第8話 殺すか見殺すか
暗い夜の帳さえ、今の俺にはなんの障害にも成り得なかった。木の葉の音や昼間一瞬見ただけでも、記憶によって、俺は森の中を目を閉じても歩けるほどなのだ。
あと普通に夜目も利く。
夜にベッドに横たわっていると、言いようもない義務感と居心地の悪さを覚える。多分これは、俺の今の体がベッドで眠る習慣がないからだと思う。
座って壁に背を預けると、廊下に人が通った時に振動で気付けると分かってからは、そうしているとやっと眠気が来るようになった。それも三十分ほどだが。
――いや、死ぬわ!!
体は無駄にピンピンしているが、心が死ぬ。は? こちとら授業中の居眠り含めたら一日に八時間以上眠ってた現役男子高校生ですけど? ふざけんな。
という訳で、昼間に狩りをする途中見つけた湖の畔の、俺が今日狩った熊の巣穴でも利用させていただこう、と思い立ったのだ。
宿屋ときたら、夜でも酒飲んで良い気分で帰ってきたやつや、娼館で楽しんできたやつなんかが引っ切りなしに俺の部屋の前を通りやがる。何度目が覚めたことか。
あの熊はこの辺りを縄張りにしていた大物で、あの黄色いイノシシと鎬を削っていたらしい。つまり二台巨頭だった。んで、俺は両方殺した。
数週間はここにはどんな獣も近付かないだろう。近付いても、俺は気付けるだろうし、少なくとも三日ほど使わせてもらえばとっとと出て行く予定だし、短期利用なら構わないだろう。
柔らかい草の敷かれた熊臭い寝床で、俺は丸くなってみる。地面に耳を押し当てると、数十メートル先の動物の足音が聞こえた。うん、これなら異常にも気付けるだろう。
「……やっと、眠れる」
睡眠とは記憶の整理であり、リラックスの手段であり、人間の三大欲求の内の一つだ。
それが出来ないのは、けっこう……堪える。
目を閉じて、闇へ意識を落としていく。薄れ行く意識の中、瞼の裏で、普通の高校生の姿の俺がぼんやりと描かれて、今夜の夢見が悪い事を、眠りに就く前から悟ってしまった。
小さくなって、丸くなって、自分のことを守ろうとする胎児のように、眠っていた。
悪夢を見た。動物の頭が憎らしげに俺を睨んでくる夢だ。睡眠時間は思惑通り延びたが、代わりに安定したノンレム睡眠が中々続かない。
悪夢、意識の浮上、悪夢、目が覚める、悪夢、悪夢、悪夢!
――この体、そんなとこまで暗殺者気質なワケ?
薄く笑いながら、また意識が覚醒するのを感じる。目尻に涙が溜まっていて、少し笑えた。
かといってまだ起きる気にはなれない。悪夢を見るが、確かに目覚めるたびに心にこびり付いた泥が落ちるように、ここ数日の気鬱が削がれていた。リラックス効果はあるらしい。
もう一度目を閉じて――眠りに落ちる瞬間、何かが頭に触れた気配が、したような気がする。
直感的に、敵意がないことを感じ取った。それから、足音がないから、ただの幻覚だと判断する。
ふわりとした風の柔らかい感覚が、頭を揺らす。どうやらそよ風が吹いているのを、人が居ると錯覚しているだけだったらしい。
俺は再び眠った。何故か、朝までもう悪夢は見なかった。
必要な保存食、雨具、地図、などなどをリュックに背負い、俺は街へ繰り出した。
お世話になった人たちに一通り挨拶をしてから、出発するつもりだった。宿屋のおばちゃんに、商人のおっさんに、受け付けのお姉さんと、ラルフさんとノエルさん。
みんな頑張れよ! と励ましてくれた。俺は心置きなく関所を通り、地図と睨めっこしながら森の中を進み、次の街へと平和的に到着いたしました――とは、残念ながらならなかったらしい。
夕焼けが沈んでいく。森の中には、獣ではないざわめきが満ちていた。黒いケープ――これには蔦の刺繍があるのだが、これまた迷彩に一躍買っていた――で夜の森に溶け込みながら、俺は風下で数名の怪しい人間の声を盗み聞いていた。
「今度はあの街か。目的は書物だろう? 何故こんな大所帯なんだ」
「さあな、調べたところ、大喰らいのラルフが居るって話だが、それにしても多すぎる」
「俺たちみたいなやつらは多ければ多いほど不利になる。依頼人だってそれは知ってるはずだ」
「……最近は怪しい任務が多くて、嫌になる」
「ああ、カリドゥスでのあれか。俺だって死体をあんなに丁寧に運んだのは初めてだったし、死体のために人間を殺したのも初めてだったよ」
――カリドゥスで、何かきな臭い動きがあったらしい。早速憂鬱になってきた。
ぼそぼそと呟くように交わされる会話と、装束から察するに、どうやら彼らは暗殺者集団らしい。ただ、アサシンの割には身のこなしが雑なので、隠密に尖らせた『シーフ』ってところだろうか。アサシン、上位職だしな……。
マークスマンのスキルを発動させる。スキル名『ロックオン』。親指と人差し指で輪を作り、覗き込む。ゲームでは丸い枠がターゲットにつくが、今はそんな演出はない。
なんというか……意識というか、考え方が変わる。俺は自然と聴覚や触覚が鈍くなるのを感じながら、代わりに視力に集中する。すると、歩き方、肩が上下する頻度、足の大きさなどから、相手のプロフィールが勝手にわかってくるのだ。
男、男、男、女、男、全員二十代前半、一人怪我をしている、体に警戒が見えるやつがいる、つまり初見のメンバー、同じ場所に所属している訳ではない?
顔は外套のフードでよく見えない。彼らは今夜、王立図書館から俺が盗み見た書物を奪うつもりらしい。そして――。
「大喰らいのラルフか。不利だな」
「ああ、殺せばどう足掻いてもバレる」
「死体の処理にコストがかからない分良いと考えよう。別の闇ギルドの名刺でも置いていくか」
「そうだな、追われると逃げにくい。他に目を逸らしてもらおう」
「しかしどこにする。恨みを買うのも厄介だ。そもそも今ここに居る面子の所属ギルドさえ、自身以外は定かでないというのに」
「それなら俺に任せるが良い。以前ミックミクニスルのギルドのものへ貸し作っておいた。彼のギルドは名を広めることにご執心であるし、目溢しをもらえるであろう」
『ミックミクニスル』といえば、指名手配されているプレイヤーの一人だった。彼はギルドを立ち上げているらしい。なら、俺の入っていたギルドもこの世界にはあるのだろうか? ゲームの時にはなかった冒険者ギルドとやらがあるので、その分他のギルドはあまり発達していないし、見覚えのある名のギルドもなかったのだが。
――しっかし、どうするべきなんだろうか?
なにぶん、体験したことのない出来事なので、自分で考えなければならない。さてはて、知人を殺すと相談する暗殺者たち。うん、そうだな、どうするのが一番良いんだろうな?
ロジカルに考えてみよう。そもそも、俺にはラルフさんに何かをしてやる義理はない。
ほんの一週間、それも一日五分前後話したか、話さないかくらいの仲だ。それの対価として、あそこの暗殺者の存在を知らせてやって、腕利きのシーフの『祝福』持ちに気付かれずに盗み聞きしましたなんて情報源がバレる、もしくはグルかと怪しまれるのは、あまりにも割りに合わない。
彼らをどうにかする方法は二つしかない。
一つ、ラルフさんに彼らの情報を教える。この場合、ラルフさんは派遣騎士な訳で、窃盗から王立図書館を守る義務がある。ので、結局、相手がラルフさんを邪魔に思えば殺される。だって正々堂々前から来るんじゃなく、投げナイフとかで殺しに来るんだから、鈍重な鎧騎士が勝てる見込みは少ないだろう。
もう一つ。俺が、彼らを皆殺しにする。この場合、俺が殺人を犯さなければならない以外の問題はない。
足の骨でも折ればいいじゃないか? と一瞬思ったが、暗殺者ネットワークに俺の情報が出回ると困る。完膚なきまでに口封じをしなければならず、それには殺してしまうのがてっとり早い。
前者は多分ラルフさん死ぬし、わざわざ情報を伝える意味ないし、後味がかなり悪いだろう。後者は普通に割りに合わない。なんで知人一人のために、赤の他人ともいえ、人間を五人も殺すんだ、という。
トロッコ問題に、放っておいたら死ぬ人を自分の家族に置き換えたらどうする? みたいな派生があったと思うが、まさにその状態だ。ラルフさんはちょっとした知り合いだけど。
他にも幾つか案があるにはあるが、街には王都から直通の監視魔法が張り巡らされている。器物破損や、通り魔事件が起こると反応してアラームが鳴るし、重要施設には監視カメラ的機能もあるとか、ないとか。
一つ目の案と同じく、国に目を付けられたりするのは困る。ついでに現状にも困っている。
ネックなのは、どちらの選択を選ぼうと、俺の罪悪感が半端無いってところ。
――最悪だ。何でこんなことばっかりなんだ。
――もっと最悪なのは、俺一人でも、多分あの人たちを殺すのなんて楽勝だってことだ。