二十九.どうやら魔王様とデートする事になったようです
サンクチュアリアプリには三つのエリアがある。
オレンジやクランが家を建てている聖なる川や森、大自然に囲まれた箱庭――クリアーガーデンエリア。
チェリーちゃん、ライム、ミリアンは動物や霊獣が生活しているアニマルフォレストエリア。
そして、アプリ内のイベントで偶然知り合ったマリアンヌさん、ベルさん、ナナシの執事さんの生活している闇の拠点がヘルブラックエリア。
エリアによって特徴も違っていて、育つ作物やハーブ、家の形や購入出来る衣装やアイテムが違ったり、ペットがそれぞれ聖獣、霊獣、魔獣と変化していたりと好みで拠点を選択出来る仕組みになっているのだ。
それにしても、まさかアプリ内で知り合った相手がリアルの知り合いで、しかも魔王グレイスとその執事フォメットだったとは……世間は意外と狭いものである。
もしかして、アプリ内でお友達のチェリーちゃんやマリアンヌさんもリアルで知っている相手だったりして。
という訳で、ベルさんことグレイスに誘われ、ヘルブラックエリアにて待ち合わせをする事になった。少し歩けば溶岩の海や、魔獣が放し飼いになっていそうな岩山など、見るからに危険そうな場所が広がっている。宵闇の時計台という、半球が宙に浮かんだような不思議な場所でベルさんを待つ。
ちなみにこのエリアに居て違和感がないよう、今日は星屑のドレスと月夜のティアラというイベントで入手した衣装を身につけている。銀河を纏ったかのように煌めくドレスは、闇の空間でも映える。燃えるような橙色の髪に赤い口紅を引いたわたしは、現実のわたしとはまるで別人だ。
「待たせたな」
「いえ、わたしも今来たところですよ」
わたしの前に現れたのは、紫色の瞳をした背の高い男。片目を眼帯で隠し、黒いビロードに執事のような衣装を身につけた男は魔族と言うより闇を纏った紳士だった。キレ長の瞳に見つめられると、思わず心臓が高鳴ってしまう。
「行こうか。見せたいものがある」
「はい」
ベルさんに自然と手を掴まれる。その手の感触にドキっとする。魔王様に連れられるがまま、ヘルブラックエリアの名所を案内される。七色の水晶が煌めく鉱魔の洞窟。滾る溶岩が空飛ぶ魚のように踊る溶炎舞の滝。まるで、魔族の国を本当に案内されているかのようだった。
空へと続く透明な回廊を上り、天上へ浮かぶエリアに到着すると、わたしとベルさんを歓迎するかのように、夜空を流星群が降り注いだ。
「綺麗……」
「アップルへのプレゼントだ」
魔族と人間の争いも、現実の柵も苦しみも、全てを忘れてしまいそうな星屑。嗚呼、この人は魔王だけど、心は綺麗な人なのかもしれない。
「ありがとうございます」
「それからもうひとつ」
ベルさんが指を鳴らす。すると、わたしが身につけていた星屑のドレスが深紅色のドレスへと変化する。サンクチュアリのプレゼント機能を利用して、グレイスがわたしに贈ったのだろう。胸元が少し強調されたドレスに赤いハイヒール。
突然わたしの格好が、少し妖しさを魅せる格好へと変化し、思わず胸元を隠して驚くわたし。この衣装には既視感があった。……そうだ、あの時、夢で妖しく嗤ったわたしが身につけていたあのドレスだ。
「ちょっとベルさん、これ!」
「現実でも同じものを侍女に作らせている。妃に迎える時に贈る予定のドレスだ」
そう言うベルさんはわたしに近づき、胸元へ宝石が入ったネックレスをつける。ベルさんの顔が近い。首筋に吐息がかかり、思わず頬が熱くなり、背筋がゾクリとする。その宝石は、吸い込まれるような美しい紫色だった。
「ベル! こんな高価なもの、いただけません」
「何を言っている。ここはバーチャルだ。それにその宝石、ソーシャルディスタンスがある状態では、現実で身につける事は出来ん」
「え? それって」
「闇の魔力を纏っているからな」
そうか。そもそも手を繋いだり、こんな至近距離でグレイスに迫られた事すら今までなかったのだ。MRの世界だからこそ出来る芸当。後悔してももう遅い。魔族の国へ行くより、此処なら安全だと思っていたのだから。
自然と魔王様との距離が近づき、結界のないわたしは抵抗しようにも無防備で。首筋にかかるベルの吐息は温かく、彼はわたしへつけたネックレスを持ち上げ、わたしの瞳へ映るように見せる。
「ドレスもネックレスも、オレンジの美しさをより引き立てる飾りに過ぎん。本来ならば、現実のアップルへ贈るつもりだったが、仕方あるまい」
「こんなの、駄目ですよ、ベルさん」
「駄目と言いつつ、顔は真っ赤だぞ」
「だって……こんなに近い」
ネックレスの紫色に吸い込まれるかのように、だんだん意識が朦朧として来る。駄目よ、アップル。正気を保たなきゃ……。そうよ、きっとこれは闇の魔力のせいなんだわ。普段、遮断している分、直接影響を受けたに違いない。それに、眼前のベルは、わたしへ危害を加えようとしている訳ではない。
だから……このまま身を任せても……。
「グレイス……」
「アップル」
自然と現実の名を呼んでしまっていたわたし。全身が熱に絆されたまま、彼の唇がだんだんと近づいて、私の柔らかい部分と重なって……。
《――強制ログアウトしました》
「え?」
目の前が一瞬にして真っ暗になった。え? 嘘? 何が起こったの?
慌ててMR用のヘッドセットを取り、魔法端末の画面を確認する。
《バッテリーが5%を切りましたので、スリープモードへ移行します》
「ぇぇぇえええええええ!」
思わず自室で叫んでしまったわたし。魔法端末を充電用のスタンドへ立て掛けるも、もう遅い。サンクチュアリアプリは落ちてしまっていた。と、同時。魔法端末側にメッセージが届く。
『アップルよ。少し刺激が強すぎたか? 大人の女であるお前ならこの程度余裕だと思っていたが、次回はもう少し段階を踏む事にしようぞ』
グレイスからのメッセージを見たわたしは、そのままベッドへ飛び込み枕へ顔を埋める。
「もう……何やってるのよ、わたし」
あの場の空気に流されてしまったわたしも悔しいし、一番いいところで回線が切れた事で、余計になんとも言い切れない感情が溢れて来て一人悶えてしまう。あの瞬間、あのグレイスになら……と思ってしまったのが悔しい。わたしはソーシャルディスタンスがないとこうも丸腰になってしまうのか? これは反省だ。次に活かさないと。
「アップル~? 何か叫び声聞こえたけど、大丈夫~?」
「え? あ! レヴェッカ、大丈夫よ! 気にしないで!」
部屋の外からレヴェッカの心配する声が聞こえ、平静を装い返答するわたし。
MRをする時は、周囲の環境に気をつけてやりましょう。そう心に誓ったわたし、アップルなのでした――




