第11話 英雄コレクターズ
灰色狼の王国の首都は、今や二つの絶望に挟まれていた。
一つは姉の死を嘆き、街を食らうことで無限に自己増殖を繰り返す魔王バムバス。
そしてもう一つは空から降り立った「理不尽」そのものの存在だった。
「――ああ、もう! 最悪! コンプリートしてたのに! 私の完璧な図鑑が、この変な世界のせいでスカスカじゃない!」
瓦礫の山の上に、場違いなほど可愛らしい姿をした幼女が立っていた。
年齢は5歳ほど。ふんわりとしたドレスを纏い、背丈ほどもある巨大な装飾本――『コレクターズBOOK』を抱えている。
彼女の名は、異世界英雄チャンク・チャント。
あらゆる万象を「コレクション」し、本の中に収納する異能を持つ、収集の化身である。
「ねえ、おじさんたち。私の達成率(コンプ率)を下げた責任、取ってくれる?」
チャンクが頬を膨らませてバッシュたちを睨む。 彼女は元の世界ですべての事象を収集し尽くした「覇者」だった。だが、この世界と繋がった瞬間、図鑑に「未登録」の項目が爆発的に増えてしまったのだ。
「……おい、バッシュ。あのガキ、何だ? バムバスの群れが、あいつを避けてやがる」
パーカーが二振りの黒刀を構え直すが、その手は微かに震えていた。
狂戦士の直感が、目の前の幼女を「生命体」ではなく「事象の終わり」だと告げている。
「わかんねえが……まともじゃねえな。ペンタラゴン、あれも調停の対象か?」
【ククク……よせ、バッシュ。今は触れるな。あれは『世界を食う』バムバスとは違う。あれは『世界を所有する』怪物だ】
チャンクは苛立ち紛れに、抱えていた『コレクターズBOOK』をパチンと開いた。
「とりあえず、あのお城。あんなボロボロだけど、この国の『ランドマーク』でしょ? 登録しておくわ!」
チャンクが本を掲げた瞬間、空間が歪み、真空の渦が巻き起こった。
巨大な城が、まるで紙細工のように折れ曲がり、ページの中へと吸い込まれていく。
だが、その瞬間だった。
吸い込まれる城の窓や門から、何百という「生きた人間」が、ゴミのように外へと吐き出された。
「ひ、ひぎゃあああああああああ!!」
悲鳴を上げながら、国王ウルや、王宮にいた近衛騎士たち、そしてバッシュを裏切ったミリエルたちが、地上へと叩きつけられる。
「ぺっ、ぺっ! 生き物は不純物だからいらなーい! 私のコレクションは、美しく保存されなきゃいけないんだから!」
チャンクは嫌そうに顔をしかめた。
彼女にとって、人間は図鑑の価値を損なう「汚れ」に過ぎないのだ。
ドォォォォン!!
地響きと共に、灰色狼の王国の象徴であった王城が完全に消失した。 あとに残されたのは、抉り取られたような巨大なクレーターと、泥まみれになって転がる王や市民たちの姿だけだった。
「……城が、消えた?」
ヒカリが絶句する。
地位も名誉も、そして守るべき「壁」すらも、幼女の気まぐれ一つで失われたのだ。
チャンクは満足げに本を閉じると、ふいっとバッシュの方を振り返った。
彼女の瞳が、鑑定するようにバッシュの肉体をなぞる。
「……ふーん。おじさん、面白いね。『死なないサンプル』かぁ。今はまだ図鑑のチャージ枠が足りないから見逃してあげるけど、いつか最高のページに閉じ込めてあげるね」
チャンクは不敵な笑みを浮かべると、バッシュの耳元で囁くように言い残した。
「気をつけなよ、『調停者』さん。世界が混ざりすぎて、もう『外側』の奴らが鍵を開け始めてる。……じゃあね、バイバイ!」
黄金の光と共に、チャンク・チャントは忽然と姿を消した。
「アハハハハ! 邪魔な建物がなくなった! もっと食える! もっと増えれるぞぉぉぉ!!」
建物という障害物が消えたことで、増殖する魔王バムバスの群れが、怒涛の勢いでクレーターへと流れ込んでくる。
「……ちっ、感傷に浸ってる暇はねえな! パーカー、メロカ! 生き残った奴らを集めろ!」
バッシュが怒号を飛ばす。
泥を舐め、震えている国王やミリエルの襟首を掴み、無理やり立たせた。
「バッシュさん! あっちに、逃げ遅れた人たちが!」
ヒカリが指差す先では、城から吐き出されたばかりの市民たちが、バムバスの肉の波に飲み込まれようとしていた。
「助けるぞ! 俺様たちはここを捨てる!」
バッシュはペンタラゴンを振り回し、迫りくるバムバスを次々と粉砕していく。
パーカーの黒刀が闇を切り裂き、道を切り開く。
メロムが神速で子供たちを抱き抱え、安全な場所へと運び出す。
メロカが放つ光の障壁が、市民を守るための即席の防波堤となった。
「ヒカリ! 光を絶やすな! あんたの光が道標だ!」
「はいっ……!!」
ヒカリは涙を堪え、全身の力を振り絞って黄金の光を放ち続けた。
その光に導かれるように、生き残った数百人の民兵や市民たちが、バッシュたちの背中に縋り付く。
背後からは、街を食い尽くしながら巨大な一つの「肉の山」へと合体していくバムバスの咆哮が聞こえる。
一歩でも足が止まれば、全員がその胃袋に収まることになる。
「……どこへ行くんだ、バッシュ! この数、どこまで逃げても追いつかれるぞ!」
パーカーが血走った目で叫ぶ。
「――南だ! 南の果てにある『異世界の門がある森』を目指す! あそこなら、別の世界の理が干渉して、あの化け物も追ってこれねえはずだ!」
バッシュは確信のない賭けに出た。
泥濘の中、泣き叫ぶ市民の手を引き、襲いかかる魔王のコピーを斬り伏せながら、一行は南へと突き進む。
道中、バムバスの個体が何度も一行の横腹を突いた。
そのたびにバッシュが肉壁となり、数十回の「死」と「再生」を繰り返しながら時間を稼ぐ。
パーカーの二振りの黒刀は、もはや返り血で黒光りし、振るうたびに絶望的な悲鳴のような音を立てていた。
「おい、バッシュ! 森が見えてきたぜ! だが、あの空気……普通じゃねえぞ!」
パーカーの言う通り、南の地平線に広がる広大な原生林は、不自然なほどの七色の霧に包まれていた。
背後からは、ついに王都のすべてを食い尽くし、山のような巨躯となったバムバスの本体が、地響きを立てて迫ってくる。
「急げ! 森に入れ! 立ち止まるな!」
バッシュは、腰を抜かして動けなくなったミリエルを無造作に担ぎ上げ、霧の中へと飛び込んだ。
一歩、森に足を踏み入れた瞬間。
肌を刺すような魔力の質が、劇的に変化した。
物理法則が書き換えられ、重力が、時間が、感覚が狂い始める。
バムバスの咆哮が遠のき、代わりに聞いたこともない鳥のような、あるいは機械のような鳴き声が森の奥から響いてきた。
灰色狼の王国の終焉。 かつて彼を蔑み、荷物持ちとして扱った王国の残党たちが、今は泥にまみれて「最弱」と呼ばれた男の背中を追っている。
異世界の門があるという、混沌の森。 そこは、惑星ブラッシュワールドを巡る真のサバイバル、そして「調停」への長い旅路の始まりでもあった。




