大罪人
男は生来サイコパスの気質を有していたようだ。整った容姿と優れた頭脳。その二つが彼の所業を成す材料になったことは間違いない。
彼はそのカリスマ性を生かし市民を騙した。演説を行い、不正に金を巻き上げる極悪人となったのだ。彼の気質故に、それまで何かしらの悪行を行っていても可笑しくはないが、表沙汰になったのはこの一つと後に語られる悲しい事件。その後述の事件が彼の悪行を世間に知らしめたのだ。
男には最愛の一人娘がいた。
妻には先立たれて残された一粒種。
男はその娘を溺愛し、娘もまた父である男を愛していた。理想の親子像だったと言う。
男は2人の付き人を侍らせて町外れの倉庫にやってきていた。男の演説を聴いて感銘を受けた青年に会うためだ。
青年がやってきた。自身を魅了した男を目の前に興奮気味だ。
男と青年はいくつか言葉を交わすと青年ははしゃぐように話しだす。しかし言葉を交わすうちに2人の様子は次第に変化。誠実な表情から嘲笑へと変わる男と、青ざめてその場から逃げ出そうとする青年。しかし時は遅く、静寂な町外れに響く銃声が青年の最期を告げた。
男は晴れ晴れとした表情で暗い倉庫を練り歩く。付き人から危険だと諭されるも聞く耳は持たない。案の定、ゴンッと鈍い音が響いた。男が突き出た鉄柱に勢い良く頭をぶつけてしまったようだ。付き人は慌てて男に駆け寄るが男の照れ隠しのように笑って誤魔化す様子に無事だと判断し安堵した。
すると倉庫の外から男を呼ぶ若い女性の声がした。
父と呼ぶ様子から娘であると分かる。
ここはついさっき殺人が行われた場所ではあるが、死体があるのは奥の方だ。気付きはしないだろう。
こんなところでなにしてるの?と首を傾げる様子は母似か父似なのか絵になるほどにこの娘もまた優れた器量を持ち合わせていた。
面識のある付き人二人は、娘に対して柔らかな態度で接してなんとか誤魔化しているようだ。なんとか煙に巻いてほっとする二人は不自然に沈黙を貫く男に視線を向けると、頭を抱える男が何かをぶつぶつと呟いていた。頭を打ったシーンを思い出した付き人が慌てて駆け寄る。男の目は充血しただひたすら、───違う、違う、違う
そう連呼する様子に二人は危険な状態だと判断したのか男を落ち着かせるように取り扱う。
その緊迫した様子に娘もまた焦燥気に駆け寄る。
娘が心配した様子で父の顔を覗き込もうとした瞬間。衝撃が走る。娘は男に押し倒され、そのほっそりとした首に指が巻き付くようにして絞められていたのだ。理解の追い付かない娘が苦しげに細められた視界から見上げるように覗いた父の顔は涙に濡れていた。目は血走り、硬い表情の中、不釣り合いな涙が、男が不可抗力であることをそれとなく物語っているようだった。
一瞬呆けていた付き人二人もようやく身を乗り出して娘から男を剥ぎ取った。
2人があなたの娘さんだと必死に告げるが男の体は止まらなかった。成人男性二人がかりであるというのにじりじりと娘ににじり寄る姿は異常の一言に尽きた。
呆然とする娘に付き人の一人が逃げるよう声をあらげると娘は後ろ髪を引かれるようにその場から駆け出した。父の姿を何度も振り返りながら。
そこから数週間が経った。
男はすっかり表舞台から姿を消した。唐突な出来事に世間は賑わうが、真実は知れない。
親子が食事をしていた。
久しぶりの対面だ。
食事は黙々と行われていた。
しかし娘はどこか楽しげでナイフとフォークが踊るように口へと運ばれる。
その器量溢れる容姿も相まって他人まで楽しくさせることは間違いないだろう。
テーブルを挟んで対面する男は世間に噂されるあの男であった。しかし以前のような才気溢れる様子はまるでなく、それどころか容姿そのものが大きく変質していた。
一回り大きくなった頭は禿げ上がり、ぎょろりとした目も、瞼が失くなったかのように大きい。ケロイド状に赤くなった顔はもはや人間のものとは大きく駆け離れた姿だった。
化け物のようになった男はなんとか正気を保っているのか、緊張した様子で食事を口に運ぶ。自棄に小さく見える食器具は重たげだ。
男の食事にはパン一つ、スープ一皿の中にもカプセル状の薬がびっしりと存在していた。その精神安定剤がこの黙々とした食事をなんとか成立させていた。娘の何気ない一言で男は衝動に駆られてしまうために娘は一言もしゃべらない。しかしその幸せそうな表情に男もまた釣られて笑う。
それを見た娘がからかうようなジェスチャーを男に向ける。幸福な一幕だ。以前はもっと賑やかで当たり前の食事風景だったが、これもまた幸せを噛み締めることのできる貴重な食事だ。
この食事も本来は行わないものだった。いや食事どころか、娘に会うことすら男は拒絶していた。内に突如として泡ぶくだった汚らわしい感情。娘を殺したくて殺したくて堪らない壊れた感情が抑えられない男は医者を頼った。表には出ることのできない訳ありの、しかし腕は確かな闇医者に。しかし原因は不明。脳にも臓器にもましてや精神鑑定においてもグリーン。カルテ上では男は極めて健康的な筈だった。しかし現れる容姿の変貌と娘に対する殺人欲求に医者もお手上げ。まるで呪いだと告げた。
効果があるのかもわからない精神安定剤を大量に処方してもらいなんとか娘の前にいられる状況下だ。最悪としか評せない。
そんな事を娘に人伝に伝えても返ってくる言葉は──会いたい──の一言。
娘からの必死のアプローチ、そして大量の処方箋があれば、その淡い期待から男は遂に短い時間のみ会うことを許可した。
しかし、その期待は愚かしいことだと今になって後悔していた。薬の効果もむなしく、沸き上がってくる暗い感情に男は焦り始める。なんとか平静を保って怖くないのかと問う。返ってきたのは満面の笑顔だった。
もう抑えることのできない男は厳しい形相で娘に飛びかかる。初めの凶行の焼き増しのように娘の首に指がかかる。しかし表情までは再現されず、娘の表情は苦し気でありながらも笑顔だった。僅かに涙を目尻に蓄えて。
思い出される娘の誕生からこれまでの日々。家のなかでの事、学校での事、旅行での事。アルバムの一つ一つが走馬灯のように男の胸を締め付ける。あともう少しで成人式だった。娘に綺麗なドレスを着させて式に出るつもりだった。もう少しで娘の晴れ姿が追加される筈だった。それを自分手で。告げずにはいられなかった。娘に対する想いを。その感情の想起が男の殺意を抑え、一瞬首を締める指を緩めた。
同時に娘が一つだけ呼吸を取り戻す。
言葉は重なった。
「「愛してる」」
男は数々の悪行をこの手で成してきた。しかし男はそれを悪いことだとは思わなかった。うまく成したお掛けで綺麗な妻を迎え、娘にも恵まれた。妻にも娘にも何不自由ない生活を届けることができていた。故に男にとってそれは悪行などではなかった。悪徳などではなかった。他人の事などどうでもいい。腕の中にある宝物さえ傷付かなければ私の人生は幸福なのだ。それが男の価値観だった。
男の自宅にて娘の死体が見つかった。その場にあった食器具から採取されたDNAの型から犯人はこの娘の父である事が判明。捜査に乗り出すも男の行方はついぞ分からなかった。
現場に残されたアルバムの背表紙には男の血液でメッセージが残されていた。
────私は大罪人だ。