領地案内の夜
夕刻、アルセイル侯爵領の視察を終え、館へ戻ったアレクシスは馬車から降りると静かに息を吐いた。
整備された水路、規則的に区画された農地、動力魔石を活用した工房群――。
見たことのない仕組みと効率化された街並みに、ただ驚くばかりだった。
「公爵様、本日はお疲れさまでした」
館の玄関先で、カインが深く一礼する。
その横で、エリシアが嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
「どうでしたか? この領地、楽しかったですか?」
純粋な笑みに、アレクシスは思わず言葉を探した。
「……楽しいというより、目を見張るものばかりだった。ここが本当に“辺境”なのか、疑うほどに」
「えへへ、そう言っていただけると、嬉しいです」
エリシアがはにかむと、カインがさりげなくその場を仕切る。
「エリィ、今日はもう休め。公爵様もお疲れだろう」
「はーい……」
しょんぼりと肩を落とすエリシアを見送りながら、アレクシスは改めて胸の中の違和感を確かめた。
――街も人も、秩序と活気が調和している。だが、それを築くには、誰かが明確な設計と指揮を執らなければ不可能だ。
その「誰か」の姿が、無邪気に笑う少女と結びつきそうになるのを、アレクシスは振り払った。
⸻
夜の会食。
侯爵と侯爵夫人、そしてカインとリリィが揃った席で、今日の案内について自然と話が弾む。
リリィは柔らかな笑みを浮かべながらも、妹に視線を向けられるとさりげなく話題を逸らした。
「……本当に、よく整備された領地ですね。驚かされました」
「恐縮です。我々も先代からの努力を大事にしておりますので」
侯爵の穏やかな声色。その裏には、軽やかな牽制の響きがあった。
――“余計な詮索はするな”。そう告げるような、冷静で理知的な眼差し。
アレクシスはそれを正面から受け止め、静かにグラスを傾けた。
⸻
その夜、与えられた客室で一人、アレクシスは窓辺に腰掛ける。
星明りの下、今日見てきた光景が脳裏で繰り返される。
「……あの領地には、まだ見えていない何かがある」
そう呟きながらも、どこか楽しげに微笑む自分に気づき、アレクシスは小さく首を振った。
⸻
次の朝、領地の視察二日目が始まろうとしていた。