偶然の出会い
視察を終えた夜、侯爵館の庭は静かに月明かりに照らされていた。
涼しい風が木々を揺らし、遠くで水路を流れる水音が心地よく響く。
アレクシスは部屋に戻る前に、少しだけ庭を散歩していた。
昼間に見た領地の姿が、まだ頭の中に残っている。
豊かで、活気があって、しかしどこか外から閉ざされているような、不思議な土地。
ふと、庭の奥の小径で人影が揺れた。
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「……?」
声をかける前に、月光を受けて金色の髪がふわりと揺れる。
白い寝間着に薄手の羽織を纏った少女――侯爵嬢、エリシアだった。
彼女は足元の小石につまづきかけ、慌てて体勢を整える。
その仕草さえも自然で、思わず目を奪われる。
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社交界に名を轟かせるアルセイル侯爵家の長女、リリィは誰もが認める絶世の美女だ。
だが、その妹――噂では「可憐で大人しい少女」としか伝わっていなかった次女は、アレクシスの想像を遥かに超えていた。
月明かりを浴びて輝く金色の髪。
翡翠のように澄んだ瞳。
幼さの残る顔立ちながら、どこか神秘的な気配を纏っている。
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「こんばんは、公爵様」
エリシアがぺこりと頭を下げる。
その声は、澄み切った小川のせせらぎのように柔らかで、アレクシスは一瞬返事を忘れる。
「……こんばんは、アルセイル侯爵嬢」
ようやく口を開いたものの、声がわずかに硬くなる。
近くで見る彼女は、ただの令嬢ではない――そんな思いが胸を掠めた。
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「そんなにかしこまらなくてもいいのに。……あ、夜風にあたりたくて、ちょっとお散歩です」
そう言って笑う表情は、あまりに無邪気で自然だ。
その柔らかな空気に、アレクシスの胸の奥がわずかにざわめいた。
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その時、庭の奥から声が響く。
「エリィ! こんな時間に……」
振り返ると、姉のリリィが早足で駆け寄ってくる。
夜でも整った美貌と立ち居振る舞いは、まさに“社交界の華”そのものだった。
彼女は妹の腕を取ると、にこやかな笑みを浮かべながらも瞳の奥に鋭い光を宿している。
「ごめんなさい、公爵様。妹がご迷惑を……」
「いえ、少し話しただけです」
アレクシスは静かに答えるが、リリィの笑みには妹を守ろうとする意志が滲んでいた。
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エリシアが「おやすみなさい」と軽やかに微笑み、リリィと共に屋敷へと戻っていく。
その後ろ姿を見送りながら、アレクシスはただ静かに月を仰いだ。