第22話 それぞれの決意
「もしかして、叶夢さん。皐月さんのことを必死で忘れようとしていたんですか?」
顔を近づけ、真剣な眼差しを向ける葵ちゃんに、僕は少し尻込みしてしまう。
「だとしたら、幻滅です」
「えっ?」
「叶夢さん、勘違いしてませんか? 私は叶夢さんに対して、早く皐月さんを忘れて欲しいなんて、一瞬たりとも思ったことはありませんよ」
僕は想定外の言葉に意表を突かれてしまっていた。
だって、普通は皐月のことを早く忘れて欲しいものと、思うものじゃないのだろうか? それを一瞬でも思ったことがないって……そんなの嘘だろ。
「その顔は本当に勘違いしていたみたいですね」
僕の顔を見るなり、図星かと気付き、葵ちゃんは溜息を漏らし頭を抑えた。
「いい機会だから、教えてあげます。むしろその逆で。もし、仮に叶夢さんが、簡単に皐月さんのこと忘れられるよう白状者だったら私は幻滅ですよ。だって、そうでしょ……愛していた人が死んだからって、そんな簡単に忘れなれるような冷たい人間なら、こっちからお付き合いなんてお断りします」
「でも」
「いいですか、叶夢さん」
困惑する僕の口を塞ぐように、葵ちゃんは人差し指を僕の顔の前に出す。そして、更に追い打ちをかけるよう言葉を続けた。
「私は叶夢さんに皐月さんのこと、忘れて欲しいなんて思いませんよ。一生、皐月さんのことを想ってくれても構いませんよ。皐月さんを想う叶夢さんもひっくるめて、私は叶夢さんのこと好きなんですから」
「前向きだね」
「当たり前じゃないですか。それが私の取り柄なんですから」
エッヘンとでも言うように、胸を張る葵ちゃん。
相変わらず、不思議な子だな。でも、なんだろう。胸が少し軽くなった。
この時、僕は間違いなく、葵ちゃんの言葉に救われていたのだと思う。この子は僕が今から言おうとした、最も言い難いことをすぐ察しただけではなく、それを重荷にならない答えを出してくれた。
皐月を忘れる必要はない。そして、皐月のことを想い続けても構わないと。
もしかしたら、その言葉は精一杯の嘘なのかもしれない。でも、葵ちゃん自身が僕の気持ちを一生懸命に理解して、口に出してくれた言葉なら、僕は葵ちゃんを前向きに受け入れていこうという決意をする必要がある。
「葵ちゃん」
「はい?」
「きっと、僕と付き合ったら、普通の人達のような付き合い方はできないと思う。普通だったら、悩まなくていいことを、悩まなくちゃいけなくなるかもしれないし、葵ちゃんのことを酷く傷付けてしまうかもしれない」
「はい」
「正直、先のことも全然、わからない。でも、僕も前を向かなくちゃいけないから」
「はい」
覚悟を決め、ゆっくりとした口調で話していく僕。その間、脳裏には皐月との想い出がいくつも蘇っていく。
楽しかったことや、苦しかったこと。嬉しかったことや辛かったこと。そして、皐月と最後に交わした言葉。
私を忘れないで。あの言葉がずっと頭を過っていた。
あの言葉の意味は理解できていないが、生涯、その約束を守っていくと決めた僕は、皐月を忘れないよう、もう恋なんてしないと心のどこかで決めていたんだと思う。
ただ、そんな僕を心配して、みんな立ち直るよう背中を押してくれていた。でも、僕は疎ましいと思っていた。兄さんもお姉ちゃんも凛ちゃんも、近寄ってくる葵ちゃんもだ。
でも、わかったんだ。どちらかを選ぼうとするから、きっと苦しむのだと。
別の誰かを受け入れながらも前を向き、皐月のことを抱えて生きていく。
その選択肢はもしかすると一番、困難であり、相手からしてみれば苦痛な道なのかもしれない。ただ、僕が今後の人生、偽らずに誰かと生きていくには、それしか道がないということを葵ちゃんも察している気がした。
だから、葵ちゃんは僕の目を見ても、全くの動じずに、決意に満ちた目で優しく頷き続けている。
僕は覚悟を決め、呼吸を整えるとゆっくりと頭を下げ告げた。
「それでもよければ、よろしくお願いします」
静寂な空気が流れた。頭を下げると目には自分と葵ちゃんの足が見え、ウミネコの泣く声がやけに煩く耳に響いていた。
とても長い時間のように思えた。
しばらくすると、葵ちゃんは両手で僕の肩を掴み、押すようにして僕の顔を上げさせる。が、顔を上げた途端、僕は葵ちゃんの顔を見て絶句した。
葵ちゃんは泣いていたのだ。大粒の涙をためて。
なにか、まずいことを言ってしまっただろうか? と内心、焦るが、僕の顔を見ると葵ちゃんはゆっくりと微笑み、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
と、葵ちゃんは頭を下げた。
「ご、ごめん。僕またなにか無神経なこと言った?」
「なに焦ってるんですか?」
「い、いや、だって」
泣かせてしまったことへの罪悪感を感じていると、葵ちゃんは手で涙を拭くと首を振って、
「嬉し泣きですよ」
と、照れ臭そうに目を背けて言った。
「あっ。そうなんだ」
僕は一応、納得はしたものの、さすがにまだドキドキしている。
そりゃそうだ。子供の対応ならまだしも、成人過ぎた女の子を泣かせてしまうことなんて、日常的に経験することじゃないので混乱してしまう。
とはいえ、葵ちゃんって綺麗に泣くんだなぁと一瞬、見惚れてしまった自分もいた。言い方を悪くすれば、涙は女の武器とはよく言ったものだと関心する。
もちろん、実際に葵ちゃんが嘘泣きをするような子だとは思っていない。そういうやり方は人一倍嫌いそうだし、駆け引きが特別にうまいタイプではないだろう。
「まあ、とは言っても……焦らず、ゆっくりやっていきましょうね。叶夢さんも無理しないで、今まで通り自分のペースで接してください」
「ありがとう」
上機嫌にはしゃぎだすのかと思ったら、葵ちゃんは意外にも冷静な気遣いをしてくれる。
僕もその気遣いには少し安心した。
当然、それは皐月のことがあるから完全に割り切れない理由が実際大きいが、いきなり付き合うからといっていきなり、その場で恋人同士になるような雰囲気になるのは苦手だった。
それは葵ちゃんも一緒だったようだ。少し意識したように僕を横目で見たが、目が合った瞬間、意識したように目を逸らすと慌てたように立ち上がった。
「さてと、気分転換はこの辺にして、どっかでぱーとしますか!」
「ぱーと? カラオケとか?」
「カラオケはダメですよ!」
首を激しく振って、葵ちゃんは間髪を入れずに否定する。
「あれ、もしかして、カラオケ嫌い」
「いえ、嫌いとかではなく……その、いきなり個室はダメです」
葵ちゃんにしては珍しく、尻込みした様子で口籠るので、僕はその姿に吹きだしてしまう。
「なんですか、その顔は!」
「いや、なんでもないよ」
今までは全くそんなこと、気にもしなかったような子が突然、僕に意識をしてしまっているのは一目瞭然であった。
そんな純粋な葵ちゃんの姿に笑っている僕の顔を見るなり、葵ちゃんは困ったように弱気な態度で指摘してくる。
僕は困った顔をする葵ちゃんに対し、意地悪なことを言うのも可哀相なので、話しを遮るように視線を海を向けた。葵ちゃんはそんな僕を一瞥すると黙って、同じように海を眺めた。
「綺麗、ですね」
「そうだね」
僕達はしばらくの間、海を眺めて、日常を忘れて癒された時間を送っていた。
あれから海を眺め終わった後、車に戻った僕達はその後、特別に行先を決めずに車を走らせていた。
何処か行くよりも、葵ちゃんは話しをしたがっている感じがしたので、帰り道、一般道で少し通ったことがない道を通って、ドライブをしていたら思った以上に時計の針も早く過ぎていった。
楽しい休日の時間はあっという間に過ぎてしまう。とはよくいったものだ。皐月が病気になって、死んでしまってからというものの、休日はとても長い時間に感じていた。
一人でいる時はもちろんだが、誰かと一緒にいて話していても、自分だけが別の空間へと取り残されたようで、苦痛とも億劫ともいえる感情に包まれていた。
だからこそ、毎日動き回る仕事の保育士という仕事は、僕にとっては救いでもあった。
でも今、少しずつ、変わってきている。本当に少しずつではあるが、ひとつの分岐点を過ぎたようで。それが素直に喜んでいいことなのかも、僕にはわからなかった。
「叶夢さん? 話し聞いてます」
「えっ? あっ、うん」
「叶夢さんのあっ、うん。は聞いてない証拠ですよ」
僕が運転しながら、ふいに考え事をしていると、それを遮断するように葵ちゃんの声が入り込む。話しを聞いていなかったことに葵ちゃんは指を差して指摘するものの、特に追求することはなく、そのまま話題を戻し話しを続けた。
僕はその話しに相槌を打ちながら、赤信号で車を止めたところでふいに皐月の言葉が頭を過った。
私を忘れないで。
今だに皐月が言ったあの言葉の真意がわからいままだが……僕は今思ったのは、
こんな風になった僕を見て、皐月は一体、どう思っているんだろう?
その疑問だけが、脳裏をつきまとっていた。




