第5話 護衛
これは全然笑ってくれても構わない有様なのだが、枝にワイヤーを引っ掛けて、木々に飛び移ったり、時に地面と平行に木を蹴って加速したりなどする内に、体感五分足らずで俺は到着出来た。信じられないくらい高速だった。ほら、笑えよ。……俺、本当に人間なのかな……。
たったの数分しか経過していないとはいえ、俺が着いた時には既に、ナイトの女性はカッパーウルフを二匹殺して、その代償として足に怪我をしてしまっていた。
もう彼女はここから動けない。後ろで震える商人風のおっさん家族は言うまでもなく非戦闘員だろう。
ここで俺が行かなければ、彼女たちは死ぬ。だけど……。
――俺の『祝福』が殺しに関するものだとバレてしまう。
「……とか考えても、それでも見捨てられないっての。だって見てみぬフリなんて、無理だろ?」
肉食獣と戦うよりも、あの人たちが殺されるのを見る方が怖いのだから、仕方がないのだ。
「――助太刀する! 下がっててくれ!」
ケープを脱ぎ、腕に巻く。木から飛び降りて、腰から抜いた短剣でカッパーウルフの頭を地面に――っえ、縫い止めた!? 力が強すぎたみたいだ。貫通させるつもりなんてなかったのに!
早速ミスった。焦りながら狼の首を踏みしめ、地に押し付けて、剣を引き抜く。後ろから飛びついてきた新手にはケープを巻いた方の腕を噛ませて、目を狙って脳まで短剣を突き刺した。これで、二匹。
「ありがとう、助かりました! 馬車の方にはシルバーウルフが居ます! 大丈夫ですか!?」
「多分、な!」
――どうやら言葉は通じるようだ。よかった……。
シルバーウルフの元へと、残った最後のカッパーウルフが退却する。揃って撤退してくれればいいのだが、森から出て人間をわざわざ狙うくらいだ。魔物っていうものは、ヘビーボア含めみんな凶暴な性質なのかもしれない。
短剣の血を振り払い、再度逆手に構える。そして空いた方の手にスローイングナイフを二本持つ。指に挟んで、同時に投げた――後に、こんなことも出来るのかと目を見開く。
二本のナイフは、こちらへ走ってくる狼の額に吸い込まれるように命中し、両者はそのまま息絶えた。
どうやら倒せたようだ。ほっと胸を撫で下ろし、俺は狼の頭からナイフを引き抜く。あ、まだ使えそう……。
俺は懐から、流れるように見たことのない布を取り出し、血を拭ってナイフを空っぽだったポシェットに仕舞った。仕舞ってから――ああ、使用済みはこっちに入れるんだ――へえ、合理的だなあ……といっそ感心した。無意識なのに無駄がない……。
さて――明らかに只者でない腕前を披露してしまった訳だが、どう誤魔化したものか……。どうにでもなれ、という気持ちで振り返る。
ナイトの女性は怪我を負っていて、商人風の家族はこちらを縋るように見ていた。
どっちも泥だらけ、擦り傷だらけで精神困憊のようだ。救世主でも見るような目で、若干平伏気味に俺の方へ身を乗り出していた。
数秒悩んだが、どうにも見捨てられず、俺は結局頷いた。
「……いいですよ。護衛なら請け負います。何処が目的地かにも、よりますけど」
「そ、そっ、それはありがたい! お礼は弾みます!! 本当に、助かりました……!」
「ああ、それと……」
何か条件を付けられるのかと、おっさんがピクリと動いた。不安がることなんてないのに。寧ろ不安でいっぱいなのはこっちである。
仕事なんて、アルバイトしかしたことがない。それは当然護衛なんてものではなく、コンビニとかスーパーの店員くらいのものだ。
あと、この世界のモラルとか、マナーとか、全然分からないし……。なんなら、言葉も文字も自信が無い。さっきから、意味は理解出来るのに、おっさんの口の動きが明らかに日本語じゃないし……。
「――俺、記憶喪失なんですが……。よければ、代わりに色々教えてもらうのが、交換条件……ということで」
別に違っちゃいない。そうだろ?
本当に、自室で意識を失ってから森の中で目を覚ますまでの間の記憶は無いし。もしかするとこれは――ラノベで例えるところの、異世界転移憑依モノ、ではなくて、異世界転生モノ、なのかもしれないし。俺が、この体になってからの人生の記憶を失っただけ……とか? そんな理由がある可能性も、なきにしもあらず。
などとこじつけつつ、嘘と真のギリギリのラインを攻め、俺は色々と情報収集に努めるのだった。
地道な質問の成果として、幾つか重大な事実を知ることが出来た。
どうやらこの世界、既にプレイヤーが跋扈しているらしい。彼らは『異人種』と呼ばれ、長寿の種族とされているとか。『祝福』――ならぬ、『病気』の治療に一役買っている、とか。
――『生還クエスト』なるものについて、情報を集めているらしい、とか。
「へえ……色々とありがとうございます」
「いえいえ、アンタは命の恩人ですからね。……所で、その、記憶はどの辺りから無いんで?」
そろそろ寿命が近いと苦笑していた38歳のおっさんが、気遣わしげに俺に尋ねる。一心地ついたところで、『マークスマン』のスキルを使ってみようと、集中しておっさんを眺め回してみると――顔の皺、歩き方、贅肉や呼吸の速度、心拍数(何で聞こえるんだ? 気持ち悪っ)などの要素が、自然と目に付き、おっさんの年齢が分かったのだ。
これが示すこと、即ちそれは――スキルは意識しないと使えない、ということだ。それも、明確かつ詳細に、どんな行為をするのかを理解している必要があるようだった。
くそ、スキルが何個あったと思ってるんだ。スキル名とその効果――肉体を使うタイプの技だと、体をどう動かすのかまで記憶していないと、何も出来ないようだった。しかも、ゲームと違って対象は動くし、狙う部位も自分で決めないといけないというのに。
数度小声で試してはみたが、技名を唱えるだけで体が勝手に動いたりとかはなかった。くそったれ!
俺はおっさんが心配そうに聞いてくるのに頷きを返し、グルグルと物思いに耽るのをやめて、適当に今の自分の肩口くらいに手を宛てた。
「自分の最後の記憶では、俺は確かこのくらいの身長だったと思うんですが……。急に今、こんな風に成長してて……みたいな感じですね。この間に何があったんだよ、っていう」
嘘は言ってない。嘘は。
「へえ、そりゃあ気の毒に……。四十路程度の短い人生、ちょっとも無駄に出来ねえってのになあ」
――40。
レイドボスのドロップアイテム――『ティアー・オブ・エンピリオン』による上限解放が行われていない場合の、初期のレベルキャップである。レベル=寿命の方程式か? 知れば知るほど無知が明らかになる。心が挫けそうだ。
「――っなら! 少なくとも、名前は覚えているんですよね? よければ、教えてくれませんか?」
片足の処置をしてあげていた――俺はアサシンのスキルでエンバーミングという技能を修得しているので、『祝福』を逸脱せずにある程度の人体の修復は出来る――ナイトさんが、興奮したように詰め寄ってくる。
金髪で、嘘みたいに澄んだ空の瞳をしている美人な人だ。ふんわりと良い匂いがする。甲冑を着ていなければ、俺はまともに彼女の顔を見ることが出来なかっただろう。
外国人慣れしていない俺は、少し目を泳がせつつ包帯を結んで答える。
「俺の名前は――」
……リアルの名前は、身バレが怖いだろ? なんて。ここはあくまで仮想現実――だと、何処まで行っても俺は思いたいのだ。
万一の可能性としてここが本当に異世界だとしても、俺の中で主体の世界はあの地球であり、俺が高校生の世界であり、ここは第二の世界なのだ。
ここで――生き物を、今後たくさん殺すだろうこの世界で、自分の一番大事な名前なんて名乗りたくなかった。
「……アサヒ。アサヒって、いうんだ。俺……」
ぷつん、と糸が切れた気がした。自分の中で『自分』との折り合いがついた、というか。
これから……もしかしたら、酷いことをたくさんするかもしれない。動物だけじゃなくて、いつか、遠い未来にでも、人を殺す日が来るかもしれない。
もっと言えば、何度も何度もそんなことをして、手も、体も、全身が血まみれで汚れてしまうことになる、かもしれない。
だけど“そう”なるのは、『俺』じゃない――そんな風に、汚れきったアサヒのことを、『自分』じゃないと言い張ることによって、許せる気がした。
全部アサヒのせいだと、押し付けられる気がしたのだ。
「アサヒ……。アサヒさん、というんですね。私の名前は、ノエルっていいます。先ほどは、危ういところをありがとうございました。手当ては私たちの『病気』の範囲外だったので、あのままだと、私はもう二度と歩けなくなってしまうところでした……」
「どういたしまして。こちらこそ、馬車に乗せてくれてありがとうございます。気がついたらあの森に立っていて、どうしたらいいか、全然分からなかったんで」
はは、と鼻の頭をかく。この体の性能か、愛想笑いが格段に上手くなっていた。頬の筋肉が穏やかに持ち上がり、これ以上ないくらい自然な笑顔が出来上がる。
心の温度は一定をキープしているが、恩に着せないように心がけ、照れたような顔をする。謙遜が美徳の国家出身なので。……気持ちだけは。