第7話 星野葵
結局、あれから片付けをして、保育園を出る頃には十九時を回っていた。
帰宅途中。夕食を買って帰るついでに、買いたい本があったので、駅近くにある大きな本屋さんへ寄ることにした。
確かここは凛ちゃんが働いている職場だ。数回行ったことがあるが、顔を合わせたことは一度もない。タイミングが悪いのかもしれないが、返って仕事の邪魔にならなくていいだろう。
結果、今日も同じだった。レジや書店の中を歩いても凛ちゃんの姿はなく、僕は買いたかった本を買うと、さっさと出口まで向かう。
社員だと、アルバイトの指示や本の発注がメインだから、あまり接客には関わらないのかもしれない。そんなことを考えながら、自動ドアが開いた途端の出来事。
正面にいた人が立ち止まり、こちらに視線を送るのを感じた。僕は無意識に顔を上げ、相手を見ると衝撃を受けてしまう。
そこにいたのは、顔は凛ちゃんとそっくりだが、凛ちゃんではなかった。背格好は一緒だが、凛ちゃんのように長い黒髪ではなく、栗色のショートヘアだった。
もしかしてこの子、こないだ言っていた凛ちゃんの双子だろうか?
相手はこちらの視線に気付いてか、足を止めて首を傾げている。
「あの、違ったら申し訳ないんだけど……もしかして、凛ちゃんの妹さん?」
開口一番に僕は尋ねた。その問いに対し相手も、びっくりしたように瞬きする。
「あの、姉とは知り合いなんですか? 職場の方?」
「いや、ここには仕事帰りに寄っただけで。凛ちゃんとは友達だよ」
一瞬、凛ちゃんは皐月との友達で、自分はその彼氏と言った方が正しいのかな。と思ったが、いちいち説明するのも面倒臭いので、友達と言っておく。
「もしかして、叶夢さんですか?」
「えっ。僕のこと知ってるの?」
名乗る前に名前を呼ばれると思わなかったので、少々面食らってしまう。
「勘ですよ。凛はああいう性格ですから、男友達なんてほとんどいないんです。そう考えると、あなたくらいの年齢で男友達って言ったら、叶夢さんかなって。ほとんど消去法ですが」
ニコッと笑いながらも、彼女はどこか自慢げな顔をする。
双子というだけあって、顔は瓜ふたつだが、凛ちゃんと比べ、この子は社交的な感じで、喜怒哀楽がはっきりしていた。
「ちなみに私、星野葵です。出てきたのは私が後なんで、一応、凛が姉で私が妹になります。でも、凛のことをお姉ちゃん、なんて呼んだことないですけどね」
「へぇ。凛ちゃんとは、一緒に暮らしていないよね?」
「はい。凛は一人暮らしで、私は実家暮らしです。一人暮らしに憧れるけど私、まだ学生なんで。その……去年、単位落としちゃって」
頭を掻きながら、ちょっと苦笑している。
確かに凛ちゃんは、皐月と同じ二十三歳だから今、大学生と考えると計算が合わなくなるな。まあ、初対面だし、あまりこの話題は詮索はしないでおこう。
「今日、星野さんはどうしたの? 凛ちゃんに会いに?」
「星野って誰です?」
「えっ?」
君のことだよ。と言う前に星野さんは、胸に手を当て、口元を綻ばせる。
「葵でいいですよ。苗字で呼ばれるの好きじゃないんで」
「ああ、そう。じゃあ、葵ちゃんで」
さすがに初対面の子を、呼び捨てにはできないから、ちゃん付けにする。
「葵ちゃんは今日、凛ちゃんに会いに?」
「いえ。凛は今日、早番ですし、もうあがったと思いますよ。私は欲しい本があって」
「そうなんだ。じゃあ、また」
流れのまま、僕は手をあげ別れが告げた。
次の瞬間、僕の体は動かなくなる。違和感を感じて後ろを振り返ると、葵ちゃんが僕の服の裾を掴んでいた。
「えっと、どうしたの?」
行動の意図が読み込めず、僕は躊躇する。一方、葵ちゃんは悪戯ぽい笑みを浮かべていた。
「今日、本買うの、辞めます」
「なんで?」
「噂の叶夢さんと会えて、私は非常に感激しております」
「それは勿体無きお言葉を」
丁寧な口調になる葵ちゃんにつられ、僕も変な丁寧語を発する。
なんだか、不思議な子だな。油断したら、一気に相手のペースに持っていかれそうだ。
「叶夢さん。ご飯食べにいきましょ」
僕は一瞬、耳を疑った。この子、僕を誘っているのだろうか?
初対面の相手にいきなり、ご飯食べに行きましょうって……ずいぶん尻軽な子だな。
これが今時でいう、肉食女子ってやつだろうか。草食系の僕はつい身構えてしまう。
「嫌ですか?」
「嫌じゃないけど」
「じゃあ、行きましょう。大丈夫ですって、割り勘ですから」
葵ちゃんは明るい声で親指を立てる。そういう問題ではないのだけど。
「なに食べたいの?」
断る理由も浮かばず、僕は葵ちゃんのペースにつられ、つい質問を投げかけてしまう。
「そうですね。あっ、美味しいラーメン屋さん知ってますよ」
「ラーメンか。いいね」
「味は保障しますよ。ただ、叶夢さんに一つお願いがあるんです」
「なに?」
「いやー、実は私、バス通勤なんですよねぇ」
あははは、と頭を掻き、葵ちゃんはわざとらしい笑い方をする。
「はいはい。乗せてあげますよ」
「本当ですか! ラッキー!」
葵ちゃんは露骨に飛び跳ねて喜ぶ。
ああ、なるほど、と。僕は状況を読み込んだ。
僕にもモテ期がきたのかと勘違いしそうになったが、単に帰る足が欲しかっただけか。でも、なんだろう。葵ちゃんの企みがわかって、返ってすっきりした気持ちになる。
「ねえ、葵ちゃんと凛ちゃんって本当に姉妹?」
「どういう意味ですか?」
「いや、なんでもないよ」
さりげなく聞いた途端、葵ちゃんの顔が夜叉になりかけたので、僕は慌てて目を逸らすのであった。




