第七話 術の心得
春。渓谷山の山肌は、美しい桃色へと色づいたのであった。
オッス萩だよ萩さんだよ。お花見をして感動に打ち震えている萩さんだよ!いやあ、すごかったねえ。未だに興がさめないよ。自分が世界のチリでカスでゴミにしか過ぎないことをしかと感じたよねえ。最近の俺はドラゴンになったからって調子に乗ってたかもしれないね……。
あれから最後にしめくくりをしてくれたお師匠様こと山吹様は、約数日出かけるとか言っていたくせに、一日で戻ってきた。数十年ぶりの仲の良い旧友と会うのに日帰り旅行でよかったのかね?まあ、あのままであったならば、あの宴はもっと長々と続いていたのかもしれないが。
帰ってきた山吹様はどこかふて腐れたように旅の道中を語った。
「せっかくこの我が会いに行ってやったというのにの、子鈴の奴め、我を追い帰しおった」
「それはそれは……でも、きっとその子鈴様も何か訳があったのかもしれませぬゆえ、機嫌を直してくださいませ」
「うむ……おお、そういえば子鈴は誰か小さき者と話をしておった。……たしか、鼠だったかのう。脅かしてやろうと思っての、ぎりぎりまで気配を消して背後から声をかければひっくり返って泡を吹きおった。軟弱な鼠よのう、と笑い飛ばしてやったら子鈴の奴に顔面を引っ掻かれたのだ……もう治ってしまったがのう」
「それはお師匠様が悪いですね」
「なっお主まで我を悪しき者とするのか!?」
「はい。そうです」
「そんな笑顔ではっきりと……ううう、我は今心に多大な傷を負ったぞ……」
「自業自得ですね!」
「萩よ、その輝かんばかりの満面の笑みをやめておくれ……」
これは確実に山吹様が悪い。俺は知っている。山吹様に背後に立たれた時のあの恐怖を。そのかわいそうな鼠さんを今全力でいたわりたい気分である。そして山吹様にはその顔面にあったはずの傷跡の痛みを思い出して大いに反省してください。子鈴様グッジョブ。
とまあそんなわけで山吹様がこの山に戻ってきた。それはまた俺の修行が再び開始されたということでもあるわけで……俺は今すこーし、本当にすこーぅしだけ休暇が終わったことを残念に思っていた。いくら暇な休みだったとはいえ、終わってしまえば残念に思うのは俺だけではないはず。
「さて。我が不在の間何をしておったのかは分からぬが、また本日より修行を始めようぞ」
「……」
「うむ? どうしたのだ、元気がないぞ?」
「あの、そのことについてなのですが……」
「ふむ。申してみよ」
「その、この修行はいつまで続くのでしょうか」
「!? わ、我との修業はつまらなかったのか……?」
とたんに耳を後ろに貼り付け、捨てられた子犬のような瞳で俺を見つめる山吹様に、あわてて言い訳を言う。
「いえ! 全然ちっとも全く決してそのようなことはございません!! 私が言いたいのはあの、術……なるものに、挑戦してみたい、ということでございまして……あ、私はもう瞑想は完璧、とは言わずともできるようになりましたし、あの鬼事も五日持つようになりました。そのほかの修行ももう形としてはできています。ですから、その、あのう……」
「萩よ……」
「だめ、ですか……?」
「萩よ!」
「はいい!?」
「お主、術が学びたいのか?」
「は、はい。そうです」
「いいのういいのう! お主は動き回る修行より術の修行の方が好みであったか! はっはっは、我がこのぐらいの時は、落ち着きなく一年中山を駆け回っておったものだがのう! はっはっは、そうかそうか術か……」
そう笑いながら山吹様は優しい光の球を出して、それをくるくると回す。
「やるからにはまずはこの”狐火”を完成させるところからであるな。さっそくいくぞ!
……と、言いたいところではあるが、最初に我は術とはどういうものであるのかを説明せねばならぬ。そうだの、何時もの瞑想をする木の下で待っておるぞ! お主もすぐにこい!」
山吹様はそう言い終えるやひと声吠えた。するとその体が足元から突如発生した煙に隠れ、視界が晴れたころにはもうその姿はとうに俺の目の前から姿を消していた。今のも術なのだろうか。きっとそうなのであろう。そう思えばなんだか体の奥がうずうずとしてくる。そうか、俺今から術を教わるのか……! ついに、ついにだ。
前から術に関してはずーっと楽しみにしていたのだ。楽しみすぎて”永遠の病”を再発してしまったほどにはそわそわしっぱなしだった。あれからウン十年がたっている。早いもんだなぁ……。
「いやっほー!」
只今俺はお空を飛行中だ。途中円を描いてねずみ花火のごとくグルグル高速回転しながら、滑るように飛んでゆく。俺は実に浮かれているのであった。そんな不審者顔負けの怪しい動きをしている俺を見て、小鳥がヒーヨヒーヨと甲高い声を上げる。そうかそうか、小鳥君も俺のこの感激の気持ちを分かってくれるんだな!
しばらく飛び続けて山の上の方にたどり着けば、そこに他よりも一際大きな木が現れる。木の周囲は少し開けており、俺がいつも瞑想をする場所の前には小さな池があるのであった。この池は地下で池とつながっていて、俺の分身のような存在なのである。そういった池はこの山の中にも平原にも点在しているようなのだが、詳しいことはよく分かっていない。転々と散らばる無数の池を把握しきれないことなど当たり前のことである。一国の王だって国民一人一人を詳しく認識することなんてできっこないのだから。
ただ、何となく感覚でどれがどの位置にあるのかなどは把握できている。ただし、俺から直接つながっている川に関してはこの山の中の範囲ならばかなりよく分かる。まあ、ふもとの方になればもうおぼろげになってしまうのだが。
この木は大きくて堂々としており、根元に座って瞑想をすると、その力の流れが手に取るようにわかるのである。たとえば大きく成長しようと大地からエネルギーを吸い取っていく様だとか、光合成をして大きな力を生み出しているだとか。近くにいるだけで元気が貰える木なのである。
後で気になって山吹様にこの木の名を教えてもらうと、クヌギとのことだった。そういえば山の木の葉が色づく季節にこの木の下に行けば、ドングリがコロコロ落ちていたようにも思える。クヌギってなんかいいなあ。落ち着く。
そんなことを考えつつ弾丸のようにきりもみ回転をして景色が360度ぐるぐると移り変わる感覚を楽しんで飛んでいると、いつの間にか目的地についていた。池(紛らわしいからこれからは椚池と呼ぶ)の前に降り立ち高らかに告げる。
「萩、只今参上いたしました!」
「おお来たか。ずいぶんとまあ滑稽な飛び方をしておったようだのう」
「滑稽だなんてひどいです! これは感激の気持ちの表れなんですよ! 途中で小鳥も一緒に俺と喜びを分かち合ってくれましたし!」
「喜びを分かち合う……? ああ、途中ヒヨドリが山中に今までに聞いたことのないような、悲痛な金切声を発していると思えばお主か。萩よ、ヒヨドリのあの鳴き声は仲間に命の危機が迫っていることを告げる警戒音なのだよ……」
今俺地味に傷ついた。
「ま、まあそれはさておき術について学んでいこうではないか」
「はい……おねがいします……」
「それでは説明するぞ。萩よ、お主は術とはそもそも何かお知っておるかの?」
「何かと問われましても……」
いきなり振られても分かるわけがない。というのが答えでありまして。
「術というものは我らの内に流れる霊力を使うのだ」
「霊力、ですか」
「そうだ」
それから聞いた山吹様の話は専門用語ばかりで何を言っているのかよく分からなかったけれど、簡単にまとめてみる。
この世界の生きている者すべてが保有する活動エネルギーのことを”霊力”というらしい。それは血液と同じように体の隅々を循環しており、ちょうど心臓と同じような働きをするもののことを”魂”と呼んでいるのだという。そして術はそんな霊力を練り上げて作るものなんだとか。
山吹様は地面に爪で円を描いた。そしてその円に十字を書き入れる。円は四つに分けられた。
円を縦に区切る線の左右を指して言う。霊力は分類として+に働く力の”神力”と-に働く力の”妖力”に分けられるのだと。そして今度は横に区切る線の上下を指し、さらに”陰”と”陽”の力にも分かれるのだと。陰陽、という言葉を聞いたときに俺の胸の中に湧きあがった思いはただ一つ。
”おんみょう、陰陽師!?”
興奮して鼻息の荒くなった俺を見て、山吹様はやる気良好ととったらしい。(まあそれは間違ってはいないのだが)得意げに解説をしていったのだが、古語の上に専門用語の嵐。難解不読の未知の言語に俺の頭はパンク寸前、シュンシュン音を立てて頭から湯気が出そうになってしまっていた。
それでも何とか意味を解することに成功した俺を誰か褒めてほしい。
かなり前から見せてくれていた狐火の術。何時も山吹様が使っているのは+の霊力、つまり神力を使ってできた”神術”と呼ばれるシロモノらしい。山吹様はコレの解説をしたとき、妖力を使って狐火を出して見せた。
それは怪しげに揺らめく炎。朱色に揺れるそれは見る者の心をも不安で揺らす。同じ術を展開してもこの”妖術”と先の神術では全くの別物になるのだ。その言葉の意味をよく理解できた実例でもあった。
その後に陰陽の意味について教わった。
神力と妖力、陽と陰。
そもそもこの二つのグループの何が違うかと言えば、前者が術者の霊力の質を指しているのに比べ、後者は自然界におけるもともとある力の質を指しているということである。
自然の力。それは様々なものからあふれ出ている万物のエネルギーのことである。たとえば太陽。たとえば夏。南に炎。これらは皆”陽”に分類されるエネルギー。では”陰”はどうか。たとえば月。たとえば冬。北に水。これら二つの対極のエネルギーが互いに対立し、依存しあいながら万物を作っている。
とても壮大なお話に俺の頭にキノコが生えてしまっていたのを知ってか知らずか、山吹様はこう告げた。
「まあ、そこらへんは感覚だからどうでもいいのだがの」
俺の心のモヤモヤはとても晴れやかに澄み渡ったのであった。