第5話 真白たたき、1回につき2時間
「あ……気づきました?」
気を取り戻すと、背中に温かいものを感じる。ちょうど人の体温に近いような何か……。
横を向くと、真っ白いシャツがあって、上を向くと真白の微笑みが見える。ということは……。
「膝枕……?」
「は、はい。……もしかして、嫌いでしたか?」
「いや、そんなことはない……けど」
女の子の膝枕が嫌いな人はいないと思う。ないとは思うけど、生足直接に乗せられると体温を直接感じるというか。
「それなら、よかったですっ」
そんなことはいざ知らず、真白は安心したようにホッとした顔で僕に笑いかけてくる。
「あの……さっきのことは、もうお互いに忘れよう? そのほうが、いいと思うんだ」
僕の提案に対して、少し顔を熱くさせた真白は、
「わ、わかりました……そうしますね」
「うん。じゃあ服を買いに行く……けど、どうしようか。買うのは僕しかいないのは当然だけど……真白がどういう服が好きなのかわからないし……」
「私は、優太さんが選んでくれた服ならどれでも嬉しいですよ?」
「……まあそういう問題ではないんだけどね。それに僕、ファッションセンスは絶望的にないし、ましてや女性の服なんてわからないし……」
「それでしたら、私も猫の姿になって買い物について行きましょうか?」
「……え?」
「何か手提げかばんのようなものに入れてもらえれば、他の人に気づかれることなくお店の中に入れます。あとは服を見せてもらえれば、気に入ったものを合図で教えられるので、完璧じゃないでしょうか?」
なるほど……確かに猫なら外を歩ける。猫は服を着なくても目立たないからね。……ん?
「もしかして、猫から人間になるときって、必ず服を着ていない状態で変化するの?」
ふと思ったことを僕は尋ねる。
「はい。というか、もとの状態のまま変化します。猫の服を着たまま人に変化すると、猫の服を着た状態で人間になりますけど、サイズが合うはずないので破れちゃいますね。うまいこと人間の服を被った状態で変化すれば、その状態で人間にはなれますけど、着てはいないのであまり意味はないですね。最初のときは急いでいたので優太さんの目の前で変化しましたけど……外や人前では使いにくいんです、この力」
「へー……そうなんだ。まあ、いいや。とりあえず支度しちゃうから、真白は猫になっていていいよ」
「はいっ」
和室を出て、自分の部屋に上着を取りに行っていると、背中にあった人間の気配はもうなくなっていて、代わりに「ニャー」というこれまた可愛らしい白猫一匹がスタスタと歩き回っていた。
僕の家からショッピングモールは歩いて三十分くらいのところにある。札幌市のはずれにある僕の住む街は、住宅街が立ち並ぶ静かなところだ。地下鉄も通ってなく、交通手段は徒歩か車かバスか自転車か。今は冬だから、自転車は無理だけどね。いや、冬でも自転車に乗る強者はいるけど、札幌二年目の僕にそんな芸当はできるはずもない。大人しく歩きで向かう。
ショッピングモールの近くに僕が通う高校があって、そこの高校生は大抵放課後、これから行くショッピングモールで遊ぶ。ほんとに住宅しかないから、遊べるような場所がそこしかないんだ。
今日は休みの日だから比較的安全だと思いたいけど、万が一学校の誰かに見られると面倒だろうなあ。……これから僕はひとりで女性服をまとめて買うことになるのだから。
雪の積もった歩道をゆっくり踏みしめるように歩いていく。右肩にかけた手提げかばんのなかには、猫に戻った真白が僕の顔をじっと見つめている。
「……どうかした?」
近くに人がいないことを確認してから、僕は真白にそう話しかける。
「ニャーオ」
「やっぱり猫のときは猫語なのね」
僕、猫語は理解できないので、円滑なコミュニケーションは取れないだろうなと諦める。理解していたらそもそも雪山に落下するようなこと起きてないしね。
「ミャー」
「はいはい、そろそろ着くから、それまで我慢して」
一応カバンのなかにバスタオルを入れてはいる。そのままだと寒いかなって思って。気休めにしかなっていないだろうけど、ショッピングモールに入ったらしっかり暖房があるから、ブルブルと震えていた真白を見て僕はそう言った。
ショッピングモールについたのは正午過ぎ。朝ご飯を遅めに取ったからまだお腹は空いていない。とりあえずゆっくり真白の服を探そう。
暖かい室内にホッと感激を覚えつつも、緊張の面持ちで僕は有名なアパレルメーカーの店内に入る。
真白の見た目は僕と同年代だし、ほんとはセレクトショップ? とかで服を選んだほうがセンスはあるのだろうけど、なにぶん真白は服を一着も持っていない。こう言ってはなんだけど、質より量を求めないといけない今において高い服は買ってあげられない。トップス・ボトムス・下着は三着くらい買わないと服が回らないだろうし、上着だってひとつはないと寒くて外を歩けない。それにパジャマ、あと靴も。生活費に余裕はあるとは言ったけど、食費がふたり分に増えてもどうにかなる、くらいの余裕しかない。なので申し訳ないけど、お安いことで有名なみんなの服屋さんに入らせていただきます。
「……真白、着いたよ。適当に僕が服を取っていくから、気に入ったものがあったら教えて」
すると、カバンから真白は顔だけこっそり覗かせる。……やべ、なんか可愛い。SNSにあげたらいいねがたくさんつきそうな画だ。……人に見つかるとまずいんだけどね。
僕はレディースのコーナーで順々に服を手に取って真白に見せる。好きなものがあると僕のコートの袖を引っ張り、合図してくれる。その合図を見て、あとは家を出る前に色々と犠牲にして測ったサイズをもとに大きさを選ぶ。それの繰り返し。
……端から見るとなんか変なんだよね。きっと。僕も変だと思う。そもそもレディースのコーナーに高校生くらいの男がひとりでいるってこと自体不自然だし、それもかごのなかに結構な量の服を詰めているとなれば尚更。
ただ、別に万引きをしているわけではないので(猫を連れているという悪いことはしているけど)、そこは堂々としている。家でしていたことに比べれば他のお客さんの目線なんて気にしていられない。ここで僕が我慢しないと、真白は家で僕のシャツ一枚で過ごし続けることになるのだから。
真白も真白で、人が近くを通ると素早く顔を引っ込める。誰もいなくなったことを僕が合図するとまた顔を出す。モグラたたきならぬ、真白たたきみたいになっていて少し面白いは面白い。
トップス・ボトムス・上着・パジャマと選んだところまではなんとか順調に進んだ。進んだのだけれど。
「……避けてはいたけど、行かなきゃいけないんだよな……」
最後に残ったのは、下着だ。
男の僕が、単独で行くにはものすごい難易度が高い聖域。というか、こういう機会がなければ絶対踏み入れることはなかったと思う。
正直行きたくはない。行きたくはないのだけど……。
僕以外に買える人がいない……んだよ。覚悟を決めろ、北郷優太。僕が他人にどう見られようが、僕とその人はきっと二度と会わないから大丈夫だ。踏み込め、行けー。
まずはまだまともな上のほうから。ひたすら無心に色々な下着を真白に見せていく。多分さっきよりやばい奴になっていると思う。
……真白? はやいところ三つ選んでくれませんか? そろそろ僕、周りの目線に勝てなくなりそうなんです。無理です。やっぱり大丈夫なんかじゃないです。真白さん? 真白さーん? 何人かすれ違った女性に痛々しい目で見られて僕にダメージが蓄積していっているんです。真白さんってば。
僕のメンタルがゼロになりかけたとき、ようやく真白は僕のコートの裾を引っ張ってくれた。これで三つ目。……あとは、下のほう、か……。
こっちはほんとにササっと選んでもらいたい。もう限界です。
だと言うのに……。
真白はさっきの上よりも時間をかけてくれた。時間が経つにつれて僕の心臓はどんどん鐘を鳴らすペースが速くなるし、お願いだから早く選んで……。