Side---阿鼻
リメイクしました。
悪魔とは何か。
この世界において、その質問をすると必ず帰って来るのが、堕ちた女神、バビロンの淫婦と呼ばれる、畜生にも劣る毒婦の存在があげられる。
かの者は地獄を作り上げる、願いをかなえる対価として―――
されど、忘れてはならない、その地獄とは人間が生み出したものであると。
かの者、阿鼻の地獄の中、一筋の糸を垂らす。
その糸を掴むためには、型がいる、人の方がだ。
悲劇という苦しみで純化された生贄が。
型と糸、二つそろえば、奇跡が起ころ。
されど、奇跡は終わりではない。紡いだ糸の先、ゼンマイをまかれた人形が、壊れずに動きだすことがあるのだから。
“地獄のような光景”その言葉は様々な場面で使用される。
その一例を挙げるとすれば、噴火、処刑場、戦争、などなど。挙げればきりがないが、その全てが見た人々に絶望を与えるに足るものである。
人は自らの想像を超える凄惨な出来事を地獄として例えてきた。
しかし、この表現はもとより抽象的なもので明確な基準を持たない。
子供にとっては、三時のおやつを取り上げられることを地獄のようだと感じるかもしれぬし、仕事に疲れた中年が、さらなる残業を押し付けられるのを地獄のようだと感じるのも、明確な基準を持ちえぬために間違いでもなんでもない。
けれど、この光景を目にしたのならおそらく全ての人が“地獄”を幻視することになるだろう。
そこはどす黒い部屋だった。
洞窟を利用して作られて部屋だ。床は岩が綺麗に切り揃えられているためにそれほどではないが、壁や天井には大きな岩と地面がむき出し、元の地形がそのまま顔を出していた。
一見一切の光源が存在しないようにも見えるが、部屋には光が存在している。
それは太陽の光だ。
目に見える場所に光源がないだけなのだろう。
だが、光があるというのは、時として悪い結果を生み出すこともある―――見えてしまうのだ、見たくもない物を。
壁が天井が床が全て“黒”で埋め尽くされていた。
生臭いにおいがただよっている。
そして、あたりに散るのは、無数の死体と骨。動物のものも多いが、人間の物も少なくはない。
ならば、“黒”はどこから来たのか―――、一目瞭然だ。
幾千幾万の命を糧として作り出されたであろうこの空間その中央
目を向けると、異質な物が。
“祭壇”そう呼ぶ他にない―――だが、そのあり方は異様だ。
床と天井には禍々しい“黒”の中でさえ鮮烈な輝きを放つ真紅の二対一体の魔法陣。その傍らには一つの死骸が横たわっており、他の死体と違い華美な衣装をまとっていることから、差異が見て取れる。
事実この人物こそが、この“地獄”を作り上げた張本人なのだから。
だが、それだけならばこの空間の中では埋没するような些細なことだ。
死体などこの“地獄”の中では有り触れたものに過ぎない。
それでもなお、“異端”だった。
それは男が手にしている一冊の書物に起因する。
一切の風がない閉ざされた密室の中、いかなる力が働いているのか一人でに動きページを進めて行く。
不吉だ。ただただ不吉だ。ページが進むごとにどす黒い何かが、もう一方の魔法陣に集まって行った。
仕組みも、使われている法則魔法と科学も全く違うというのに、その光景はどこか爆弾のカウントダウンを連想させる。
子供でも知覚できる、危険性を孕んでいるという点において、同一だ。
何か良くない事が起ころうとしている。理解するのに、知識など不要だ。
闇が集っていく
恨み、憎しみ、怒り、嫉妬、ありとあらゆる負の感情を飲み込んで
闇は更に膨れ上がった。
そしてついに
暗い闇が収束し形をなし―――生まれたのは少女。
訳も分からぬままに、呼び出されたのだ、地面に向けて、受け身さえ取れぬままに崩れ落ちていく。
コンマ数秒程度の時間だというのに、酷くゆっくりとだ。
―――重い。童のような体躯ではあるがその存在故に、大きな質量を誇っているようでさえある。
そしてそのまま、地面に鼻から突っ込んだ。
「あれっ、一体ここは」
闇が集い生み出された少女の第一声はそんな間の抜けたものだった。
だが次の瞬間。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
悲鳴が上がる 悲鳴が上がる 悲鳴が上がる!!
子を目の前で殺された母の嘆きが
光を奪われた少女の外への羨望が
生きるため人すら食らった男の飢えが
この地獄を生み出した男とその元凶となった私に対する少年の恨みが
そして考えうるありとあらゆる残虐な手段で殺されていった人々と獣の絶望が
慟哭となり少女の中に流れ込んでくる。
これは単なる事故。
悪魔がよばれるはずだった器に、同じ神の意志が同調し、誤認しただけ。
だからこそ起こってしまった。
‟感情の流入が”
魂のみをこの世に投影する悪魔と、魂そのものを呼び出されてしまった彼女、相性というのならば、この上ない。
「アハハハハ、アハハハハハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハ」
笑う。ただ嗤った。どうして嘲っているのかは、もはや彼女自身にも分からない
辛い時には笑えばいい、言葉を知ってはいるが、あまりにも辛すぎると笑ってしまうという事を初めて自覚しながら。
だがその笑い声も不意に止まる。侵入者だ。
甲冑を着込んでいる。
なんとなく以前に博物館に飾ってあるのを見た騎士の甲冑に似ていると彼女が思った通り、事実彼らは騎士。
その奥に明らかに異質な雰囲気を放つ男が二人。粗末なローブを着込んだ男と高級そうなローブを着込んだ老人並んで立っている。
「ここです。この場所こそ我が師アイザック様の実験施設です」
何故か分からないが、言葉が分かる。
―――こいつらだ! 彼女はそう思った。
それでも、あまりの事態に微睡みの中にいるような心地が抜けぬままに呆然と見つめるだけ。
相手も、相手でこんな場所に全裸の少女がいたのだ、しばし呆然と立ち尽くし、それでも尚事態を飲み込めなかったのはしょうがない事だろう。
両者はただじっと見つめ合う。
だがそれもすぐに終わり、ここに来た者たちがあるものはこちらに話しかけ、あるものは慌て駆け寄ってこようとするものの―――
「まて」
老人の鋭い一括が、それら全ての行動を押さえ込んだ。
その鋭い目つきと華美な服装から、他の者達とは印象を大きく異としており、実際に名の通った魔術師である。
「あっ」
初めはただの困惑だった。
次に感じたのは鈍い痺れ。
それが、痛みに変わった。
「一体何を!!」
その叫びは当然あってしかるべきものだ。何しろ、幼き少女に向かって、問答無用で攻撃をぶっぱなしたのだから、誰であろうとも驚きの声くらい挙げるだろう。
それを、老人は手で制する。
たった一つの動作で、ざわめきが静まった。
痛みのせいかのたうちまわっていた少女だが、その動きはすぐに止まる。
騎士たちは気絶でもしたのかと考えたが、それを否定しようと、老人は少女を指差した。
「見てみろ。もう傷がふさがっているであろう。あれは悪魔じゃよ」
その声にハッとなったのは騎士達だ。
よくよく少女を観察してみると、血が一滴たりとも地面を汚していない。
まるで意思でもあるかの様に逆流し、終いには傷を塞ぐ。
全員が、異常を察知した。
胡乱げな視線はもうどこにもない。
各々が手にした武器をまっすぐに構えた。
目は獲物を見据える肉食獣のものに。
危険を排除するのだと、我らが市民の安全を守るのだと、気が充実していく。
一歩一歩、自身の間合いへとせまりゆく
一方少女が感じたのは、困惑、痛み、そして―――納得。
最後に怒りを感じた。
化け物はぞっとするような暗い笑みを浮かべる。
それに呼応して瞳孔が細まり、蛇のような金色の光を携えた獰猛な色を帯びる。
タン‼
軽快な音が響いた。
その音は、強靭な脚力によって、もたらされたものだ。
少女の爪が血に彩られた。
獣の習性というべきか。
訳も分からない状況の中、ただ怒りと戦意が体を動かす。
言ってみれば、でたらめだ。
それなのに、最も危険な人物の心臓を貫いていた。
それが、攻撃に対する逆上なのか、獣の感なのかすら判別がつかない。
一瞬の意識の混濁。
皆の時が止まる。
そして、血の飛沫が吹き荒れる。
その美しくも清純な滴は、まるで桜の花弁が散るかのよう―――似ても似つかないというのに。
どちらも、刹那を体現しているからだろうか。
ぞっとするぐらいの美しい。