竜山文化 黒糖龍角散で覚えよう
前回のおさらいです。
1921年頃に、スウェーデン人のアンダーソンによって仰韶文化が確認されました。この文化の特徴は、彩陶でしたね。
さて、仰韶文化が終わり、紀元前2500年ごろにはもうひとつの文化が確認されています。
それが、竜山文化ですね。龍山文化とも表記します。竜山文化では、黒い土器がたくさん出土しています。
これが、有名な「黒陶」です。黒陶のフリー画像がございませんので、私の下手くそなイメージ図を載せます。
仰韶文化は、彩陶が特徴であるため彩陶文化と言われますが、竜山文化の特徴は黒陶なので、黒陶文化とも呼ばれることがあります。
また、黒陶が有名ですが、この文化では、灰陶や白陶なんかも出土しています。白陶はカオリンという上質の土を使って作られますね。まあ、細かい話ですので、確実に覚えてほしいのは、黒陶です。
これなんですが、どっちの文化がどっちの土器だっけ?と忘れがちですよね。僕自身受験時代正直にいって何度か忘れました。
そこで、僕が行き着いた結論は、「食べ物をイメージして覚える」という方法でした。
結論からいうと竜山文化は「黒糖龍角散」と覚えてはどうでしょうか?
龍角散を知りませんという方はいないと思うけど、念のため確認します。皆様は、龍角散のど飴をご存じでしょうか?
龍角散とは、現存する最強(?)ののど飴です。風邪ひいたときやカラオケに行くときに自分はよく舐めます。コンビニなどでも売っていて手軽に入手できます。
さて、この龍角散のど飴ですが、名前がいかにも中国っぽいのど飴ですよね。中国史を説明するのに相応しい?と思うのです(笑)
※ちなみに、下らないこといってますが、普通に日本ののど飴です。詳しくは株式会社龍角散のホームページをご確認ください。
そんな龍角散のど飴の黒糖味versionを想像してこの語呂を考えました。早速、この語呂の意味を考えましょう。
黒糖=黒陶/りゅう=竜山文化/かく/さん=三足土器
※逆に覚えにくかったらごめんなさい。
さて、補説します。竜山文化は、山東省竜山鎮にある城子崖遺跡で初めて発見されます。
竜山文化をそこまで細かく覚えたい人は、さらに発展させて黒糖の龍角散なんて常識外=城子崖遺跡と覚えてください
ちなみに、三足土器とは、黒陶や灰陶にみられる代表的な器形であり、土器に三本足がついているものです。
三足土器を代表的な構造で分類すると、鼎や鬲などがあげられます。鬲の三本足は中空構造です。一方、鼎の三本足は中空ではなく、ついているだけの足です。
鬲というのは食べ物を蒸す道具であり、中空の足の部分に水を入れて下から火を通して、内部に網をはって調理する道具ですね。
まあ、鼎や鬲などは細かい話ですね。
細かい話もしていますが、こうやって食べ物とか身近にあるものを連想すると、案外忘れてしまいやすいことも楽しく覚えられると僕は思っています。それを今回強く言いたいのです。
こんな下らない語呂を紹介せず、ロシア史みたいにストーリーを書いてほしい方がいたらごめんなさい。それでもあえてこういう解説からスタートしました。
僕は思うのですが、歴史を覚える場合、全てが全て流れで覚えられないと思っています。たとえば、今回のように古代の話をする場合、ストーリーになるほどはっきりとした歴史が解っていません。
じゃあ、ストーリーがはっきりしない歴史はどうやって確実に記憶するかというと上手く連想できる方法を見つけるのです。
僕の場合、身近にあるもので連想すると右脳で想像して記憶できるのでそういう方法で暗記しています。
皆様も、これは覚えにくいという世界史のキーワードが出てきたら真っ先にこういう覚え方を検討してください。
ただ、あんまり下らないことばっか書くと読者の皆様がいなくなりそうですね(^o^)
脱線はここまでです。竜山文化の特徴をもう少し詳しく見ていきましょう。
竜山文化では黒陶だけでなく城壁をもった都市もみつかっていたり、牛や馬の家畜や養蚕業も行われたと解っています。
こういうのがあると、集落同士で戦争などがあったから、城壁を必要としたのではないかと色々考えてしまいますよね。
まあ、その辺はわからないことです。ただ、竜山文化のポイントはこんなところですので、是非覚えてください。
最後にまとめです。
これまでお話ししてきた二つの文化は、中学の頃勉強した黄河文明の代表的な文化ともいえます。
私たちが中学の頃に勉強した黄河文明とは、黄河の中・下流域に誕生した農耕文明です。
この文明の特徴ですが、アワやキビを主として栽培し、新石器時代に仰韶文化、後に竜山文化、殷王朝時代に青銅器文化へと変化していっていることがあげられます。
そして、これらの遺跡が見つかった地図も押さえておきましょう。下記に下手くそな地図ですが、簡単な地図を記しておきます。
以上です。