第二話 薄蒼い夕闇の街にて
道中は和やかなものだった。
フィアナは年齢の割りに大人びており、また博識だった。ニートとは姉妹のように仲良く笑いあっていたが、フィアナのほうが姉に見えてしまうこともしばしばあり、カームとユリウスの失笑を買っていた。
ミラは武器の扱いに馴れていて、ウサギや鳥などを弓で射っては簡素なものになりがちな旅の食事を豪勢なものにしてくれた。宿屋に入るよりも野宿の時のほうが食事がいいと、元宮廷魔導師の養子であるユリウスをしていわしめさせた程だった。
次の街へ到着したのは、太陽が傾き始めた夕刻だった。
ここ二、三日野宿ばかりだった一同は早速街の人間に宿屋の場所を聞き出し、そこへ向かう。
紹介された宿は中の上といったところで、そう大きくもない寝台が窓際の壁に、その枕元にタオルとバスローブの積まれたチェスト、そして部屋の中央には小さいながらもテーブルと椅子が鎮座していた。テーブルの上には水滴のついた水差しとコップ、ティーポットとカップも伏せてあった。茶葉と湯は階下の食堂でもらえばいい。
あの値段でこの部屋は上等、と満足して、カームはベッド上に旅装を放り投げた。
しかし一息吐く間もなく元気なノックが響き、ニートが顔を出す。カームは苦い顔をして幼馴染を迎え入れた。
「……お前さ。返事する前にドア開けたら、ノックの意味ないって思わないか?」
「カームだもん、もしも着替え中に開けちゃったって大した問題ないでしょ」
あっさり云ってのけた少女はますます仏頂面になる少年に軽く笑って、ひらひらと右手を振って部屋を出る。
「夕飯行こうって呼びにきたのよ。ここの食堂、お客さんが多くってとても座れそうにないから、他のお店に行くんだって。すぐに来てよね、カーム」
「おー」
了解、と右手を上げて、カームは荷物も解かずに貴重品だけ持つと、しっかり部屋に施錠してニートの後を追った。
夜までまだ少しの間がある通りは、賑やかだった。
「ねえ、どんなお店なの? おいしい?」
顔を輝かせて訊ねるニートに、ミラが微笑ましいものを見るような笑みを向ける。
「ええ、このあたりの郷土料理なのですが、リブをオーブンで焼いて色々な種類のソースを掛けて食べるんです。豪快で美味しいですよ」
「へえ、アンタ前にも来たことが?」
やけに詳しいミラの話に突っ込むと、彼女ではなくフィアナが楽しそうに答えた。
「はい、もう何年も前ですが。デザートのアイスクリームも美味しいんですよ」
「うわあ、楽しみ!」
両手を挙げてくるりとその場で一回転する少女をかわして、カームは落ち着けと呆れて云った。
「人にぶつかるぞ、あんまりはしゃぐなって、っ!」
云い終わる前にバランスを崩した少女の肘がカームにぶつかり、それに彼がよろめいたとき、どん、と背中に強い衝撃を感じた。振り向くと通りすがりの人間にぶつかってしまったらしく、果物の乗った浅い籐の籠がもろともに地面に落ちてゆくところが視界に入った。
「あ、すまない!」
カームは慌ててしゃがみ込み、籠を拾い上げた。あちこちに転がった果実を拾って、一緒に手渡す。
「…………」
無言で籠を受け取ったのは、娘であった。年の頃はカームよりもやや上くらいだろうか。
濃い色の膚は熟したオリーブのような色と光沢を持っていて、すらりとしなやかな肢体は女性らしいまるみを帯びている。やや太めの眉にはっきりした目鼻立ち、黒褐色の艶やかな髪の、どこか異国的な娘だった。
ふと、娘の身体に目を落としたカームは、あちゃーと顔をしかめた。胸から腹にかけてが葡萄色に染まっている。見れば籠の中の葡萄の房が、ものの見事に潰れてしまっていた。
「悪い、潰しちまった……。とりあえず、これ、使ってくれ。で、えーと、葡萄、弁償するよ。これで足りるか……?」
洗濯屋の代金分も含めた、多少大目の額の硬貨とハンカチを娘に渡す。娘は硬貨の枚数をちらりと見て確かめ、小さく顎を引いた。
「……大丈夫」
道の端まで転がっていったオレンジを追いかけていたニートがそれを籠に入れて、娘に手を合わせる。
「カームが本当にごめん! 私たち、今夜は『歌う子犬亭』って宿に泊まるから、もし足りなかったらそこに連絡してくれる?」
「お前……」
無言で頷く娘にもう一度詫びて、カームたちは娘と別れた。
元はお前の所為だろうがと少女の後頭部をどつく少年、それを嗜める少年、笑って眺めている少女と女。
賑やかに雑踏に紛れてゆく一行。
その背を見送り、娘は鳶色の瞳からひかりを消して呟く。
「…………みつけた」