8話「マッスル・マン」
「……ユキッ! 窓から逃げよう!」
俺は咄嗟に叫び、部屋にあった唯一の窓の方へ走ろうとした。まだジンジンと痛みが走る腕と、砂煙の向こうの部屋にいるユキのことが猛烈に気になりながら。
「ノ――プロブレ――ム!!! 少年たちよ、ワシは敵ではない!!!」
砂煙の中から声がした。
「筋肉は正直、筋肉は嘘をつかない! ワシのことは信頼してくれていいんだよ!」
砂煙の中から現れた「招かれざる客」は、茶色の革製コートを羽織った大柄の男性だった。背が恐ろしく高くて、彼の頭はドアの上端よりもさらに高いところにある。
おまけに、彼の「革コート」の下には……これでもかというほどにバキバキに割れた腹筋! 盛り上がった大胸筋! 逞しい上半身が見え隠れしていた。上半身裸の上にコートを羽織っている。しまいには、スコープ付きの大きなライフル銃を肩に担いでいるのだ。街中で会ったならば明らかに変人。
だが、今は「BATTLE GROUND」中だ。こういう人がいてもおかしくない……のか?
いや、控えめに言っても怪しい……というか今すぐにここから逃げ去りたいくらいには恐怖感を誘発させているぞ、この男はッ!
「敵じゃないなら……何をしにこんなことをしてまで入って来たんですか!」
マチェテをまっすぐその変態筋肉男に向けながら、ユキがあくまで真面目な口調で尋ねた。当の俺は、こうして少し離れたところでポカンとしていた。
「なんだか2人とも冷たいな、乳酸でも溜まっているのか!! さっきは危ないところを助けてあげたというのにな!」
危ないところ助けて……まさか。
「もしかしなくても、さっきあの麻の袋を被った男たちを倒した狙撃って……」
俺の言葉を遮り、担いでいるライフル銃をバシバシと叩きながらその筋肉男が自信満々に言った。
「そうだよ! このワシの逞しい狙撃のおかげで助かったんだから、感謝してくれたまえ。あと、そこのお嬢さんは刃物下ろしてくれよ! ちょっと攻撃的過ぎるよキミたちぃ! ほら、か弱い子犬ほどキャンキャン吠えて牙を剥くと言うだろ、まずは落ち着くんだ!」
「で、何用なんです?」
ユキが落ち着いて、改めて質問を投げた。
「私は、見ての通り独り身の『BG』参加者なんだ……。それに5000兆ジンバブーの賞金が目当てなわけではない。だから、この筋肉に誓って……君たちの力に、筋肉になりたいんだが、どうだろう?」
「信用できませんね。いきなり現れて」
顔色一つ変えずに、ユキが応対する。見た目はお父さんと小さな娘のようなのに、彼女の対応が思いのほか凛として辛辣でなおかつこの男が意外と優しく丁寧な人間なせいで、俺はつい吹き出してしまった。
「そ、そう言わずに! お嬢さん見て、この上腕二頭筋を」
男は、右手をグッと曲げて力こぶと作った。確かに山のような逞しい力こぶだ。俺はつい見惚れてしまった。
「……興味ないです」
ユキは、汚いものを見てしまったかのように目を逸らす。寂しげな筋肉男の顔が、妙に印象的だ。
「まあ……とは言っても、ワシはスナイパーだから君たちと一緒に行動できるとも限らんし、お互いに不干渉の平和協約を結ぶだけでもいいさ。ワシはワシ自身の目的を果たせればいい」
トホホ、と筋肉の男は悲しそうな顔をした。見た目に反して穏やかな人のようだ。
「それでは、筋肉おじさんの目的って何なんですか?」
ユキが純粋な質問を重ねる。
「筋肉おじさんだとぉ? 嬉しい悲鳴! キミはまるで本当の娘みたいだなぁ! ワシも昔は娘に『筋肉だるま』って呼ばれてたのを思い出したよ! ちなみに名前はヤムイって言うんだよろしく」
「……スリスリするの暑苦しいのでやめてください、ヤムイさん」
大胸筋をユキの頬にこすりつけ、彼女に軽く抱きついた大男とそれを嫌がる彼女……。
悪気はないのだろうけど、俺からみるとそれはちょっとあるまじき光景だったので、ヤムイさんの太い腕をぐいぐい引っ張って止めていただく。
「それで、5000兆ジンバブーがいらないなら、結局ヤムイさんの目的は何ですか?」
話が逸れたが、何とか本題に戻さなければ。彼の目的が分かれば……もしかしたら本当に友好的に事を運べるかもしれないのだから。
「ワシにとって今回の『BG』参加者53人のうち48人は所詮味方みたいなものだ。そして、2人は良きライバル――敵というほどではない。よって、我が敵は2人のみ…………あのゲブ・アクラブの使者カフラーと、メンカウラーだ」
「ゲブ・アクラブ……」
俺はもちろんその男を知っている。
人々の目の前で暴力的な行為を働き、奴隷を買い占める……あの、偉い人らしいけど明らかに良い人ではない小太りの男か。
「ワシは見ての通りの軍人だ! 国のため部下のためにこの鍛えた肉体で戦い抜く、それが使命! ワシは、ルクソール帝国時代から最強と恐れられたあの『第810狙撃師団』の選抜射手なのだぁ! 部下の期待を背負い、はるばる旅がてらこの街に来て『BG』に参戦したら何だってんだ!! あの小太りの下僕たちがとんでもなく強いじゃねえか! 何年もただあの2人にのみ負け越しているんだ。ワシはもう優勝なんてどうでもいい、とにかくあの2人にさえ勝てればそれでなぁ!!!!」
ヤムイさんは、家が震えるほどの大声で叫び散らした。
おまけに目がバチバチと燃えている。妙にハイテンションな筋肉男をなだめつつ、このイレギュラーな状況をどうしたらいいものか考えていた。確かに力になってくれるのは嬉しいが、やはりそう簡単には信頼できない。俺だけではなく、ユキの安全だって心配だ。
「そういや、話もいいのだが、とりあえず君たち移動したほうがいいぞ。『BATTLE GROUND』では予め最終範囲が決まっている。半径100メートルほどのエリアだけが最終的に残り、それ以外のところには催眠ガスが撒かれてしまうからな」
そんな隠しルールがあったのか。でも確かに、こうやって皆が皆かくれんぼしてるようでは埒が明かないのだろう。もうすっかり午後になっているのだ。日暮れまでだとしてもあと数時間しかない。
「でも、ヤムイさん……。最終範囲が決まってるとしても、難しいところですよね?」
「うむぅ!!」
ヤムイさんは大胸筋を力強く揺らし、俺の言葉に頷いた。確かに、いろいろと力にはなってくれそうだ。――暑苦しいけど。
「最終範囲は平坦な荷物集積場だ、毎度いろんな旗が立って目印になっているから案外わかりやすい。障害物は……木造コンテナと一本の木と脆い馬車が数台だ! だから、先にそのエリアを確保しようとすれば、周囲の敵から身を隠せない。――だからと言って、あとから入ろうとすれば先に有利な陣地を取った人間から撃ちおろされてしまうという……まさに筋肉が通用しない希少な場面だ。ここは様々な取引が必要になるが……」
むしろ筋肉ってそこまで万能なのか……と謎の感嘆をしてしまう。ただ、最終範囲を取るタイミングをどう見極めるか、それに掛かっているということか。俺も徐々にこの「ゲーム」の攻略法が見えてきた気がする。
「……そんな最終範囲を、再序盤から我が物顔で陣取っている奴らがいるんだ」
ヤムイさんは、突如真剣な眼差しになると続けた。
「あの二人――カフラーとメンカウラーだ。あの2人は魔霊師。そして、昨年に至ってはカフラー単独で20人以上をダウンさせ、おまけに……死人まで出している」
背筋がゾクリとした。それほどの化け物がこのフィールド上に存在しているのか。
カフラーとメンカウラー。見るからに情け容赦とかなさそうな男たちだった。さらに魔霊師ってことは……少なくとも現状わかるだけでも滅茶苦茶強いということか。
「ところで……む? そこのひょろい少年! その銃はもしかしなくても……?」
ヒロと呼んでください、と言ったがヤムイさんは聞く耳を持ってくれなかった。
仕方がなく、俺は彼が指さす先の銃――先ほど俺が掴んで激痛に襲われたヤツ、を見た。
「『BG』では最も使えない銃として、外れ枠で逆にレアな銃――『ダックフットピストル』だぞ! うーむ、少年の持つその運に筋肉を感じる! その四又に分かれた銃身を美しいと思わんか! なお、このワシでも扱えないがな……」
俺がさっき闇雲に掴んだ銃――それは銃口が四又にわかれ、それが横に配列されている独特のものだった。全ての銃口があらゆる方向を向いていて、装填機構も複雑そうだ。確かに、見るからに癖が強そうだ。
「ヒロ君が見つけた銃ってそれ……。この運のなさは貧乏神もびっくりね」
「そこまで言うかぁ?! この銃だって、きっと誰かの役に立つと期待をされて、この世に産まれてきたんだぞ??」
ユキまで口を押えて悲しそうな表情をしている。くそぉ、さっきまでその筋肉男に反発してたくせに、こんなことはアイツに共感しちゃうのかい!
「少年よ、この銃は四又なために近距離戦ならあるいは万に一つの確率で4人を同時に倒せるかもしれない。だが、この『BG』で大切なのは確実な命中率と射程だ。ある程度離れたところから当てられなければ意味がないのだよ」
大真面目なことを言われてしまった。申し訳ないが、この銃は置いていこう……。
ヤムイさんとユキは、移動を始め、早々に建物から出て行った。どうやら途中まで一緒に行動するらしい。だが、俺とユキの素人2人よりは確かに戦場のプロがいたほうが安心かもしれないしなあ……。
俺も重い腰を上げた。
平原を突っ切るのは怖い。再び近くの林に入るか、それともヤムイさんの意見を聞いてそれに従うか。少なくとも、ここまでは何とかやってこれたんだ。これからだって、きっと何とかなる。
とりあえず丸腰よりはいいだろうと思い、俺は四又の拳銃「ダックフットピストル」を拾い上げようとする。リロード方法が不明なのでそこは聞くしかない、が。
太いストローを四つ突き刺したかのような独特な形状を持つその拳銃を、俺は再び手にする。
「……痛っぅうッ!!」
右腕にまたもや激痛が走る。強力な電撃が加わったかのような感じだった。突然のことに俺は、思わずその変わった形状の拳銃を投げ出してしまう。
なぜだ……どうして、こんなことになる?
何の変哲もないはずなのに、その拳銃を掴もうとすると腕がまともに動かせないほどに痺れてしまう。
いや、これは俺の腕――俺の体がおかしいのか?!
「ヒロ君、何やってるんですか! そろそろ行かないと」
ユキが不思議そうな表情で戻って来た。
「あ、ああ……悪い。ちょっと考えていたんだいろいろと」
さすがにこんな醜態、ユキには見せられない。さっきから全く役立ててない俺だけど、こんなよくわからないことで迷惑を掛けるのだけは御免だ。
俺は、無念だがダックフットピストルを所持することは諦めて建物の外へと移動した。
きっと大したことはない。たまたまその時疲れが出たのか、それともその銃がちょっとばかし変な銃で体に合わないだけだ、と……。
俺は、そう思っていた。
そしてその時、彼――的場博嗣は、右腕にうっすらと赤く腫れあがった「痣」が顕れ始めていたことに気づいていなかったのだった。