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ベリャーエフとリャードフの会話(1894年)

本編には名前しか出てこなかった

スクリャービン初期のパトロン、ミトロファン・ベリャーエフ(58歳)と、

ベリャーエフ委員会の一人アナトーリィ・リャードフ(39歳)が、

スクリャービンと出会う前のお話です。

「ごきげんよう、いい天気だね」

 リャードフが突然訪れたとの報せを受けて、階下のサロンに向かった。リャードフはソファに凭れかかっていかにも機嫌よさげに頬を緩め、わたしが彼の前に座るのを見ている。

「急に、いったい何の用だ、アナトーリィ」

「ご挨拶だな、ミトローシャ。用がなければ来てはいけないのかい?」

 仏頂面のわたしに怯みもせずに、リャードフは笑顔を絶やさない。

「用はあるさ。ほら、あなたが待ち続けていたものだよ」

 そう言うと、リャードフは、一葉の写真をわたしの目の前に掲げてみせる。

 まだ若い、幼いと言ってもよい顔立ちの青年の写真だ。柔らかそうなくせ毛が額にかかり、薄い色の瞳は、あてどなく、頼りなげに虚空を漂う。

 わたしは写真から視線をはずし、リャードフの目を見つめた。わたしの無言の問いかけに、「スクリャービンだ」とリャードフは短く答える。わたしは写真に手を伸ばしたが、リャードフはわたしの手をよけて自分の目の前に写真を掲げると、笑みを浮かべて写真を眺めている。わたしは苛立ちを感じたが、努めて冷静に彼に尋ねた。

「なぜ、君のところに?」

「さあ? サフォーノフが、彼をうっかりものだと言っていたのは、あながち嘘ではなかったみたいだな。僕宛てに送られてきたよ」

 サフォーノフが、わたしが主催する〈金曜日の夕べ〉に、スクリャービンの作品を手に現れたのは、5月のことだった。彼が持ってきたソナタとアレグロは、若さゆえの気負いと仰々しさに溢れていたが、わたしはすぐに気に入り、スクリャービンの写真を送るように頼んだ。

「ルックスは悪くない」

 写真を眺めながら、リャードフはつぶやく。そして笑みを張りつかせたままの顔で、もう一度、わたしの前に写真を差し出した。

「これなら西側でデビューさせても問題ない。女にも、男にも受けそうだ」

 わたしは写真を手に取ってじっくり眺めてから、リャードフに鋭い視線を返した。

「あなたがサフォーノフに写真を依頼したのは、そういう意味でしょう? アレクサンドル・ジロティのような、西側に通用する音楽家を発掘すること。彼の成功は、単に技術だけじゃない。西側でも受け入れられる容姿、それから技術と音楽性を兼ね備えた存在をあなたは欲しがっていた」

「……」

「まあ、あのソナタは……、葬送行進曲つきなんて、ショパンの猿真似かと思ったけど、構成は悪くなかった。彼があの曲を弾いたら絵になるだろうね」

 彼の言うことは間違いではない。作曲家はいる、演奏家もいる。しかし両方の才能を持ち合わせ、なおかつ愛好家たちの偶像となりうる存在。現代のロシア音楽界に必要なのは、そういう人物なのだと、常々考えていた。もう一度わたしは写真を見返した。二十二歳と聞いていたが、僅かに開いた口唇が、その年齢をさらに幼く見せている。

「あとは、他の委員たちをどう説得するか、だな」

「説得なんて、考えていやしないくせに」

 わたしのつぶやきを耳にして、リャードフは鼻で笑った。

「どちらにせよ、僕が賛成すれば、二対二だ。リムスキーもグラズノフも文句は言えないでしょう」

「なぜ二人が彼の才能を認めないのか、わたしには理解ができない」

 リャードフは驚いたようにわたしを見返した。

「そりゃあ、グラズノフにとってみれば、あなたの寵愛を奪うライバルの出現だから、いい気分はしないでしょうよ。……リムスキー=コルサコフのは、あれですね、新人いじめ。軍人気質がまったくもって抜けないんだから。今度の冬にも、ちょっと前にモスクワ音楽院を出たばかりの子の公演があるそうじゃないですか。ジロティの従弟だとかいう。ツェーザリ・キュイと一緒に、マスコミと何やら画策しているみたいだよ」

「彼らには困ったものだ」とわたしは大袈裟に溜め息をついて見せたが、「そんなこと思っちゃいないくせに」とリャードフは含みのある笑いを返した。

「いずれにしても、彼には早々にペテルブルクに来てもらうのが一番じゃないか?」

「まずは、彼の叔母なる人が来ることになっている」

「叔母? ずいぶんと過保護なんだな。まあサフォーノフも目に入れても痛くないくらいの溺愛っぷりだったし……でも、その写真を見ていたら、わからなくはないね、彼は庇護欲を掻き立てる」

「……ずいぶん楽しそうだな、アナトーリィ」

「それは、あなたも同じでしょう?」

 挑むような視線を投げかけるリャードフに、わたしは口元を歪ませて応えた。

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