第3話 喪失感の先に
喫茶店にあるアンティークな壁掛け時計の針は【Ⅱ】を指していた。もう、十四時だ。
僕達はアイスコーヒーを飲みながら、ゆっくり寛いでいた。やはり、クーラーが効いてる場所は爽快だ。僕はゆっくりと安堵の溜息を漏らす。
「ごめんね。いきなり誘って」
「いいですよ。私も暇でしたし。でも、叶夢さんが誘ってくるなんて珍しいですね」
凛ちゃんは、はにかんだように笑う。
そんな、いつも誘ってるじゃん。と、言い返そうとしたが、すぐに口を噤んだ。
言われてみれば、確かにそうだ。皐月と凛ちゃんが一緒にいることは多かったが、僕と凛ちゃんが二人きりになることは、数える程度しかなかった気がする。
「そういえば、凛ちゃんって、なんのお仕事してるんだっけ?」
僕は差し支えがなさそうな話題を振った。
「書店の店員です」
「ああ。確か駅近くの大きな本屋さん」
「そうです」
「大変?」
「時期にもよりますね。今ちょうど文庫本が売れるんで。ちょっと、発注の調整が大変です」
「そっか。夏休みシーズンは文庫本が売れるもんね」
小、中学校時代だった僕にも記憶がある。普段、小説なんて読まないのに、読書感想文を書く時だけ、普段入ることのない文芸書コーナーに行って買っていた。思い入れがある作家さんなんていないから、大抵帯に書いてある文章とか、話題になってそうな本を適当に取っていた記憶がある。
「叶夢さんは最近、どうなんですか? 保育園のお仕事」
気を使ってか、今度は凛ちゃんが同じ質問を投げかけてくる。
「うん。僕もやっと、慣れてきたかな」
「そうですか。叶夢さんの仕事は人を扱う仕事ですから、大変ですよね。私、素直に凄いと思います」
と、凛ちゃんから尊敬の眼差しを向けられ、僕は居心地の悪さを感じた。
「そんなことないよ。僕の場合は、逆に子供達に励まされることの方が多いし。昨日なんか、生徒に『叶夢先生、元気ないね』って心配されちゃうくらいだもん」
と、複雑な心境を抱えつつ、明るく答えたが、それが失言だとすぐに気が付く。
ストローを口にくわえてた凛ちゃんが、眉を顰め、僕の顔を覗き込むように凝視していたのだ。ただ、見つめているだけ、なにかを口にすることもなかった。
お互い目を合わせたまま、気まずい沈黙の時間だけが流れた。紛らわすため、なにか別の話題を振ろうと考えるが、こういう時に限って、いい話題が見つかないものだ。
「……普通だと思います」
その空気を最初に打ち破ったのは、意外にも凛ちゃんの方だった。
「叶夢さん、皐月の前では、ずっと強く振る舞ってましたもん。皐月が死んだ葬式の時ですら、叶夢さんは涙一つ見せませんでしたね」
それは軽蔑を意味しているのだろうか? 凛ちゃんの寂しげな視線が僕の胸を突く。
「うん、そうだったね。凛ちゃんが軽蔑するのもわかるよ」
弁解もなく、素直に肯定した。これは否定出来るところじゃない。
確かにあの頃、僕は周りに冷たい奴と思われても、おかしくなかった。普通、愛する人が死んだら、涙を流すか、苦痛に顔を曇らせるか、どちらかの反応を示すのが普通の人間だ。
皐月の両親は葬式の時、周りには気丈を振る舞い、涙を流さなかったものの、病室で皐月が死んだ瞬間、皐月のお母さんは号泣していたし、皐月のお父さんも、皐月のお母さんの肩を抱きながら、なんとも表現出来ない悲しい目をしていたことを、僕は今でも記憶に残っている。
親と子ほどの絆が僕と皐月にあったかは疑問だが、僕も皐月とは結婚を約束した仲だった。少なくても今後、僕の人生というパズルのピースになる大切な人が失ったのだから、絶望に引きずり込まれてもおかしくなかったはずだ。
でも、あの時の僕に感情はなかった。皐月が死んだ時も、葬式の時も、僕は自分がやらなければいけないことを、業務のように淡々とこなしていた。
僕が思いに耽って、自己嫌悪していると、凛ちゃんは大袈裟なくらいに首を振ってみせた。
「違いますよ。むしろ、その逆です。どんな付き合い方をしたら、そんなに想ってもらえるのかなって、ずっと思ってました」
と、凛ちゃんは胸に手を当てて、真剣な眼差しを向ける。希望とも期待ともとれる、そんな輝いた目だった。
「皐月、言ってたんです。叶夢さんは涙脆くて、頼りない感じがするけど、本当は凄く芯が強い優しい人だって。自分の前で普通に振る舞ってくれるのは、きっと辛いのを隠して、頑張ってくれているからだと」
「皐月は僕の心境に気付いてたってこと? だとしたら、僕の行動は重荷だったんじゃ」
僕は真相を知り、ショックを受けていると、凛ちゃんは意地悪な笑みをこぼした。
「なに言ってるんですか? その逆ですよ。皐月はそんな叶夢さんを見て、励まされたんですよ。その姿を見て、皐月は残りの人生、精一杯生きようって決心できたようですから」
「どういうこと?」
いまいち、言っている内容と、皐月の決意の理由が一致しない。
「あっ。いえ、これ以上言ったら皐月、怒ると思いますし」
だが、尋ねる僕に対し、凛ちゃんは少し戸惑ったような様子で口ごもる。
「大丈夫だよ、凛ちゃん。もう、時効だから」
真意を知りたくて僕は、いい加減なことを言う。
なに言ってるんですか。と、突っ込まれることも覚悟していたが、凛ちゃんは意外にも天然なのか、その言葉を鵜呑みにして「確かにそうですよね」と納得したように頷く。
凛ちゃんは一旦、視線を窓の外に向け、記憶を思い返しているような表情を浮かべていた。
「叶夢が私の目の前から逃げ出さずに、最後まで私を看取ってくれると決意をしてくれたなら、こんな嬉しいことはない。だから、私も逃げない。最後まで足掻きながらも、叶夢と一緒に生きようって言ってました」
そう話す凛ちゃんの顔は、嬉しそうでありながら、何処か寂しげだった。
皐月がそんなことを口にしていたことは知らなかったけど、その話しを聞いても、僕は不思議と驚きや嬉しさといった感情は湧いてこなかった。
記憶を辿ってみると確かに皐月は入院中、たった一度だって『死ぬのが怖い』と、弱音を吐いたことはなかった。
結果として本当に皐月が、目の前の死を素直に受け入れて、残りの人生を一生懸命に悔いなく生きようとしていたのか? 僕と一緒で必死に強がっていただけなのか? その真実は、皐月が死んだ今、明らかにはならないだろう。
ただ一つだけ、はっきり言えることがある。
皐月はどうだったかはわからないが、僕は紛れもなく皐月や他の人の前では強がっていたし、綺麗事を抜きにして無理もしていた。
皐月の死を受け入れたくなくて、皐月の前から逃げ出そうと考えたこともあった。それをしなかったのは、逃げ出した先にも、必ず苦痛はあるとわかっていたからだ。
だから、胸の苦痛に耐えながら、最後まで見届ける選択肢を選んだだけのこと。
「皐月は最後まで、大好きな叶夢さんと一緒にいられたんですから、悔いはなかっと思います。だから、その……叶夢さんも無理はしないでください。今はもう、泣いていいと思います」
心配そうに、眉間に皺を寄せる凛ちゃんに対し、僕は戸惑いを覚えた。
「ありがとう」
僕は気まずさを抱えながら礼を言い、しかし、凛ちゃんからは視線を逸らしてしまった。
凛ちゃんに言われたことに対して、嫌悪感を抱いたわけではない。
正直、わからないのだ。自分が今だに強がっているかどうかも。実際のところ、僕自身、自分という人間を深く理解していないのが、正直なところだろう。
その場、その場で顔を変えるような、事なかれ主義の僕が唯一、ありのままをさらけ出した皐月相手に、最後は偽った姿で振る舞っていたのだから。
もしかしたら、ありのままで生きる方法すら、もう忘れてしまったのかもしれない。
仮にそうだとしても、今はどうでもよかった。
とにかく今はまだ、なにも考えたくなかったから。




