられているとドアが開いてベアトとアナスタシアが入ってきた
「ゼスト様、カタリナの手伝いですか?休憩してお茶でもいかがですか?」
「お養父様、お疲れさまです」
「ああ、ありがとう。そうするか」
グッドタイミングな乱入でピンチはとりあえずしのいだが、このままでは不利だな
一旦は引き下がったカタリナを横目で見ながら、アナスタシアが用意してくれた紅茶を飲む
この子は相変わらずベアトにベッタリだ
手伝ってと言えばやってくれるだろうが……どう言えばいいかなぁ
「……なあ、アナスタシア。異世界人の光魔法を覚えてみないか?」
「!?」
ベアトの隣に座っている彼女が反応した
ビクンと肩を揺らしてこちらを振り向く
「ご先祖様伝来の魔法の中にコピー魔法はあったか?いや、なかっただろうなぁ、これは政務向きだからなぁ」
「そ、そんな魔法を私に教えてくださるのですか?」
「ああ、これを覚えてカタリナの手伝いをすればいい。家臣達との親睦を図る為にも、仕事の手伝いは喜ばれるぞ?」
「はい!お養父様のご配慮に感謝いたします!」
思わず悪い笑顔になってしまう
こいつは光魔法マニアだし、こういう言い方をすれば断らないだろう
素直に喜ぶアナスタシアにコピー魔法を教え終わると、ベアトがこちらにゆっくりと近寄り耳打ちをする
「ゼスト様も、お父様やお爺様そっくりの笑顔をするようになりましたね……変な事に使ってはいけませんよ?」
「そんな顔をしていたかい?使わないよ。俺の妻はベアトだけだって言っただろう」
あの人達と似ていると言われて若干へこむ
こんなときはベアト成分を補給して元気を出すか
彼女を引き寄せて膝の上に座らせる
「ふふ、珍しく甘えん坊さんですわね。重くありませんか?」
「重い筈がないさ。ここはベアトの指定席だからな……たまにカチュアも座っているか」
「娘ですから怒れませんわね。でも、娘以外の女性を乗せては駄目ですよ?」
頬をプニプニとつままれながらそんなノロケ話をしていると、脇から声がかかる
「閣下、独り者には目の毒ですニャ。ご自分の執務室でお願いしますニャ」
「カタリナったら。お養母様の嬉しそうな笑顔が見られるのですから、いいではありませんか。それにしてもこの魔法は凄いです!」
心底、嫌なモノを見る目のカタリナ
それとは正反対で満面の笑みであるアナスタシアという不思議なコントラストだった
……今度、カタリナにも誰か紹介してやろう
独身貴族のカタリナに気を遣って自分の執務室に帰り、ベアトとイチャイチャしながら幸せな時間を堪能する
アナスタシアに仕事を放り投げ……部下との親睦の機会を与えて俺は暇だしな
「はぁ……ベアトの膝枕は最高だな」
「ゼスト様はこういう事は嫌がるかと思っていましたわ。意外です」
「そうだったのか?俺はむしろ大好きだぞ?」
「ええ、よくわかりましたわ。今度からいっぱいしてあげないといけませんね……うふふふふ」
長椅子で膝枕をしながら俺の頭を撫でているベアト
俺は当然嬉しいのだが、やっている彼女も満更ではないらしい
邪魔されないように真黒な魔力で周囲を威圧中なので、誰も執務室に入って来ない
ちなみに、気配でアルバートがドアの外に居るのはわかっている
奴クラスでギリギリ耐えられるレベルだから、他の奴には無理だわ
「……古い昔話なんだがな」
「え?どうされました?」
「幼い頃に両親に死なれた子供が居てな。その子は施設で育った」
「……」
「院長先生は優しかったし、一緒に育った仲間達もいい奴等だった……楽しかったよ」
「はい」
「でも寂しかった……家族が欲しかったんだな……」
「その子は今、幸せですか?」
察したのだろうベアトがギュッと俺の手を握る
こんな話を人にしたのは初めてだな
「ああ、幸せだよ。綺麗な奥さんとかわいい娘達に囲まれてな……この幸せを守る為なら、俺は何でもするさ」
「そうですか……その奥さんも幼い頃から闇属性のせいで寂しい思いをしていましたから、同じですね」
そう言って、ベアトは微笑みながらキスをしてくれた
俺も彼女の頭を撫で返していると奴が乱入してくるのだった
「パパ上、ようやく魔力がおさまったから入れるのじゃ。何をしてママ上に怒られて……ふぉおおおおおお、ひ、昼間から何をしているのじゃ!」
真っ赤になって手で顔を覆うのだが、指の隙間からしっかりと確認する辺りがババアだな
「このくらいは愛情表現の一つだから問題ないだろう。家族に見られても困らないぞ」
「ふふ、そうですわね。家族になら構いませんね」
「うううう、何だかいつもより仲良しなのじゃ……そ、それより大変なのじゃ!!」
せっかくの甘い雰囲気が台無しだが、これほど慌てて来たのだから何かあったのだろう
身体を起こしてカチュアに聞いてみる
「何事だ。またトカゲ共がウィスをさらったのか?」
「違うのじゃ!ママ上にそっくりなメイドがママ上のママ上で……あああああ!訳がわからないのじゃああ!ともかく、色っぽいママ上みたいなメイドの格好の人が来たのじゃ!!」
……色っぽいママ上みたいなメイド?
ああ!!ラーミア義母上か!!
「なんだ、ラーミア義母上か」
「確かによく似ていると言われますわね」
「「……ど、どこに居る(の)!?」」
帝都で宮廷魔導士をしている筈のラーミア義母上が連絡もなくやって来た
嫌な予感を感じながら、カチュアとベアトを連れて中庭へ向かう
到着したそこは、どうコメントしていいのか分からないカオスな状況だった
「ウィスは本当にかわいいわねぇ。そう思うわよね?」
「おっしゃるとおりっす」
「ウィステリア様は最高です」
「あの、そろそろ頭から降りて……何でもないです」
「ふぉっふぉっふぉ、かわいいトカゲじゃな。ほれ、お手」
「ゼストにはもう勝てないかもしれませんが、あなた達には負けませんよ?」
「つ、強い……」
「この戦い方はゼスト主にそっくりだ」
「じ、爺さんの闇魔法……ハンパじゃねーな……」
地面に倒れるドラゴン達と、それを見下ろしながらウィスをあやす辺境伯一家
……だいたいの想像は出来る
無謀にも挑戦したんだろうな……アホなトカゲ共だ
「皆様、お久しぶりですね。お元気そうで何よりです」
「お爺様、お元気そうで……お母様はまたメイド服を……」
久しぶりの辺境伯にベアトと一緒に挨拶をすると、満面の辺境伯笑いでこう言われる
「おお、久しいのぉ。ちと面倒な事になってのぅ……皆で来たのじゃよ」
「このメンツが勢ぞろいとは何事ですか?どこかと一戦交えるので?」
「ふぉふぉっふぉ、察しがよいのぅ。下手をするとドワーフ達と戦争じゃよ、大元帥殿」
「辺境伯軍もゼストの指揮下に入るから、よろしくね」
「宮廷魔導士を代表して私も参戦するわ。はい、命令書ね」
冗談で言った事が本当になった瞬間である
手渡された命令書を震える手で受け取り、ゆっくりと開く
そこには大きな文字でこう書かれているのだった
『大公ゼスト=ガイウス=ターミナルを大元帥に任命する
全軍を指揮して国境を守るように
尚、細かい事は任せた』
……任せる前に説明してください、皇帝陛下
声には出せないその叫びを察した辺境伯に、俺は肩を叩かれながら立ち尽くしていたのだった




