第30話 遺言
「珍しいわね。叶夢から家に来るなんて。お父さん、まだ仕事から帰って来てないけど、ご飯出来てるから、食べていくでしょ」
「うん。ありがとう」
僕は仕事を終えた後、そのまま、真っ直ぐ家には帰らず、実家に寄った。
明日、急に休みをもらったのはいいが、このまま、誰もいない家に帰っても、いい方向に気持ちの整理が付かないと思ったからだ。
「で、なにがあったの?」
コタツに入り、テレビを見ていると、カレーライスがテーブルに出てきて、そのタイミングで母さんは単刀直入に尋ねてくる。
「なにかって?」
「なにもなくて急に来ないでしょ、あんたは」
「なに言ってんだよ。たまに両親へ顔を見せるのが、息子の努めでしょ」
「昨日、お兄ちゃんの結婚式で見たばっかりでしょ」
確かにそうだった。
僕は返す言葉に詰まりながら、目の前のカレーライスに手を合わせ「いただきます」と言い、スプーンを取って、口に運んだ。
うまい。これをお袋の味というのかは知らないが、自分が作ったカレーライスとは一味違う。スプーンのすくう手も進み、あっと言う間に皿は空になる。
「ごちそうさま。いや、うまかったっす」
「はい。コーヒーでいい」
「うん。ありがとう」
母さんは皿をキッチンに下げると、今度はすぐにテーブルにコーヒーが出てくる。ずいぶんと要領がいい。直接、言ったら生意気だと怒られそうだが、さすがに二人の息子を育てただけあって、一つ一つの行動が早い。
コーヒーを一口飲む。母さんもコーヒーを飲み、テレビの方に目を向けていた。
「実はさ。付き合っていた葵ちゃんと別れたんだよね」
「あら、なんで? あんなに可愛くて、いい子そうだったのに」
「うん。そうだったんだけど……」
あまり驚いた様子は見せないが、母さんの視線はテレビから僕の顔へと移る。
僕は一瞬、迷ったが、ことの事態を説明した。
ただ、お姉ちゃんがその事態に絡んでいたことは隠しておく。今では兄さんの奥さんとなった人だ。お姉ちゃんの悪い印象を母さんに与えることだけは避けた。
説明するのにざっと十分くらいかかっただろうか。母さんは僕の話す内容に一度も口を挟まず、相槌を打って聞いていた。
一つ意外だったのは、葵の正体が凛ちゃんだったという部分でも、驚いた顔を見せなかった。まさか母さんまで、凛ちゃんと組んでいたのではないだろうか、という疑いが脳裏を過る。
話し終えると、母さんは俯き、少し黙っていたが、次の瞬間、長い溜息を漏らした。
「なるほど。そういうことだったのね」
母さんは心の片隅に引っかかっていた疑問が解けたように、表情が柔らかくなる。
息子の肩を持つようなタイプではないが、あんたもバカね。程度に言いながらも一応、険しい顔をすると思っていたが、状況は想定しない方向に動く。
「そろそろいい頃合いかしらね」
「いい頃合いって、なにが?」
「ちょっと、待ってなさい。今、持ってくるから」
と、母さんは一方的にそう言うと、その場から立ち上がり、部屋から出て行った。
持ってくるって、なにを? という質問を口に出す間もなく、母さんは部屋から出ていく。
なんだ一体? いざ第三者に告白した後、驚きや同情という反応を示してくれないと、今回の案件が実際、大したことじゃなかったような、そんな感覚に襲われ、もやもやした気持ちになる。
母さんが凛ちゃんの正体を聞いても驚かず、納得した顔をしていたということは、最初から葵ちゃんの正体を知っていた。もしくは察していたと思った方が自然だろう。
しかし、そうだとしたらいつからだ。会ったことがあるのは僕のマンションで鉢合わせした一度きりだけのはず。あの時に気付いたのか。いや、それは考えにくい。そもそも、そこで気付くほど、母さんと凛ちゃんの面識だって、ほとんどないと言っていい。
だとすると……お姉ちゃん同様、母さんも葵ちゃんとグルだったということだろうか。
「お待たせ」
母さんは部屋に戻ってくると、右手には白い封筒を手にしていた。その封筒をそのまま、無言でテーブルに置く。
目の前に置かれた封筒には【水野真理宛】と記載されている。水野真理とは母さんのフルネームだ。
「これは?」
当然、僕は状況が読み込めず、母さんに聞いた。
「これは、皐月ちゃんが私に書いてくれた手紙」
「えっ? 母さんに」
そんなものがあるとは初耳だった。僕宛には手紙なんて残してくれなかったのに何故、母さんに向けて、皐月がそんな手紙を残したのだろう?
「あんた。なんで、自分には残さなかったんだって、いじけてるんでしょ」
「そ、そんなことは……あるけど」
つい本音が漏れてしまう。母さんはやれやれとでも言うように、頭を掻いている。
「あんたに手紙なん残したら、ずっと未練がましくしているでしょ。だから、皐月ちゃんはあんたには残さなかったのよ。正確にはあんたと凛ちゃんにはね」
「僕と凛ちゃん?」
「出来れば、見せたくはなかったけど……いつか、あんたに見せる日が来ると思っていたわよ」
そう言って母さんはコーヒーを口にする。
僕は手紙を手に取って、母さんの許可をとってから封筒に入っている紙を取り出した。
水野真理様。
今、この手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないでしょう。
こんな形で手紙を叶夢さん宛ではなく、叶夢さんのお母様に残すこと、失礼と存じておりますが、お許しください。
お母様はダメな私を優しく見守って頂き、いつも笑顔で接してくれたこと、本当に支えになりました。もし、叶夢さんと結婚して、子供を作っていれば、いろんな困難があったと思いますが、それ以上の幸せな日々が待っていたと思います。
それが叶わず、この世を去ることに悔みがないかと聞かれて、ないと言えばそれは嘘になります。
でも、私は短い人生の中で家族に愛され、叶夢さんと出会えたことが出来たのですから、思い残すことはありません。
ただ、気がかりなことが二つあります。
お母様もご存知の通り、叶夢さんは優しい人です。優しすぎるうえに不器用な人です。
悩んでいる人がいると、自分のことを後回しにして、人と真面目に向き合い、悩んでくれる人だから、いつも気付けば、騙されたり、自分がハズレくじを引かされている人。
でも、最後は笑って「まあ、良かったね」って言う、そんな叶夢さんが好きでした。
少し話しが脱線してしまいましたが、私が心配しているのは二つの内、一つが叶夢さんのことです。
叶夢さんは私が死んだら、誰とも付き合ないのではないか、と心配です。
私が病気になって死んでしまうことは、叶夢さんの責任ではありません。それなのに、叶夢さんは責任を感じている。私が死んで、自分だけが幸せになることができない。口では違うと言いながらも、無意識に人と距離をおいてしまうじゃないかと心配です。
優しくて真面目な叶夢さんは、きっと制限される日々を自ら選んでしまわぬよう、お母様に見守って頂きたいのです。
何年経っても動かないようであれば、尻を叩いてでも行動するように背中を押してください。叶夢さんは優しい人ですから、きっとすぐに好きになってくれる人が現れるはずですから。
もう一つの心配は、お母様に打ち明けるべき内容か迷いましたが、叶夢さんに関係ない話しではないので、書かせて頂きます。
私の親友で凛という子がいます。彼女は叶夢さんのことが好きです。
本人はずっとそれを否定しておりますが、嘘がつけない子なので、すぐにわかりました。
素直で優しい友達思いの子で、今までずっと笑って私と叶夢さんとの関係を応援してくれていました。
私、最低ですが、死ぬ直前になって凛に『私が死んだら、叶夢さんに告白しなよ』って言いました。
それは投げやりな言葉のつもりじゃなかったんです。本当に私は自分が死んだ後、叶夢さんと凛は一緒になって欲しいと思ってました。
そしたら凛、真剣な顔で私の手を握って言ったんです。
「皐月。今まで誤魔化していたから言うけど私、叶夢さんのこと好きだよ。でもね、忘れないで。私は凛。星野凛。皐月を一番の親友だと思っている。自分の気持ちに嘘をついたって構わない。私は皐月の親友である以上、皐月を裏切ることは絶対にしたくない」
その言葉を耳にした瞬間、私は凄く嬉しくて、本当に自分は幸せ者だと思いました。だって、私は短い人生で、こんな友達を持つことが出来たのですから。
でも、私は心配です。
凛は自分に嘘をついて、その後、新しい恋を見つけられるのでしょうか?
フラれたったいい。自分の気持ちを相手に伝えるか、伝えないかで、凛の人生も大きく左右されていくことでしょう。
お母様にこんな話しをして、叶夢さんと凛をくつけて欲しいと頼んでいるわけではありません。
なんでしょう? うまく言えないんですけど、私はただ、この気持ちを伝えたかっただけかもしれません。叶夢さんと凛以外の別の誰かに。この気持ちの全てを。
最後まで、読んでくれてありがとうございます。
死んだ私が言うのも変ですけど、お母様もお体は大事になさってください。
ありがとうございました。
今村皐月




