145 アルバートの憂鬱
「ゼスト様は大貴族なのですよ?ですから、これからもそのような事がないようにしていただかないと。街に出かけるなど、貴族のする事ではありませんわ」
『内容より、私がその程度で怒ると思っている事の方が衝撃だわ……もう少し温和にならないと嫌われちゃうかしら?』
(お父さん、駄犬は生きてるですか?)
アルバートは男と女を間違えて店に案内した罪で、俺の一撃を受けて倒れている
決して内緒話を暴露したからではない
「そうだな、すまなかった。これからは自重しよう……」
「それとも、私とは飲みたくないからお出かけになりたいのですか?まあ、田舎貴族出身の私程度は、もう飽きたのかもしれませんわね」
『二人でお酒とか飲んでみたいのに……やっぱり私は魅力がないのかしら……』
(!?動きました!凄いです!駄犬は頑丈です!)
トト、それは痙攣だから危ないサインだよ?
死んでは困るので治療魔法を使ってやる
「ベアトに飽きるなんてあり得ないよ。今日はゆっくり二人で飲もうじゃないか。もう一日くらいはここに居るから」
「……そうですの。仕方ありませんわね、妻として付き合ってさしあげますわ。夜は一緒に居るのですね……想像したら、ちょっと気分が悪くなりましたから失礼しますわ」
『やったわ!夜に備えて準備しなくちゃ!!』
そう言うと、トトを連れてベアトは急ぎ足で部屋から出ていく
夜食でも準備するのかな?なら、昼間に食べ過ぎないようにしないとな
駄犬の治療が終わったので椅子に座る
まだ仕事は手を付けて無いから、終わらせておかないとな
「ふぅ。随分とマシになりましたが、まだ怖いですニャ」
「閣下、今のは死にかけました……修行が足りませんで申し訳ございません!」
一部始終を見て引いているカタリナと、復活したアルバート
お前、謝るところはそこか?
「これから徐々に戻るから大丈夫だろう。カタリナにはもう少し迷惑をかけるが頼む。アルバート、お前はもう少し考えて喋れ」
「いえ、滅相もありませんニャ」
「閣下、出来る事と出来ない事があります。考えて喋るというのは、私には非常に困難です!」
いっそ清々しいほどハッキリと自分は馬鹿だと言う駄犬
そこまで言われたら仕方ないな
「そうか……なら、メリルに頼むか。彼女は優秀らしいから、教育してもらおう」
「メリル様なら安心して任せられますニャ」
「なっ!?妻にも話すのですか?」
だからそうじゃない、そう言おうとしたときにドアがノックされた
どうやら彼女が到着したらしいな
「失礼いたします。メリル様がいらっしゃいました」
「この部屋に通せ」
「かしこまりました」
部屋の外から返事が聞こえて数分で、彼女はやって来た
アルバートは顔面蒼白だ……そんなに怖いのか?
「メリル様は、厳しい方ですニャ。特に男性には厳しくて有名でしたニャ」
「素晴らしい、アルバートの教育にピッタリだな。お前も侯爵になるんだから諦めろ」
「……はっ」
耳まで下がってシュンとしているアルバートを不覚にもカワイイと感じてしまった
男に興味はないが、獣属性はあるのかもしれない
そんな馬鹿な事を考えていると、部屋に噂の男に厳しい彼女が現れた
「ご無沙汰しております、ゼスト閣下。アルバートの妻、メリルでございます」
そう言って頭を下げる女性
髪は赤みがかった金髪で、緩やかにカールしている
顔はやさしげで保育士さんのようなイメージだ
こんな人が怖いなんて、アルバートが異常なのか?
「久しいな、メリル。子育ては順調か?体調は悪くないか?」
「おかげさまで順調ですわ。私も息子も元気過ぎるくらいですわ」
「そうか、健康が一番だ。何か困った事があれば遠慮せず言ってくれ」
「ありがたきお言葉、光栄でございます」
いくらアルバートの奥さんでも、まずは雑談から入る
これは貴族なら仕方ない流れなんだ
逆に、いきなり本題に入ったら失礼になる
部下なら大丈夫だけど、彼女はまだ部下の奥さんってだけだからな
「ところで、メリル。今日は色々と相談があるのだ。ああ、悪い話じゃない」
四人が座っているテーブルで、タイミングを見て本題を切り出す
彼女も小さな子供がいるのだから、あまり長時間家を留守にはしたくないだろうし
「実は、アルバートを侯爵にしようと思っているのだが……奴は武力や忠誠心には問題がないのだがな……」
「申し訳ございません!」
そこまで言ったら、メリルがガバッと頭を下げた
いや、これで理解出来ました?
「この駄犬が馬鹿なせいで、内政や社交に不安があるのでしょう?ご安心ください、私が内政官として働きます。そして躾もしっかりといたしますわ」
「あの、駄犬って私の事かい?」
「誰が口を開いてよいと言いました?閣下の前で口を開くならば許可を取りなさい。その程度が分からないから、閣下のお手を煩わせるのです」
「むむむ」
「そもそも、何故駄目なのか理解していますか?爵位が上位の方がお話中なのです。横から会話に割り込むのは不敬なのですよ?」
怒られるアルバートを見ながらカタリナの方も確認する
ウンウンと頷いて紅茶を飲んでいた
なるほどね、これはマナーに厳しい女性だな
「分かりましたね?分かったなら、アレの準備を」
「こ、ここでか?」
困惑するアルバートを睨んだ保育士さんは、ごそごそと何かを取り出した
……あの、女性が胸元から物を取り出すのはマナー違反じゃないんですか?
思わず心の中で突っ込むが、声には出せない
まさか、胸からトゲ付きのムチが出てくるとは思わなかったからだ
「ゼスト閣下、獣人族の愛情表現を御存じで?」
「む、ムチを使うのだったな。どうぞどうぞ」
「私も気にしないニャ。存分にどうぞニャ」
満場一致で許可が出た為、駄犬は床に正座する以外の選択肢はない
大丈夫か?顔色が真っ青だぞ?そんなに嫌なのか?
「では失礼して。さあ、覚えた事を復唱しながら愛情確認をしましょうね?」
「……お願いします」
聖母のような微笑みでムチを振るうメリルと、血が出る勢いで打たれながら「ありがとうございますっ!」と答えるアルバート
そんな不思議な光景を見ながら紅茶を飲んだ
「なあ、カタリナ……これは想定の範囲内か?」
「さすがに予想外ですニャ。でも、これなら絶対に覚えますニャ」
平静を装いながらもプルプル震えているカタリナを見て、改めて思う
獣人族が貴族に少ないのは、こんなところも問題だよなぁ
初見ではただの異常者である
早くスゥに手引き書を完成させてもらおう……そう思わずにはいられなかった……
「では、最後の復唱を」
「爵位が上位の方の会話に、横から入ってはいけない!!」
「よく出来ました。ここまでにしましょうね」
「ありがとうございました!」
調教……じゃない、愛情表現が終わったようだ
うっすらと汗をかいた彼女は優しい笑顔に戻っている
とてもさっきまでムチで旦那を打ちまくっていたとは思えない……どっちが本性なんだろうか?
「とりあえず、その方向で考えていてくれ。子供は執務室に連れて行っても構わないからな」
「ええ!?そんな事……よろしいのですかニャ?」
「子供を?閣下、それは……でも……」
ああ、この世界では子供を仕事場に連れてくるって無いのか
じゃあ、うちの領地の特色にしよう
「保育所……子供を一括で預かる場所や、保育をする専門の人員も用意しようか。子供が少ない領地には未来は無いからな。安心して出産出来る仕組みを我が領地では実践しよう」
「なるほどニャ。人口の大切さを閣下はおっしゃるのですニャ」
「保育所ですか……貴族はともかく、平民にはありがたいですね」
「出産休暇は導入したからな。そういった細かい配慮が将来の領地の繁栄へと……」
珍しくいい話をしようとしたとき、やはりというタイミングでドアがノックされる
ちなみに駄犬は力尽きてノックアウト中だ
「閣下、シスターがお見えですが……いかがいたしましょう」
……ベアトの出産のときに迷惑をかけたから、無視は出来ないな
俺は、ポンコツシスターを応接間に案内するように伝えたのだった
……また……暗号解読の時間です