長江にも文明は存在していた⁉ 世界最古の稲作
四代文明のひとつ、黄河文明を歴史の教科書で勉強しますが、実は長江にも長江文明があったことが、近年の研究でわかっています。
この長江文明にも、黄河文明同様に代表的な文化が存在します。それが、余姚市の河姆渡遺跡から発見された河姆渡文化です。
この遺跡は1973年代ごろから発見されていたのですが、最近研究が進んで色々なことがわかってきています。
まず、紀元前6000~紀元前5000年の頃に存在していたことがわかっています。
また、遺跡から多量の稲籾(インディカ米が7割でそのほかジャポニカ米など)の堆積が見つかっています。
さらに稲作工具である木製の柄をつけた170個余の骨耜(鋤先)が出土しています。
すなわち、こんなに古い時代から稲作を行っていたことがわかったのです。
高床式住居も見つかっていて、これらの文明は明らかに黄河文明とは別の文明であると考えられています。
しばしば、日本史においても、稲作のルーツはどこなのか?という話題が上がってきますが、中国の河姆渡文化ではないかということを唱える学者も増えていますね。
※ジャポニカ米が見つかってますからね。 DNA鑑定って凄いです。
こうして、最近の研究では、稲作を主体とする新しい文明が長江にあったことが解ってきていて、この話は、将来、中学くらいの歴史の教科書で広く語られるようになるかもしれませんね。
少々短いですが、以上です。