史紀が語る殷の滅亡
殷の滅亡については、実をいうと詳しいことがはっきりわかっていません。しかし、歴史書『史記』には、殷の時代のことが詳しく語られています。
『史記』によると、殷王朝の最後の王は紂王という人物でした。
紂王は妲己という美女を寵愛していました。更に、紂王は酒池肉林という贅沢三昧を行います。
「酒池」とは酒で満たした池のことです。
「肉林」とは林の木々に肉を吊るしたものです。
殷の紂王は、酒池と肉林を用意してその中を裸にした男女に追いかけ回らせるという宴会を、昼も夜もなく何日にもわたって開いたと言われています。
こうした贅沢三昧に飽きたらず、気に入らない家臣などをむごたらしく処刑していきます。
紂王は、このように、大変な暴君であったと言われています。
そこで、周の武王が、軍師の太公望の助けを得て、諸侯を従えます。
最終的に、周は牧野の戦いで紂王を破りました。紂王は自殺して、殷は滅亡したと「史紀」は語ります。
この辺の話というのは、私が小学生の頃、「封神演技」という漫画で実は語られていました。
従って、個人的には結構馴染みが深い話ですね。
もっとも、「封神演技」はその辺の話をファンタジーっぽくしてますね。
ちなみに、「封神演技」に限らず、当時の週刊少年ジャンプは本当に面白かったなーと過去を思い出します。
歴史の話のなかでジャンプの話などをして申し訳ございません。
雑談になりましたが、もし、漫画好きの方は、お好きな作品になるか解りませんが、ぜひ読んでみて下さい。※少し、この辺の話が分かりやすくなるかもしれません。
さて、こうして、殷の次の時代は周(厳密には西周)という王朝が成立しましたが、史紀はどこまで本当なのでしょうか???
実は、紂王が暴君であった証拠はありません。史紀がどれほど正しいのか、証明する証拠がほとんどないのです。
ただし、高校世界史の「世界史用語集」などでは、紂王が「牧野の戦い」で破れ、周が成立したことが明記されています。
そこまでは、覚えておいても良さそうですね。
そんなわけで、殷は滅び、周という王朝が成立するわけですが、これはどんな王朝だったのか?次回詳しく語ります。
以上。