エルゼの追憶
疾走するアーニーと追随するエルゼ、
二人は光柱に向かっている。
(ウリカ様のためにもがんばらねば)
俊足のアーニーがエルゼにペースを合わせている。彼女は少しでもスピードを上げるために呪曲を奏で、補っていた。
(アーニー様たちは本当に…… 追いつくのが大変ですね)
それは実力的な意味で――
(昔、私がアーニー様のことを嫌っていたと知ったら、お気を悪くされるでしょうか?)
助けられる前、以前のことを思い出していた。
兄であるディーターと彼女は二人きりの兄妹だった。
一族は西にある帝国の亜人狩りに合い、西へ西へ逃げていった。
とくにエルフは美しく、賞味期間も長い。男女問わず高く売れるので格好の餌食だった。
両親も死んだ。
両親が残してくれた遺品は生きるために食べ物になった。
時には彼女の美しい銀髪でさえも、売った。
ただでは誰も助けてくれない。
何かを得るには、何かを失う。
何かを維持するにも、何かを失う。
兄妹に刻みつけられた教訓だった。
何かを無くすたび、彼女は表情を失っていった。
ディーターは心を痛めたが、どうすることもできなかった。
それでも兄も妹も、全てを手放してでも生きる決意をした。
名も無い町にたどり着いた時、町は難民だらけだったが、彼らを快く受け入れてくれた。
町のエルフ族は、様々な氏族の寄せ集めである。彼らはこの町のエルフ氏族として生きることを決めたのだ。
ここはエルフもドワーフもハイオガーもフロレスも、フェアリーや少数のダークエルフまでいた。
皆最後の寄る辺としてこの町を選んだのだった。
まさか吸血鬼公が統治しているとは思わなかったが、等しく平等である理由もまた知った。
この町で冒険者として吟遊詩人をやっていくことを決めたのも最近だ。兄は反対したけれど、彼女の意思も強固だった。
魂位が高くない彼女は、支援職に向いていると判断したからだ。低レベル帯では苦労するだろうが、レベルも高くなれば安泰だろうという判断だ。
そんな中、兄が最近変わった。
話題はマレックが後見人をしている、ウリカという少女が連れてきたアーニーという男だった。
たまたま森であった縁で、色々教えてもらうことになったらしい。
兄の価値観を根底から揺さぶる出来事だった。
技術を惜しみなく教えてくれるというのだ。
同じエルフでも、数十年かけて仕えないと教えてもらえないような技術を、だ。
エルフとドワーフの伐採問題も、エルフ管理という破格の条件をもぎ取って、そのままディーターに譲られた。
もちろん、ディーターがエルフ族と共同で管理する。
領主であるマレックと窓口になっただけでも、エルフ族の序列としてはかなり上位になる。
エルフは長命だ。ゆえに序列には非常にうるさい。この町はまだ、極めて緩いほうなのだ。
その技術の権利も、何も要求しない。
友人から対価は受け取りたくない、という理由でだ。
兄は心酔しきっていた。
ある日、兄からブローチが贈られた。
それは、彼女が旅で失った、両親の遺品にとてもよく似ていた。
「これは?」
「仲良くなったドワーフと一緒に作ったんだ。その、あれとまったく同じはまだ無理だけどさ」
「ありがとう、兄さん」
誰が見ても分かる素晴らしい一品ものだ。
久しぶりに頬が緩んだ。兄の気持ちが嬉しかった。
「礼ならアーニーさんとドワーフに向けてやって欲しいけどね。エルゼが喜んでくれたら嬉しい」
はにかむ兄の笑顔をみて、胸が痛んだ。
またアーニーなのか、と思ったからだ。
日々アーニーの素晴らしさを語る兄。エルゼは嫉妬を覚えずにはいられなかった。
幾度となく紹介したいと言われても、拒否を貫いた。
そして運命の日を迎えた。
助けられた日。
様々なものを差し出し、永らえた命が終わる予定だった日。
オークに持ち上げられ、絶望のただなか、起きた奇跡。
しかし――
「かぼちゃ持ってくれ」
言われたのはそれだけだ。
狩りを中断して彼女を送り届けた二人はこういった。
「ディーターさんの妹さんを助けられて良かったですね、アーニーさん」
「まったくだ。ああ、かぼちゃをもってくれてありがとう。今日の件はこれで貸し借り無しってことで」
二人は兄に挨拶すらせず、立ち去った。
気付いた時には夕闇に消えていた。
彼女は呆然とした。
そう。これっきり。
貸し借りなしで、これっきり。かぼちゃを持った、それだけで。
そんな馬鹿な、と思った。
ふざけるな、と思った。
私の命は! 魂は! それほど軽くない! 礼一つ受け取らない? これで終わりなどあってたまるものか!
悲鳴に似た思い。表情とは裏腹に襲われた激情。血がにじむまでかみしめられた下唇。
それほどのことをしてくれたのに何故? 尽きない疑問。
エルフといえど、わかる。そんなものが交換材料になるわけがない。
考えられる、最も悲惨な最後でもおかしくなかったのだから。
命と尊厳、魂といってもいい。その対価は何がふさわしい?
何も要求しないという、高潔なる意思に見合うそれは――人生しかないだろう。
エルゼはこのときすでに、アーニーへの恋心を募らせていた。
エルゼ救出の件は名も無い町のエルフ族にも衝撃を与えた。兄はいうまでもなく大騒ぎだ。
エルゼの無事を喜び――そして困惑した。
アーニーはすべての礼を固辞するのだ。
エルフ族の彼に対する感恩は大きい。
ドワーフとの協力関係、職人の育成、何より森林行政という新しい役割の導入。
森を大事にすることと、切り拓くことの矛盾への解決策。
未来のための植林、維持するための間伐や除採の必要性、全てエルフに任されたのだ。
聞けば精霊とも話ができ、木々の精霊たちも交流までしているという。
ある者はアーニーがエルフとまで言いだし、笑う者もいなかった。
たった数ヶ月でこれほど多くのものをもたらされながら、何も返礼すらできず、今回のエルゼ救出がダメ押しになった。
集まって行われるエルフ族の会議で、エルゼは発言した。
「今回の礼を含め、アーニー様のもとへ嫁ぎたいと思います。この関係がうまくいけば、彼とエルフ族の結びつきを強固にすると私は考えます」
いつものように、表情を変えずに。事実と一族への利点を提示した。
失うことに怯える、生存競争ではない。彼女が得たいと思ったものを勝ち取るための戦いなのだ。
エルフは若者が少ない。
そのためエルゼにも日々、お見合いや結婚話が舞い込んでくる。
そんななか、人間に嫁ぎたいといっても許されるはずがない。
結婚したところで、アーニーの死を待って結婚話をもってくるものや、実力行使に出る者がいないとも限らない。
若輩者の彼女は自分の地位を勝ち取らないといけないのだ。
早速意見は分かれた。
賛成半数、もう半数のうちの半分が反対、もう半分は様子見という見解だった。
反対派も彼女やアーニーが憎くて反対しているわけではないのは理解している。またエルゼに恋慕する者が数人いることもわかっている。
「定命の者だぞ」
寿命の違いは多くの悲劇を招く。
「それに何の問題がありましょう? 我らの一族がこの町にたどり着く十年で、七割が死にました」
寿命が長くても、死んだら意味はないのだ。
「花は数ヶ月で枯れ、犬は数年で寿命を迎えます。ですがそれは愛さない理由にはならないでしょう? まして彼には高潔な魂がある。我らは人間やほかの種属とも暮らしております。彼らの寿命が短いからといって、交流をやめますか? 親友がいらっしゃる方も多いでしょう」
別の者が問う。
「ウリカ様を差し置いて、我らがでしゃばるわけにはいくまいて」
「問題ありません。私はウリカ様を差し置いて妻になりたいわけではありません。エルフではありえませんが、人間は妾や愛人を持つものでしょう? その地位でよいのです。肩書きなどどうでもいい。私は二人を愛します」
エルフは基本的に一夫一妻制だ。人間の愛人にされたエルフも少なくはないが、エルフの心証としては歓迎されないことは確かだ。
「ディーター、お前はよいのか? 妹が人間の、愛人や妾になったとしても?」
別の者が兄に問う。
兄は無表情だ。色々考えを巡らせているのだろう。
エルゼはそのときはじめて、そっと兄に囁いた。
悪魔の甘言のように――
「兄さん――アーニー様と義理の兄弟になるのはそんなに嫌なのでしょうか?」
「……そうなるのか?」
兄が目を見開いた。そこまで考えがいたっていなかったらしい。声が若干震えている。
エルゼは頷いた。
この場にいる全てのエルフより、アーニー一人を信頼している兄なのだ。
「私がアーニー様のお子を授かったら、私がどんな立場であろうと、義理の兄弟になります。――アーニー様のお子を、ですよ。血と魂の繋がりです」
兄を落とすには、どの言葉が良いか。エルゼにはわかりきっていた。
もしアーニーより信頼でき、妹を任せるに足るエルフを連れてこいといっても、ディーターは返答に窮するだろう。
だが、そんな話よりも義理の兄弟のほうが破壊力あるに決まっている。
兄が遠い目をしていた。そのとき、を夢想しているのだろう。
「俺は、エルゼの意思を尊重する」
ディーターは、町のエルフ族に宣言した。
これで決まった。
問題もあった。
アーニーがエルゼを拒否するだろう、ということだ。
あっさりエルゼに飛びつくような男に、そもそも惹かれるはずがない。
そこは、エルゼ自身はあまり深く考えていなかった。
急ぐ必要はない。時間をかけ、少しずつ仲良くなっていけばよいだけだ。
人間は老いる。老いれば心細くなる。
そのとき自分が隣にいればいいのだ。自分の寿命の長さ、美しさは武器だ。
老いによる醜悪化など、問題ではない。容姿が美しく心が醜悪な者など、エルフにもたくさんいる。何より欲するのは心であり、魂なのだから。
三人での生活は楽しかった。二人は優しいし、入り浸ってもでていけとも言われない。
アーニーがなかなか陥落しないのは苛立ちを覚えていが、同じく何もされていないウリカが可哀想だ。
あんな可愛い女の子と一緒のベッドで寝ていて何もしないとは、鋼の精神力である。
それだけ大切だということだろうが、意気地無しともちょっと思う。その駆け引きの日々もまた楽しい。
そして今ここにいる。
アーニーの背後を守っている。
彼女一人で、だ。
それがどれだけ彼女にとって嬉しくて誇らしいことか、きっと彼にはわからないだろう。




