プロローグ
本作は地の文に『。』が登場いたしませんし、改行や空白が目立つかと思います……どうしても気になる方は77話をご確認くださいますようお願いいたします
「ふぅ、こんなものかな」
質実剛健、余分な装飾のない執務室で男は大きく椅子にもたれ掛かった
年齢は30代……いや、20代にも見える黒目で黒髪の男は羽ペンで酷使した右手を労るように揉んでいた
ふと窓の外を見れば真っ暗で、随分集中していたらしい
コンコンっとドアをノックする音がする
こんな深夜に訪ねてくる者は一人しか居ない
「旦那様、お茶をお持ちいたしました」
「ああ、入りなさい」
「はい、失礼いたします」
ドアを開けてゆっくりと入って来たのはその男に仕えるメイド
栗色のポニーテールを揺らしながらお茶の用意をしている彼女は普段ならば愛らしいその顔を悲しげに歪めていた
「旦那様、無理をしていらっしゃるのではありませんか?最近は遅くまで起きて書き物をしていらっしゃるようで、皆心配しておりますよ」
「ああ、皆には心配するなと伝えよ。無理などしてはいない。が、ありがとう」
彼女の用意してくれた紅茶を飲みゆっくり味わう
「無理などしてはいないが、これを書き上げなければ死んでも死にきれんのでな。ははっ」
そう笑いながら紅茶を飲んでいる主を彼女は黙って見つめていた
彼女の主、その男は大陸に覇を唱える大帝国グルン帝国の筆頭宮廷魔導師ゼスト
日本人だった頃の名を棄ててもう100年近い彼は最後の仕事をしていたのだ
「私ももう永くはなかろう。最後の仕事を終わらせなければならんのだよ。それが約束だからな」
寂しそうに微笑みながらそう言って彼はまた羽ペンを手に取る
彼女は主の邪魔にならないようにそっと頭を下げて部屋を出た
主の最後の仕事を邪魔しないように
主が約束を守れるように
胸のペンダントをそっと握る
「きっとあの方は気にもしていないと笑うだろう。だが忘れるな。我が領民・我が一族はあの方に返しきれぬ恩を賜った。たとえ大陸中を敵に回そうともあの方を裏切るな」
その言葉と共に成人した一族の女性に渡されるペンダントを握りしめて彼女は控えの間に戻る
「お祖父様、最後の仕事にさせたくないと言ったら裏切る事になりますか?あの方にはまだ生きて欲しいのに……」
グルン帝国筆頭宮廷魔導師ゼストの最後の仕事
それは己の100年に及ぶ戦いの記録
帝国が大陸に覇を唱える事になった激動の歴史をまとめ、後世に伝える仕事
異世界から転移してくる他の異世界人がまた出たとき、少しでもその人々が苦労しないようまとめた『異世界人の手引き書』を作る事だった
次回より本編
転移した直後から100年の死にかける歴史が始まります