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3話「闇」

 もしかして、俺以外にも――


 元の世界の人が、元の世界の誰かが――この世界に来ている?!


 いや、まさかそんなことがあるはずない。あるはずないけれど……。


 もし、仮にあるとしたら、どんな人がこの世界に来ているのだろうか――。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


 「……ロ、ヒロさんっ!!!」

クリスが血相を変えて俺の名前を呼んだ。状況が掴めずぼお、としている俺の腕を無理やり掴むと椅子から下ろされ、地面にひれ伏せられる。


 「な、何をするんだよクリス!」


 咄嗟に抵抗しようとした俺をさらに力づくで地面に押さえつけてくる。意に反して、大通りに向かって土下座させられてしまった。

 だが、よく見れば、喫茶店の客だけでなく、向かいの店の客も、店員も、通りを歩く人も、みんなが頭を地面につけている。


 「『BATTLE GROUND』を見物する来賓のお出ましなんですよ。このままジッとしてれば通り過ぎてくれますから」


 多くの人がひざまずく大通りに、豪勢な隊列が悠々と侵入してきた。銃剣バヨネットをつけた長身のライフル銃を肩に担いだ護衛兵がずらりと整列し、一糸乱れぬ動きで行進している。その隊列が数百メートルほど続いた後に、豪華な馬車がやってきた。横部分が大きく空いている開放的なデザインで、中には小太りで中背な男が乗っている。

「あのお方が、『帝国九大巨頭』の御一人、『誠実』の称号を両皇帝陛下より授かっている帝国内でも頂点に君臨する男――『ゲブ・アクラブ最高金融担当』なんですよ」


 九大巨頭……その名前だけでとんでもなく偉い人だとわかる。しかし、お偉いさんの前だからとはいえこんな風に長々と土下座しなくてはならないのは癪だ。これも異世界、異文化なのだから仕方がないのだろうけど。


 眩しい太陽の日差しの中、ゆっくりとそのお偉いさんを乗せた馬車が進んでいく。


 

 ぽてぽてぽて……。

そこに、まだ10歳にも満たないような小さな女の子が大きな果物かごを頭に乗せ、俺たちのいる喫茶店の隣にある八百屋から姿を現した。大通りに出てきて初めて今の状況を悟ったらしく、慌てて店の中に戻ろうとしたその時――。


 その少女が派手につんのめって転んでしまった。ズザザザザザー!とすごい音がしたかと思うと、頭の上にのせていた果物かごをひっくり返し、それを大通りの方にばら撒いた。オレンジ色の熟した果実が、次々とその来賓の列の方に転がっていき、いくつかがそのお偉いさんの馬車の車輪によって潰された。木目調の馬車には、黄色の汁がかかってしまう。


 転んだ女の子も泣きそうになりながら震えている。店の奥から素早く母親が駆け付け、店の奥に引き戻そうとした。


 そこで、あの馬車が、ピタリと停止した。中から、たぷたぷと太った1人の男――ゲブ・アクラブと呼ばれていた男がゆっくりと出てくる。その顔は、想像とは裏腹に、ニコニコと笑顔である。


 男が、朗らかな笑顔のまま、地面にしゃがみ込んでいる少女と母親の方に近づいた。


 わざわざ馬車から降りて女の子を気遣ってあげるなんて、見た目によらず優しい人なんだなあ、そんな悠長なことを俺が思ったその時……。


 肉厚で大きな男の手が小柄な少女の前髪を思いきり掴み、そのまま彼女を勢いよく持ち上げて近くの壁にぶち当てたのだ。

 ゲブ・アクラブ……彼の顔は、そんなことをしてもなお、笑顔のままだった。それが逆に、あまりにも恐ろしく、一瞬にして周囲に恐怖を伝播させた。

 少女の母親が突然のことに悲鳴をあげる。


 「……ッ! おま……」

耐えきれなくなり思わず制止しようと呼びかけた俺の口を、何者かに押さえつけられた。

「バカ! そのままじっとしててください! 殺されちゃう!!」


 俺の口を押さえつけながら小声でそう囁いたのはクリスだった。細い腕で一生懸命に押さえつけられ、抵抗しようという気にはなれなかった。


 ゲブ・アクラブ――その男は、そんな俺たちのことを一瞥すると、壁に打ち付けられて人形のように項垂れている少女とその母親に言い放った。

「私はね……誠実な心、誠実な人間だけが好きなんだ。だから――」


 丸々とした顔でニコニコと微笑んでいた男の顔が、急に相手を凍傷に陥れそうなほど冷酷な目つきに変わった。


 「卑しい下民風情がぁ……私の空気を、私の行く道を汚すなんてこと、耐えられないんだよねぇぇ!」

それだけ喚くと、彼はそそくさと馬車に戻って行った。母親は無言のままその子を抱えると、すぐに店の奥へと下がっていく。


 「なんだよ……この世界は……。いくら何でも酷すぎる、狂ってる……!!」

元の世界から跨いでここに来たということは誰にも言っていない事実だ。でも、この狂った状況の中でつい、口走ってしまう。

 けれど、クリスは場を察して何も追及してこなかった。

 

 そう、周囲の人間は誰も彼――ゲブ・アクラブを咎めない。咎められないのだ。帝国の最上部に君臨するその男に「間違っている」と指摘できるほど勇気のある奴など、いなかった。


 でもそれは、俺も同じことだ……。


 悲壮感漂う路を、何事もなかったかのようにアクラブの隊列が進んで行く。


 護衛兵と豪華絢爛な馬車が通り過ぎた後も、まだまだその列は続いていた。けれど、今までとは明らかに空気が違う。よどんだ、暗い雰囲気が漂っていた。ザッザッザッという地面と足がこすれるような音が、鳴り響いている。

「なんだよ……?! あの人たちは」


 目の前に見たこともない狂気が飛び込んできた。十数人の大人達が、腕や首を縄で縛られ、裸足のまま無理やり歩かされている。


 「奴隷ですよ」


 クリスが小声で教えてくれた。彼らの身なりは、みすぼらしく、本当に世界史の教科書に載っていたあの「奴隷」とまるで同じだった。


 「悲しいことに、ウプサーラを始めとする帝国南部では未だに奴隷制が残っているのです。人間の売り買いなんて最低なのに……。富裕層は金持ちであることのアピールもかねて、労働力として嬉々として買い付ける」

ほんとふざけてますよね、と早口で言うと、彼女は悔しそうに口を紡いだ。

 

 奴隷……。


 この世界の、もう一つの闇、か。


 「もういいと思います、起き上がっても」

「でも、まだ、列は続いているんじゃ……」

反論した俺に、クリスは左目を瞑り、軽くウインクしながら明るく言った。

「ほら、なんかああいうお偉いさんたちにペコペコするのってイヤでしょ? ヒロさん、わざわざこの街に来てくれたのにこんな思いさせちゃって申し訳ないなって」


 それを聞いて同意し、立ち上がろうとした丁度そのとき、もう一台、薄汚れた馬車が走ってきた。周囲を厳重すぎるほど兵隊で固められ、ただの荷車だとは思えない様子だ。


 だけど、その中に乗せられていたのは、まだほんの子供だった。細い腕。細い足、華奢な体格で、さっきの奴隷たちのように、すす汚れた簡素な服、靴を身につけている。

 だが、肩の下……腰近くまで伸ばしてある銀色の髪の毛が周囲とは隔絶した美しさを保っていた。


 その子の体にはあまりにも不釣り合いに思われる強固な拘束具で体中を束縛され、ただじっと俯いているその子の小さな背中にハラリとかかる白銀の髪を目に焼き付けた途端……、

 

 俺は心臓を抉り取られたような気がした。


 ペタンと荷台に女の子座りをしていたその子が、ふと何気ない様子でこちらを見つめてきた。

 悲壮の漂うその虚ろな目は、朦朧としているようで、本当に俺のことを見ているのか、それとも背景を大まかに見ただけなのか。判別できなかった。


 でも、俺自身は確かにその子の目を見た。それは、間違いなく健気な少女の目だった。


 彼女は、すぐに通り過ぎて行った。周囲の人間も、そこまでその子自体には気を止めていなかったかもしれない。


 けれど、俺の心の中はその子のことで、はち切れそうだった。あんなにも純粋で澄んだ色の瞳と、プリズムのように輝く銀髪を持つあの少女を、ただの奴隷なんだと言って、見逃すことなどできない。

 あの子に、猛獣につけるかのような鎖が繋がれていることが、とても許せなかった……。


 「クリス……あの人たちは、どこに連れて行かれるんだ?」

「おそらくだけど、BGの会場だと思う。会場は毎回お祭り騒ぎ出し、そこで奴隷市が行われるんじゃないか、って」

BG――「BATTLE GROUND」の会場ではそんなことが……。ともかく、行かないと。


 俺は今まさに目の前を過ぎ去っていったその長蛇の隊列を、追いかけようとした。


 

 「ちょっと!! お金払わないでどうするの!」

クリスが何の抵抗もなく俺の手を掴んだ。そこで、俺はふと我に返った。そうだ……今はクリスに街を案内してもらっていたんだ。次から次へと今までの「日常」ではありえなかったことが降り注いできて、混乱してしまっていた。


 「あ……無い……」

「何が『あ、無い』なのよ……」

わかり切ってるはずなのに、いじわるだ。

「お、お金がありません……」

「知ってます」


 やっぱり知ってるじゃないか!この重要な時にこんなしょうもないことを、と思ったが、確かに一文無しなのに女の子とお店に入ったのはいくら成り行きだったにしても無責任すぎると自分でも思えてきた。


 「すみませんっっっ!ごちそうさまでしたァ!」

クリスの目の前で素直に頭を垂れ、すばやく謝る。先手必勝。

「ウチ、これが生まれて初めてのデ、デート……じゃなくて初めての異性とのお出かけだったのになぁ」

はぁ、という彼女の落胆している姿が、見るからに可哀そうだった。俺だって、女の子との初めてのデートで奢ってもらうなんて、そんな失態を犯すとはおもっても見なかったのだが……。


 「だからさ。絶対勝ってよ」

クリスの予想に反した柔らかな声に、謝って頭を下げたままの状態から、思わず彼女の顔を見上げてしまう。

「怪我なく無事に、『BATTLE GROUND』に勝利すれば、今回の10億ジンバブーだって余裕で返せるでしょ! だから……絶対絶対、無事でいてくださいよ」


 「クリス……」

頬を赤らめながら、フン、と言わんばかりにそっぽを向いてしまった彼女の顔を改めてまじまじと見ることはできないが、クリスは自分のことを心配してくれている。それだけで、なんだか嬉しかった。


 「それにしてもなんでコーヒーとカフェラテで10億なんだ……?! どうにかならなのかこれ」

インフレだとしても計算がめんどくさすぎる。スマホや電卓なんて便利なものはないから、いちいち暗算なのだ、それもとんでもない桁数を。

「ちなみにこの金融状況を作り出してしまったのはさっきここをお通りになった誠実なるゲブ・アクラブ様なんですよ!」

クリスは嫌味っぽく言った。この世界に来てまだ数時間のこの俺でもわかる、そいつはとっととクビにした方がいい。たぶんできないんだと思うけど。こんな時だが民主主義の大切さが身に染みる。

 

 まあそんなことを今の俺が言っててもどうしようもない。俺は俺でどうにかこの世界で生きていく手筈を整えなくてはな。


 とりあえず、クリスが会計をしてくれているのを有難く思いながら待つ。

「それじゃ、ヒロさん。行きましょうか」

「BGの会場へ?」

「はい。きっと驚きますよ。ウプサーラだからこそできる、大迫力の場所ですから! ところで……」

大迫力、か。それはたのしみだ。一体どんなところなんだろう。

「今年はDUO、二人一組での戦いらしいんですけど、ヒロさんの相方はいずこなんでしょうか……?」

キョトンとした表情でクリスが尋ねてきた。


 ――え?


 デュ、DUO……つまりダブルス、要するに2人で出場するの……??

そんな話初耳だ。俺はソロ、ただのボッチだ。このままではBATTLE GROUNDに出場できない。5000兆ジンバブーが手に入らない。クリスに嘘をついていたことになってしまうっ! 計画がズタズタだ……。


 呆然として、焦り、背中と首筋にじわじわと汗を掻いている俺の心情をクリスにあっさりと見透かせれ、さらに止めまで刺されてしまう。

「う、ウチは……絶対出場しませんからねっ! 荒くれ男達に、もみくちゃにされたくはありません」


 スタスタと大通りを歩いていく彼女の後姿……。俺は、どうすることもできずただその後ろをこっそり付いて行くしかできなかった。


なんで明るい無双話を書こうとしたらこんなことに……。

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