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月に兎がおりまして  作者: りずべす
壹、 天兎
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天兎③

「んなこと急に言われても困るって!」

 大仰な仁王立ちで告げられたアオの要請。対する俺の感想は、これだ。

 当たり前だ。月の光をたくさん浴びた食べ物なんて、どこに行ったら手に入るのか検討もつかない。どの店も、そんな文句で物を売っていたりはしないのだ。

 しかし、アオにそう伝えようと俺が口を開きかけたとき、ふと脳裏に浮かぶものがあった。

 それは家の台所の隅に置かれた、とある箱たち。

 この家に一人で住むようになって丸二年。それまでじじいが管理していたものについて、俺は少しずつ把握してきているつもりだが、未だによくわからないものは多い。

 これもその一つ。ちょうど今くらいの時期になると、どこからともなく送られてくる、蓋付きの、妙に精巧で内布まで貼られた立派な桐箱。

 受け取ったまま何段も積み重なっているその中身は、なんと酒だ。大瓶の前面にバッチリ貼られたラベルには、見た目に劣らぬ大層なブランド名「みつき」が楷書で記されている。嘘か真か、よくよく月光に当てられた米を原料とする純米吟醸。

 俺は飲んだことがないが、じじい曰く絶品らしい。入院するまでは好んで飲んでいたし、去年に至っては、わざわざ俺に病院まで運ばせておいて看護師に止められていた。

 試しにそいつをお猪口と一緒に持っていくと、アオは一口で気に入った。外見からして飲酒が合法か違法か微妙なところだが、考えてみれば兎に人間の法は関係ない。

 アオはそれから瓶の酒をいいだけ――とはいえせいぜい四、五杯ほどだったが――飲んでへべれけ上機嫌だった。ユエとやらを補給する以前に、アルコールに脳をやられてやいないだろうかと疑う俺の横で、アオはお猪口を弄びながら言う。

「何よ紫苑。食事中のメスを無闇に見つめるものじゃないわよ。それともあんたも飲みたいの?」

 こちらの視線に気づいている様子がなかったので少し驚く。上気した顔に反して、案外思考はまともなようだ。口調も平時とさほど変わらない。

「安心しろ。この国では、未成年じゃ酒は飲めないよ」

「みせー、ねん? よくわかんないけど……こんな美味しい水が飲めないなんて、可哀想ね」

「水ってお前……酒を知らないのか?」

「そうねぇ。こういう、身体が熱くなるお水? みたいなのは、初めて飲んだわ」

 どうやら月には酒がないらしい。また一つどうでもいい知識を得る。

 いや、そんなことより。

「んで、肝心のユエとやらは補給できたのか?」

「ん? まあ、ぼちぼちかな。ひとまず経口で摂取するには十分な量だったわ」

「そうかそうか。そりゃあ、よかったよ」

 俺の淡白な返しにアオは「さてはあんた、信じてないわね?」と訝しげな顔を向けてくる。

 もちろんのこと、半信半疑だ。偶然とはいえ彼女の所望のものを探し当てたのだから、信じる信じないまでは俺の自由である。

 それから俺は、アオに家の中を軽く案内し、生活の流れを一通り説明した。一応相手は客だから、家事や雑事を手伝わせるわけにはいかなくても、せめて自分のことは自分でやってもらいたい。代表的なのは着替えとか風呂とかだ。

 ついでに話の過程でこいつの生活能力を探ってみたが、率直に言って非常に際どい。まず読み書きができない。しかし幸い、会話はほとんど問題ない。シャワー、ドライヤー、冷蔵庫やテレビその他の現代的なあれこれには、はしゃぐ威嚇するの大混乱だが、それでも覚えは早く、立ち居振る舞いや社会的な常識はそれなりにわきまえているようだった。

 最後に、部屋を一つアオにあてがった。しかし結局、これは無駄に終わった。

「寝ている間は、月の光を浴びたいの。南向きで窓の大きな部屋がいいわ」

 というのが彼女の要望だったのだが、いくつか部屋を吟味した末、条件に合うのが俺の部屋しかなかったのだ。

「仕方ない。諦めてくれ」

 と言ったら、片足をタンッと鳴らし

「あんたはあたしを殺す気か!」

 と返されて俺は閉口した。天兎にとってユエは生命線。食事による摂取には限界があるらしく、月の光を浴びるのだけはどうしても欠かせないらしい。

 そしてどうなったかといえば、彼女は俺の部屋に頑として居座った。主に窓際を陣取り、夜はそこに布団を引くか、兎の姿になって座布団で寝ると言い張った。もう勝手にしてくれ、と内心で思う。

 そんなこんなで土曜日は暮れ、日曜は、前々からじじいに言われていた境内の掃除を一日かけて行った。

 アオは時たま戯れに喋りにきたが、大半の時間は部屋の窓際や境内の本殿、社務所の屋根の上などで、日光浴ならぬ月光浴をしていた。新月の前後は月も昼間に出ているからだろう、アオはできるだけその光の届く場所にいて、まさに日向ぼっこそのもののようだった。

 口は随分と達者だったとはいえ、保護されてからまだ数日。体調が万全ではないのは明らかだ。眠っていると気が緩むのか、たびたび頭からはピョコっと、折れた白い耳が現れては風に揺れる。

 そいつを視界の端に捉えながら、俺は改めて、妙な奴を拾ってしまったと思った。

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