閑話 いにしえのエルフ
エルフたちの集会。
それはエルゼの報告が発端だった。
「エルゼの報告によると、アーニー殿は【森の隠者】様の養い子であられ、マエストロ殿たちと一緒に亜人解放戦争の一夜城を作成し、多くの亜人を救ったということになるが」
「はい。その認識で間違いございません」
名前の無い町のエルフたちの長である男は唸った。
「多くの亜人が救われたあの戦争。ドワーフたちの英雄である【巨匠】殿。我らエルフは何の力もないと歯がゆい思いをしたが……」
「【森の隠者】様の智慧を持つアーニー様のご助力があればこそ可能であった奇跡にございます」
エルフ達に激しい動揺が襲った。
彼らの歴史がまた一つ明らかになったのだ。
「なんということだ。我らの歴史も書き換えねばならぬ程の情報だぞ、これは!」
「はい」
「我らが苦難の時、【森の隠者】様の助力があったのだ、確かに!」
亜人解放戦争の生き残りはこの町にもいる。
エルフは他の部族には冷淡と言われている。そもそも助力できる余力を持つ部族など、そうないのだ。
かつての長老が実は自分たちに手を差し伸べていてくれた――まさに歴史を塗り替える情報だった。
自分たちは決して見捨てられた棄民ではなかったのだ、と。
「間違いなく。私はそれを耳にしたとき、目眩がしました。【巨匠】様の言葉を信じるならば、ですが」
「それを疑うものはおるいまいよ」
エルフもまた、イリーネとロジーネとともに活動している。
とくにエルフは手先が器用なこともあり、ロジーネの指導を受けている者が多い。
「やっぱり俺が言った通りだ! アーニーさんはエルフだったんだ!」
お調子者のエルフが言った。
「黙りなさい。そんなふざけた話……とももう言えぬな、お前は正しかったかもしれん」
長にそういわれ、ふざけた調子のエルフが顔を真っ赤にした。いつも通り怒られるのを覚悟して茶化すつもりが、意外な反応だ。
「その子は事実を言っていたんじゃな。そう、彼はいにしえのエルフの心を持っていると私も思う」
この町の長老の一人、おばばがそういった。
お調子者エルフは周囲の者にどや顔をしている。
「アーニー様は魔法都市学園では無能の烙印を押され、人間たちの迫害にあっていたそうです。人間など、ただの多数派に過ぎないと仰ってました」
エルゼが冷淡に告げた。人間に恨みはないが、数で群れる人間たちは嫌いだった。
「エルフの考えだな、それ」
ディーターは呆れた。人間の人間批判は珍しい。
「あのよ…… ちょっといいか」
別の男が立ち上がった。
「いいぞ」
「ディーターとおばばが話し合ったとき、精霊への感謝とかの話あったろ」
「まさに【森の隠者】様のお智慧であらせられるな」
おばばが感慨深く言った。
「おう。それの話なんだが。うちの10歳になる娘がな。それが気にいったらしくて。水や風や木々にありがとう、って言っていたんだ。悪いことじゃないから止めなかったしな」
「うむ」
「そんでさ。一週間前、うちの娘が水の川に落ちてしまったんだ」
「なんと! 無事だったのか」
長老が気にした。エルフは子供が少ないのだ。
「水の中からな、女の姿をした、半透明の精霊が助けてくれたんだ」
「なんだと! 魔法も使ってないのにか」
「俺も腰が抜けそうだったぜ。そしたら今度は風の乙女まで現れてよ。娘の服をあっという間に乾かしてくれたんだぜ。娘がありがとーって手振ると、二人とも手を振り返して消えていった」
「精霊が自ずと実体化するなど、ありえないじゃろうな、普通は」
「あるんだよ、いるんだよ。精霊は。あんな姿みたら、魔法の源じゃなくて。隣人だってことがな、わかった。俺は無理だが、娘はもう話せるんだ。どれだけ凄いことか」
「お主の驚きは分かるぞ。娘は魔力が高いであろう。ただ、その扉を開いたのはアーニー殿の教えに違いないて」
「俺はそれを疑わない。あの人がいにしえのエルフだってんなら、むしろそっちのが納得行くぜ」
それだけ言ってエルフの男は再び座った。
「今更いちいち、万物の感謝など我らには無理だ。しかし子供なら――アーニー殿のように幼少の頃から自然に備わっていたなら? 照れも懐疑もなしに、それが当たり前だとしたら?」
「アーニー殿はいにしえのエルフじゃろうな。昔はたくさんいたのじゃよ。私も反省せねばならぬ。その心を伝えることができなかったのだから」
おばばは悲しげに目を伏せた。
「ありがとう。大変参考になった。――我らは今、恵まれた環境にいるということがよくわかった」
「長の言うとおりじゃな。ディーターよ。お主、わかっておるのか?」
「え? 俺ですか?」
「そうじゃ。お主はアーニー殿と一緒に働いておる。お主こそ、この町のエルフで【森の隠者】様の智慧を継ぐ者になっておるのだよ」
「確かに。森を拓く速度。森が育つ速度。文明と消費。色んな考えを現在教わっている最中です」
「昔、【森の隠者】様は仰っていた。我らエルフとて所詮人と同じ形をしているもの。程度問題にすぎぬ。動物や木々の命をいただきながら、共生への道も模索しなければならぬとな」
「はい」
「そして森林との共生は今我らに託されておる。今まで以上に、向き合わないといかぬぞ」
「心得ましてございます」
ディーターが深々と頭を下げる。
「確かに私も最近は精霊と会話できるようになりました。アーニー様のお側にいるからでしょうね」
エルゼはアーニーと一緒に、竈の火を興したり風呂の水加減を調節している。彼が不在の時、精霊にお願いしてみると、意外なことに反応が返ってくるようになったのだ。
「お主もまだ若い。精霊と会話できる者などめったにおらん。その交流、大切にするんじゃぞ」
「はい」
エルゼは目を伏して頷いた。アーニーは様々な可能性を彼女にくれる。
「エルゼよ。お前が嫁ぐと宣言したとき、私たちは二つに分かれてしまった。お前が正しかったということだな」
「皆様が私を心配してくださっていることは重々承知しておりますよ」
「しかし、今やお前が我らの希望だ。我らの――英雄なのだ。アーニー殿は」
長が遠い目をした。
「実は私は一夜城をこの目でみたことがある。もうだめだ、と思った。籠城も長くもたないと。ドワーフたちと食べ物を分け合って生き残ると励まし合った」
「初耳です」
「言ったことがなかったからな。――そして突如現れた巨大な城壁。援軍の鬨の声。帝国兵たちを押し返してくれた、王国軍。数は多くなかったが、彼らは勇敢だった。あの城塞を作ったのがイリーネ殿とアーニー殿」
万感の思いがこもっていた。
「手のひら返しと笑うがいい。私はアーニー殿とお前の子の誕生を心待ちにしている。その子は、あの戦いで生き残ったエルフたち全ての宝だ」
「笑いません。ありがとうございます。まだまだ時間はかかると思いますが」
「急ぐ必要もあるまい。お前が彼の側にいてくれたら。――それが我らの希望になる」
「はい」
エルゼはこうなることはわかっていた。
アーニーは自分を過小評価しすぎなのだ。
「アーニー様は私のことを大事と仰ってくれました。大事だからこそ、手を出してこないのです。ウリカ様もいらっしゃいますしね。自分が定命だということを気にされているんですよ。大切にされている自覚はあります」
「ああ、アーニーさんをエルフにしたいなあ!」
「私もいったんですけどね。なりたくないじゃなくて出来ない、って言ってました」
「そこは大きな違いだな」
「はい。皆さん、私は今もこれからもアーニー様とウリカ様を愛し続けます。それはきっと――エルフ族にとって大事な使命になったと思うのです」
エルゼが皆に語りかけた。
異論を唱える者は、誰一人いなかった。
これでもう、邪魔する者はエルフにはいない。
エルゼは遂に全ての同族を説き伏せ、種族の同意のもとにアーニーの元に居続ける立場を手に入れたのだった。




