領地の光景
アレクシスが訪問した翌日の朝――侯爵館の応接室には、侯爵家の家族だけが集まっていた。
「さて……次期公爵殿下への対応を、今一度確認しておこうか」
侯爵――レオナルド・アルセイルが静かな声で口を開く。
円卓を囲む家族は、緊張した面持ちだった。
侯爵夫人は優雅に紅茶を口にしながら、視線だけを鋭く走らせる。
「現公爵閣下とは長く良好な関係を築いてきましたけれど……息子であるアレクシス様には、まだ様子見が必要ですわね」
カイン――次期侯爵は頷き、眉間にわずかな皺を寄せる。
「学園時代に少し話した程度だ。悪い人間ではないが、軽々しく信用するにはまだ早い」
「お兄様、信用できない人にエリィのことを話すなんて、絶対にダメですからね!」
リリィがテーブルを軽く叩きながら声を上げた。
「外部の人に、“エリィが領地をここまで発展させた”なんて知られたら……きっと、利用しようとする輩が出てきます」
エリシア本人はきょとんとした表情で紅茶を飲んでいる。
「わたし、普通にしてるだけなんだけど……」
その天然な様子に、家族全員が一斉にため息をつく。
侯爵夫人は小さく首を振りながら、諭すように言った。
「普通ではないのですよ、あなたは。ですから、今日の領地案内では……カインとリリィが中心になってくださいね。あなたはあまり目立たないように」
「……はーい」
気のない返事をするエリシアに、リリィはじとっとした目を向けた。
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そうして迎えた朝、アレクシスの元へ領地案内の誘いが届けられた。
馬車の前で待っていたのは、案内役のカインとリリィ、そしてエリシア。
「今日は領地の一部を見てもらうよ。正式な視察は後日だけど、まずは雰囲気だけでも」
淡々とした口調のカインに、リリィが優雅に笑顔を添える。
「驚くと思いますよ。私たちの領地、よく“辺境とは思えない”って言われますから」
馬車は屋敷を出て、街の中心へと向かう。
石畳の道は隅々まで整備され、道端には小さな公園や露店が並んでいた。
通りすがる領民たちは、アレクシスを見てざわめくものの、すぐに笑顔で一礼してくる。
「……人々の表情が明るいな」
アレクシスが窓から外を眺めながら呟くと、カインは淡々と答えた。
「治安維持に力を入れた結果だ。盗賊もほとんど出ない。辺境と言われるが、王都より安全かもしれないな」
その横でリリィが穏やかに微笑んだ。
「それに、水路の整備や農地の改良もずっと進めてきましたから。おかげで人々が安心して暮らせるようになったんです」
エリシアは座席の端でこくこくと頷くだけで、余計なことは言わない。
兄から「今回は静かに」と念押しされていたのを、きちんと守っているのだ。
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市場に入ると、アレクシスは思わず息をのんだ。
新鮮な野菜や果物が整然と並び、屋台では香ばしい匂いが漂う。
奥では魔道具を扱う露店まで見える。王都でも珍しいような道具が、ここでは日常的に使われていた。
「……これは、どうやって供給を?」
思わず口をついた問いに、カインが短く答える。
「領内の工房で生産している。父の代から技術者を育ててきた成果だ」
リリィが自然な笑みを浮かべて続けた。
「皆が力を合わせて工夫してきたんです。辺境といえど、不便なままではいられませんから」
エリシアは隣で小さく頷きながら、興味深そうに市場を見渡していた。
その無邪気な仕草に、アレクシスの視線が一瞬だけ吸い寄せられる。
「……辺境というより、小さな王都のようだ」
思わず零れた感想に、カインは薄く笑った。
「誉め言葉として受け取っておく」