第1話
「?」
気付くと僕は、なんとも〝異様〟としか言いようのない――広大な部屋の中央に立っていた。
「さむっ……」
部屋の中は冷やりとした空気が漂っており、半袖一枚じゃ少々肌寒い。僕は腕をさすりながら、ぐるりと部屋を見回して、部屋の様子を確かめる。
部屋の壁は黒紫色の煉瓦のようなもので構成されており、所々にある隙間から赤黒い煙が噴き出ている。ただし、僕の向かい側の壁だけは黒い靄のようなものがかかっており、奥に何があるのか見ることができない。
床には幾何学的な模様の刺繍が施された紫色の絨毯が敷き詰められ、上を見ると高い天井から巨大な黒い半透明のシャンデリアが吊り下げられていた。
僕以外誰もいない。物音もしない、静謐な雰囲気の部屋だ。ただならぬ感じはするが……なんなんだろう、ここは。
「ていうか僕……車に轢かれたはずじゃ」
何となしに呟いて、自分の体をよく確認する。
手足胴体頭――どれも欠けることなく無事だ。
足には絨毯を踏みしめる柔らかな感触があるし、視界もご覧の通り良好だ。試しに指を鳴らしてみるも正常に音は聞こえ、くんくんと部屋の匂いを嗅ぐと微かなお香の匂いが鼻を通り抜ける。
五感がある。
「生きてる……のか? 僕は」
「いいや、死んでおる」
僕の何気ない独白に、黒い靄の奥から返事があった。その声にはどこか艶があり、若い女性のもののように聞き取れた。
……人がいる?
同時にパッ、と正面にある黒い靄が晴れ、どこからか差し込んできたスポットライトが二人の……人……影……? を照らし出した。
「ようこそ、わらわの冥界へ」
現れたのは、国が軽く二つや三つ傾いてしまいそうなほどの美女と、全身を漆黒の鎧で覆った六メートルはあろうかという巨人だった。
「デカァァァァァいッ説明不要‼」
「な、なんじゃ……」
しまった。あまりにもデカいので、つい叫んでしまった。
何がデカいって、二人ともデカいのだ。巨人の方は言うまでもなくその体躯が。そして美女の方は――一部だ。一部がデカい。ものすっごい隆起を見せている。何者だ?
美女は青紫と白を基調とした胸元の大きく開いたひらひらとしたドレスを纏っており、頭の上には漆黒に〝光る〟大きなティアラをのせていた。腰まで伸びている髪は紅紫色に染まっており、綺麗に姫カットに切り揃えられている。
背丈はそこそこあるようだ。巨人が隣にいるからある程度小さく見えるが、それを差し引くと僕の肩くらいの高さはあるだろう。
雪のような白い肌と衣装の暗い色合いが逆に非常にマッチしていて、それが美貌の完成度をさらに上の領域にまで昇華させている。
もはや神々しさを感じるほどの美しさだ。
吸い込まれてしまいそうだ。
吸い込まれたい。
「こちらから紹介させてもらおう。わらわはこの冥界の具現たる神――冥神パースフォン。そして隣にいるでっかいのが、冥府軍総司令サイクロプスじゃ」
「サイクロプスです。パースフォン様と比べると格は劣りますが、一応私も神に属す者です。よろしくお願い致します」
美女――パースフォンの紹介を受けて、慇懃に頭を上げるサイクロプスという巨人。
フルフェイスの兜まで装着しているためどういった容姿をしているのか一切分からないが、その横幅の広い体格から鎧の中身は相当鍛えこまれているであろうことが窺える。
漆黒の鎧には非常に細やかな神秘的な意匠が彫り込まれており、腰には陶器のような灰白色の剣を下げていた。その体躯の大きさを除けば、どこかの漫画に出てくるダークヒーローのようだ。
それにしても――冥界か。
僕は、やっぱり死んだんだな。
まぁ当然か。五感があるのでワンチャンス生きてるのでは、なんて思ったが、考えてみればこの部屋は不可思議な現象が多すぎるもんな。
そうか……死んだのか……。
「どうかしたかの?」
ぼけーっと立ってる僕が変に思えたのか、小首を傾げてそう僕に問うてくるパースフォン……様?
そういえば、さらっと言ってたがこの人たち神様なんだよな。死んでるせいなのかそれとも感覚が麻痺してるのか、はたまた信仰も何もあったものじゃないからか。実物を見ても大した感動は得られなかった。
神様相手の作法なんて全然分からないが、ここは一応頭を下げておくべきだろうか。
「え……っと、伊木田怜です。こちらこそよろしくお願いします」
「そう畏まるでない。決して悪いようには致さぬゆえ」
礼をする僕に対して、パースフォンはひらひらと手を振って応じる。これで正しかったのだろうか? とりあえず言われた通りに、顔を上げる。
まぁ、下手に出てまず間違いはないだろう。なにせ相手は冥界の神だ、不興を買えば即裁きなんてことになったりするかも――
「そうですよ、むしろ頭を下げなくてはならないは私たちの方ですから。今回の件は、申し訳ありませんでした」
――しれないのだが、なぜかあっちの方も頭を下げ始める事態になった。
「うむ。サイクロプスの言う通り、今回其方には迷惑をかけるの。このようなケース、今までなかったものだから」
パースフォンの方も頭こそ下げないが、何やら申し訳なさそうな雰囲気を出している。
それに……今までなかったものだから?
「面倒だからといってシステムに魂の管理を丸投げするからこうなったんでしょう、パースフォン様」
「うぬ。い、いいではないかえ、別にこれで今まで上手くいってたんだしィー」
「でも今回は上手くいかなかったではありませんか。そのせいでこの方に大きな迷惑をかけてしまったのですよ」
「ぐ、うぬぬ。でも、こんなのはレア中のレアケースであろう! わらわ悪くない!」
……レア中のレアケース?
二人(?)の言い争いは続く。しかしそんな中で放たれた特定のワードが僕の脳みそを鷲掴みにし、思わず僕は――
「すごいんですか?」
「えっ?」
口を挟んでしまった。
すると二人はポーズをかけたように言い争いを止め、こちらにきょとんとした顔を向けた。
「すごいんですね?」
「ま、まぁすごい……と言えば確かにそうだの。こんな不可思議な現象、起こそうと思っても起きるものじゃないし」
「具体的に何がどうすごいんです?」
ずい、と一歩パースフォンのもとへ詰め寄る。
もっとそのレアケースの話が聞きたい。僕のどこがどうレアで、どう普通とは違うんだ?
詰め寄ると、パースフォンは気圧されたように一歩後ろに下がる。
無礼だろうか?
いや、そんなこと今はどうでもいい。
「とはいっても、冥界のことじゃ。いきなり言って分かるものかの……」
「ぜひ、聞かせてください」
もう一歩詰め寄る。例によって、パースフォンは前を向いたまま後ろに下がる。
パースフォンの後ろには、黒紫の煉瓦の壁が差し迫っていた。
「でも」
「聞かせてください。早くしろ」
もどかしくなってしまい、バンッ、とパースフォンの顔横の壁に手のひらを叩きつける。
「ひゃ、ひゃいっ!」
若干上ずったような口調で返事をするパースフォン。
怒られるんじゃないかと一瞬思ったが、そんな気配はまるでない。
確認するためか、パースフォンは叩きつけられた僕の手を横目でちらりとみて、そしてなぜかごくり、と唾を飲み込む。
「ま、まず一から説明するとだな、冥界はわらわの作ったシステムで管理されておっての、冥界に来た魂は適性区へ勝手に割り振られるようになっているのじゃ。だが、其方の場合は少々レアケースのようでの。システムでは扱いきれずに、はじき出されるようにこの審判の間に呼び出されたのじゃ」
「ほう。それでそのレアケースとはなんです?」
「ぁ……」
壁から手をどかし、一歩引いて話を聞く姿勢を改める。その際パースフォンの目が僕の手を追っていたが、やはり怒らせてしまっただろうか?
「……其方の魂なのだが、どうやら其方のいた世界とは別の世界に繋がっている――というより、引っ張られているようでの。具体的に言うと、別世界の何者かが何らかの方法で其方を召喚しようとして、でもその召喚が成立した瞬間に其方死んじゃったものだから、其方は死んではいるが魂はその別世界に呼ばれ続けている……みたいな」
「要するに、何者かの召喚術と伊木田さんの死が同時に起こることでバグが発生した、みたいな感じですね」