マシュマロ・ナイト
『スリープレス・サンシャイン』の続編です。
仕事帰り、いつものハーブ店『SOLEIL』に立ち寄った。入店後、オーナーの涼香さんと弟さんの和也くんの姿を見てなんだかホッとした気持ちになるわたし。
「いらっしゃいませ。この間のハーブどうでしたか?」
「はい!『カモミール』もリラックスできますね。すごくよく眠れます」
「それはよかった」
前に訪れた際に「最近少し疲れ気味で…」と相談したところ涼香さんに『カモミール』を勧められて、試してみたら身体がなんとなく軽くなったような心地。そこで和也くんがすかさず、
「坂下さんはハーブ効きやすい体質なんだと思いますよ」
と一言。この間もなんだか嬉しそうな顔でわたしにそう言ってくれたけれど、ハーブが効きやすいというのは良いことなのだろうかとちょっと気になる。でも実際、『SOLEIL』に来てから体調も良くなったのは本当だし悪いことではないと思う。そんなわたしには今後また一つの「悩み」が生まれていた。
「実は、コホッ。最近喉の調子が良くないみたいで、咳が時々出るんですよね」
「カモミールも炎症を抑えてくれる効能がありますけど、咳にはそうですね…」
毎年5月の終わり頃になると喉の調子が一時的に悪くなることがあって、この年も同じように夜に咳が出たりして咳止めを買って飲んだりしてはいたのだけれど、いつものドラッグストアに在庫がなかったりでちょっとだけ困っていた。スペシャリストである涼香さんはすぐに幾つかの候補を見せてくれた。透明な袋にサンプル用のハーブが入っていて、気になったものをその場でハーブティーにして試飲させてもらうことができる。
「姉ちゃんがこの前くれたハーブってなんだっけ?」
和也くんはその場で涼香さんにそう訊ねた。常連になったからなのか近くの大学に通っている和也くんの口から「姉ちゃん」という言葉が飛び出すのがなんだか愛嬌があっていい。
「『マロー』ね。いいかも」
涼香さんが一度店の奥に向かって何か特別な袋に入っているサンプルを持ってきてくれた。見ると濃い紫の花びらを乾燥させたと思われるハーブが中に入っていて、「試飲してみますか?」と訊ねられたので「お願いします」と頼んでみた。
「このハーブティー、色も結構綺麗ですよ」
涼香さんがティーポッドにハーブを入れてそこにお湯を注いだ瞬間、色が鮮やかな青紫に変色して見た目にも美しい。しばらくしてそれをグラスに注いでくれたと思ったら、「で、ここにレモンを」と輪切りにしたレモンを浮かべた。するとグラスの色は紫から一気にピンク色に変化する。
「化学反応ですよ」
弟くんは驚いているわたしに得意気。試飲してみてみたら、レモンが入っているからかクセもなく爽やかで飲みやすい。これが喉に良いものだというのも不思議ではあるけれど、確かにその日の夜は咳が出てなかった記憶。
「この間のライブの前に、喉の調子があんまりよくなかったんで姉ちゃんにこれ貰いました」
和也くんはバンドでボーカルを務めているので喉のケアは大切なのかも知れない。段々とハーブの種類に詳しくなってゆくことがちょっとした喜びになっている。マローは『ウスベニアオイ』という花の事らしく、乾燥させたそのハーブを今回購入することに決めた。
その帰り際、和也くんが「坂下さん、ちょっとお時間いいですか?」と店の外でわたしを呼び止めた。ちょっとだけ熱の籠った眼差しだったので、一瞬ドキドキ。彼はわたしにこう言った。
「今度のライブ、もし時間あったら見に来てくれませんか?実は今、ライブのお客さん増やしたいなと思ってて…」
その言葉にわたしは驚いた。もともと音楽が好きで好きなバンドのライブにも出掛けたりすることがあったわたしだけれど、「知り合い」と言っていい人のバンドのライブにどういう感じで参戦すればいいのかちょっとだけ躊躇いが生じる。
「これチケットです。その日はカバー曲もやるので初めての人にも来てもらい易いと思います」
和也くんに手渡されたチケット。そしてその日付は土曜日。幸い、都合のつく日だった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「じゃあ行ってくるね、お留守番お願いします」
夕方、家を出る前わたしはライブのチケットを『向日葵くん』に見せてこんな風に言った。向日葵くんは上機嫌で身体を揺らし『おう!行ってきな!ライブはパッションだぜ!』とわたしに言って…いるように感じた。ライブ会場は徒歩で20分くらいの場所にある。意外と街中にはあるものの地図アプリを頼りにしなければ分かりにくい『地下』にあるライブハウスだった。
店の人にチケットを手渡して入場。ワンドリンクが貰えるということでお酒…ではなくコーラを選ぶ。
無意識にぎゅうぎゅう詰めの会場をイメージしていたけれど、四角いこじんまりとした空間の前方に常連さんの集団がいて、それ以外は四方まばらにお客さんが立っている。
<このあたりでいいかな…>
わたしはなんとなく中央の右の隅っこの方。その位置からでも十分和也くんの姿は見えるはず。ライブ前に鳴っていたBGMも知らないアーティストのライブ音源だったりで既に臨場感がある。
いよいよ『その時間』がやってきて、奥からバンドのメンバーゆっくり歩いてくる。センターのマイクの前に結構派手なメイクをした和也くんの姿が。
<もしかしたらちょっとV系のバンドなのかも知れない>
と思っているうちに最初の曲が始まって会場が盛り上がる。ざっと数えて会場には70名ほどいるんじゃないだろうか。和也くんのパワフルな歌声と歓声に気圧されながらも、カバーされたわたしの好きな曲に身を任せているうちに日常の色んなことから解放されたような気持ちに。
<そうなんだよね、こういうのがライブなんだよね>
和也くんは時々メンバーに視線を送り、彼らは笑い合いながら演奏を続けている。ドラムもかなりの腕前で、リズムがしっかりしているからなのか安心して聴いていられる。ハーブティーの効果もあるのだろうか、和也くんの声は伸びがあって高音部もよく出ている。
すっかり満喫してしまったライブの後半、MCの時間に和也くんがしみじみした様子でこんな風に語る。
「色んな『出会い』がありますよね。バンドも続けてきて色んな出会いがありましたけど、こうして今日皆さんと出会えたのも続けてきたからなんだなと思って、色んなことに感謝しています。そんな気持ちを曲にしてみました。『クローバー』」
出会えたことは奇跡なんだって 思う気持ちで
嘘はなくて 照れくさいだけ
そんなフレーズで始まった弾き語りのバラード。見た目はかなり派手ではあるけれど、どこか人懐っこい和也くんらしい素直な思いが旋律になって『わたし達』に届けられる。想いが本物だからこんな風に温かい気持ちになれるのだろう。ほんとうに心地よい時間だった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ライブが終わって、和也くんに『今日は楽しかったです!』とメッセージを送り、その場を後にしようとしたら『ちょっとライブハウスの外で待っててもらってていいですか?あと5分で行きます』とすぐに返信が来た。なんだろうと思ったけれど言われた通りにして待っていると、
「坂下さん!今日はありがとうございます!」
とメイクをしたままの和也くんが現れた。まだ残っているお客さんもいたので何だか恥ずかしい気持ちもしたけれど、和也くんはその時何かを手に持っていた。
「これ、姉ちゃんから預かってたものです。この間のハーブ、マローって言うんですけどそれとちょっと違う種類の『マシュマロウ』というハーブだそうです」
「これをわたしに?」
「試飲してみて下さいってことであんまり量は入ってませんけど、これも喉に良いんです。俺も今日飲んできました」
『ハーブ』という言葉にお客さんの一部が一瞬「え?」という表情をしたようにも見えたけれど、透明な袋に『白いマシュマロウの根』は怪しまれても仕方ない。わたしは慌てて、
「ハーブティーのハーブです!お姉さんが『SOLEIL』というお店のオーナーなんです!」
と周りに向かって説明する。和也くんはちょっと苦笑い。そのときわたしは和也くんに伝えた。
「『クローバー』っていう曲?オリジナルの。すごく良かったよ!」
彼はとても喜んで、「実は坂下さんとの出会いもあの曲のモチーフなんですよ」と告白。驚くわたしに、
「なんか坂下さんからは同じ『パッション』を感じるんですよね。理由はわからないけど」
と笑ってみせる和也くん。家で待つ『向日葵くん』にまた報告ができそうなエピソードだ。