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月に兎がおりまして  作者: りずべす
壹、 天兎
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天兎⑥

 昼休みになった。俺は例のプリントを職員室に届けたあと、食堂の購買で手頃なパン二つと飲み物を調達した。この学校の食堂は毎日例外なく混み合うが、俺の場合はいくらか人除けが効いて買いやすい。はじかれ者の数少ないメリットである。

 とはいえさすがに、食堂でそのまま席を取ろうとすれば待つことになる。それを見越して盆に載せるメニューではなく持ち運べるものを買ったのだからと、俺はすぐに踵を返した。

 なるべくひとけの少ない場所を求めて彷徨っていると、廊下の反対側から歩いてくる人物に視線がいく。女生徒二人。うち一人は遠目でも見紛うはずない、月見里紅音だ。友人と楽しそうに談笑している。やがて俺との距離が縮まると、ごくごく自然に声をかけてきた。

「こんにちわ、宮東さん。職員室からの戻りですか?」

 会話を中断されたもう一人は少し怪訝な顔をしていたが、おそらく理由は、その相手が俺だということの方が大きいだろう。

「ああ、ついでに食堂に寄ってきたところだ」と手元のパンと飲み物を見せる。

「そうでしたか。食堂は、混雑していましたか?」

「まあな。あそこはいつも混んでるよ」

「私もこれから行くところなのですが、では、覚悟して参ります」

 月見里は冗談交じりに目尻を丸め、軽く拳を握りながら俺を見上げて笑う。その柔らかい笑みに誘われ、俺はふと気になったことを口にした。

「食堂に行くのか? 月見里、今日は弁当じゃないんだな」

 俺の知る限り、彼女はいつも弁当持参だ。可愛らしい小さなお弁当箱を、教室の机に広げて食べていたはずだが。

「そうなんです。入学してから一度も使ったことがないと言ったら、部活の友人が一緒に行こうと言ってくれまして」

 その友人というのが、隣の女生徒なのだろうか。

「一度も? それは珍しいな」

「はい。部では私だけでした。普段は家がお弁当を持たせてくれるので、行く機会がほとんどなくて」

 食堂は混雑するからあまり使わないという生徒もいるが、それでも今や、入学して一年以上経った。初めてというのはなかなかレアだ。

 しかしまあ、月見里であれば、あながち頷けないこともない。

 まずもって彼女は弁当を忘れることなどなさそうだし、仮にそういったことがあったとしても、家から届けなんかが寄越されそうだ。彼女の家は大層な豪邸で、使用人までもがいるという。いったいどこまでが本当かは知らないが、そういう類の話をよく耳にするのだ。彼女の立ち居振る舞いは非常に令嬢然としているから、自然と周りも信じてしまうのだろう。

「宮東さんは、食堂では食べなかったんですね。やはり混んでいるからですか?」

「まあ、そうだな。あと……一人だとちょっと目立つんだ」

 主に悪い意味で。自意識過剰では、ないと思う。

 しかし俺はすぐ、口にしてしまったことをはぐらかすように、ぎこちなく笑う。

「もし食堂に行くなら、もう少し経ってからの方が空いてるよ。あそこは昼休みになってすぐが、極端に混んでるから」

「そうなんですね。では、少し時間をおいて行ってみます」

 対して月見里の笑顔の、なんと自然なことか。

 俺はその笑顔を数秒見つめ、すぐに我に返って歩き出した。

「じゃあ、またな」

「はい。よろしければ、今度、食堂ランチをご一緒しましょうね」

 去り際、彼女のその言葉に俺はドキッとした。なんなら俺よりも隣の女生徒の方が驚き顔で月見里を振り返っていたが、内心そうしてしまいそうな気持ちは俺も同じだった。

 ……世辞か? さすがに世辞だよな?

 しかしそれを確かめることなどできるわけもなく、俺は足早に彼女たちから離れる。少し距離ができたところで上階への階段に曲がると、俺たちのやりとりをずっと横で見ていた隣の女生徒が、にわかに声を高くして尋ねるのが聞こえてくる。

「嘘!? ねぇねぇ紅音ってさ、宮東くんと仲良かったの?」

「そうですね。以前、学校の外で少し話す機会がありまして、それから――」

 俺が階段で上へと進んでいくにつれて、彼女たちの会話は聞こえなくなっていった。

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