光と静寂の領地
夕刻、視察を終えて屋敷へ戻ると、広間ではすでに食卓の準備が整えられていた。
柔らかなランプの光に照らされたテーブルには、領地で採れた食材をふんだんに使った料理が並ぶ。
侯爵が席につくと、穏やかな声でアレクシスに語りかけた。
「本日は遠方まで足を運ばせてしまったな。領地の姿を、少しでも見ていただけたなら何よりだ」
アレクシスは軽く頭を下げる。
「むしろ、こちらこそ感謝しています。
……これほどまでに整い、かつ活気に満ちた領地は、王都でも見たことがありません」
その言葉に、侯爵夫人が柔らかに微笑む。だが、その瞳には静かな観察の色が宿っていた。
「我が領地は、領民に支えられてここまで来ました。ですが――まだ未熟な部分も多いのですよ」
横でリリィが小さく笑う。
「でも、領民の笑顔を見ればわかりますよね? この領地がどれだけ愛されているか」
視線の先では、エリシアが料理を前にして、小さく両手を合わせていた。
――その無邪気な姿の裏に、数え切れない努力が隠されていることを、この場の全員が知っていた。
⸻
食後、侯爵の執務室で行われた家族会議。
扉の外で控えていたアレクシスの耳には届かなかったが、部屋の中には微かな緊張が走っていた。
「……アレクシス様は賢い方だ。いずれ、エリィの関与に気づく可能性が高い」
侯爵が低く言うと、カインが腕を組む。
「ですが、今はまだ隠し通すべきでしょう。学園時代からの縁があるとはいえ、油断は禁物です」
侯爵夫人が静かに頷く。
「そうね。エリィの安全が最優先……それだけは、決して譲れません」
リリィだけが、少し複雑そうな瞳で呟いた。
「……でも、あの人の視線は、悪意のあるものじゃなかったわ」
⸻
一方その頃、アレクシスは客室で一人、窓の外を見つめていた。
暮れゆく空に映える街の灯り――それは、昨日とは比べ物にならないほど鮮やかに見えた。
彼は、思わず小さく笑みを漏らす。
「……辺境、か。どうして今まで、ただの田舎だと決めつけていたんだろうな」
視線の先で、庭を歩くエリシアの姿が目に映る。
柔らかな光に包まれるその横顔は、まるで夜明けを待つ静かな星のようだった。
気づけば、胸の奥で言葉にならない衝動が膨らんでいく。
⸻
アレクシスは衝動のまま、階下へ足を運んだ。
夜気に包まれた庭は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
エリシアは花壇の近くで、咲き誇る白い花を見つめていた。
「……こんばんは」
声をかけると、彼女は少し驚いたように目を瞬かせ、すぐに柔らかく微笑んだ。
「次期侯爵様……夜風にあたりに?」
「“次期侯爵様”はやめてくれないか」
アレクシスは少し苦笑を浮かべた。
「ここでは、名前で呼んでほしい」
「……名前、ですか?」
「そうだ。……アレクシス、でいい」
エリシアは一瞬、ためらうように視線を落としたが、やがて小さく息を吸い込んだ。
「……では、アレクシス様」
名前を呼ぶ声は、夜風に溶けるように柔らかい。
その響きに、アレクシスの心臓が静かに高鳴った。
「……ああ、その方がいい」
小さく呟いたあと、彼は話題を切り替えるように視線を空に向けた。
「明日は……何を見せてくれるんだ?」
「そうですね……」
エリシアは少し考えて、ぱっと笑顔を咲かせた。
「実は、数日後に小さなお祭りがあるんです。収穫の神様に感謝を捧げる行事で……よければ、アレクシス様にも楽しんでいただきたくて」
「祭り……」
その言葉に、アレクシスの胸が軽く跳ねる。
王都の華やかな社交界とは違う、穏やかな人々の集い。
その輪の中にいる彼女を――そして、自分がそこに立っている姿を想像してしまう。
「……ぜひ、参加させてもらおう」
「本当ですか?」
ぱっと花が咲いたように輝くエリシアの笑顔に、アレクシスは一瞬言葉を失った。
「ただし……」
軽く視線を逸らしながら、低く続ける。
「君も、一緒に案内してくれるなら、だが」
「もちろんです」
そう答える彼女の声は、夜風の中でもはっきりと響いた。
――その瞬間、アレクシスは気づいていた。
彼女と過ごす時間が、自分にとって何よりも心地よいものになりつつあることに。