偽勇者の新婚事情
始まりの町の領主の館には、今、領主とその使用人達のほかに、一組の夫婦が暮らしていた。質素だがしっかりと造りこまれた家具に囲まれた部屋の中で、その夫婦と領主が向かい合っていた。
「ごめんね、シャーちゃん。迷惑かけて」
すまなさそうな顔をした妊婦は、領主シャルネの元・護衛騎士であったヨメイアである。
「何言ってるの、ヨーメ。こうして友人の役に立ててうれしいわ」
実際にはある騒動に巻き込まれた彼女を、歳下ながら友人でもある女性領主が自分の館に保護したのである。
微笑み合う女性達の傍に、一人の男性が座っている。妊婦の夫であるその男性は、この国では上級貴族に匹敵する勇者の血筋の者である。しかし、実はその者はすでに亡くなっており、今は女ったらしで名高いガンコナーという妖精族がなりすましている。
それを知っているのは一部の仲間達だけだ。
もちろん、シャルネはあとで知ったことだったが、初めから勇者の直系である彼が普通の者ではないことは世間では常識だったので、言動がおかしくてもあまり気にしていなかった。
「しかし、良かったのですか?。いくらギードの頼みだとしても、あの女性を雇ったりして」
勇者の姿をしたガンコナーは、心配そうに領主の顔を見る。
シャルネはこの夫婦の世話をさせるために、ひとりのエルフの女性を雇った。しかし彼女は、いろいろと問題のある女性だった。
ガンコナーの質問にシャルネは苦笑いを返す。
「ギードさんは、貴方なら何とかするだろうって」
ギードの必殺丸投げである。女性に関することなら断らないと知っている。
ガンコナーは一瞬驚いたあと、勇者の顔でくくっと笑う。
「分かりました。何とかしましょう」
シャルネは、この男性を以前から不気味だとは思っていたが、何故か嫌いにはなれなかった。
一番大きな客間である自分達の部屋に戻ると、ガンコナーは擬態を解く。
金色の、肩までの癖っ毛の髪を無造作に掻きあげると、長い前髪から赤い瞳が現れる。
「ちょっと出掛けて来る。夜までには戻るよ」
食事はいらないと告げて、妻の手に口付けをする。
ぞわりと背中を這う寒気でぶるっと震えるヨメイアに、楽しげに笑いかける。
「勇者の顔のほうが良かった?」
「あ、いや。そんなのはどうでもいいが」
ヨメイアは男性とそういう、恋愛関係になった経験がない。騎士に囲まれて育った彼女は、そういう目で男性を見たことがないのだ。
一応下級貴族の娘なので、容姿は申し分なく整ってはいるが、手は剣を振りまわすためだけのものであり、豊かな胸など邪魔なだけである。
ではなぜ子供を身ごもったのかというと、死ぬ覚悟を決めていた勇者サンダナの策謀にまんまと嵌ったからである。
腹黒エルフは、そのヨメイアのため、いや、サンダナという恩人のために、今なお、力を貸し続けている。
「そういえば、お前は、あいや、貴様は、むぅ。なんて呼べばいいのだ」
ヨメイアは二人っきりになると、いつも呼び方に困るようだった。
「旦那様、じゃだめなの?」
ふふふとガンコナーの赤い瞳が楽しそうに細められ、からかっているのがわかる。
群れで生活する種族ではないガンコナーは、縄張り意識が強く、一つの町には一体しか存在しない。
二体がかち合えば、強い方が残る。最強の傭兵のダークエルフでさえ手を焼くこの妖精が弱いはずはなかった。
「好きに呼べばいい。この地にひとりしかいない妖精族の名前など適当でかまわない」
「わかった……」
お腹の大きな妻が頷くと、偽物の夫の、その姿が消えた。
ふんわりとした緑の匂いを乗せた風が吹く。夏はまだ始まったばかり。
「ここは釣れるのか?」
大きな湖の岸辺で、釣り糸を垂れているエルフに声をかける。
振り返ったエルフのギードはにっこり微笑んだ。
「ええ、釣れますよ。ほら」
すでに下処理され、木の串に刺され、あとは焼くだけの姿になった、りっぱな魚が葉っぱの上に数匹置いてある。
ガンコナー達がいるその場所は、勇者の墓のある森とは湖を挟んだ対岸になる。こんなに近くにいたのか、と呆れ顔で腹黒エルフを見ると、うれしそうな顔で釣りを満喫しているようだ。
「そういえば、あの長老の娘のエルフが来たぞ」
「あー」
振り返りもせずに生返事が返ってくる。
「お任せしますよ」
ただそれだけだった。
「いいのか?。あれはお前の養父の娘、お前にとっては義理の妹だろう」
ガンコナーの戸惑いに、ギードは笑顔で答える。
「自分はエルフの森に帰る気はないですよ」
自分のいる場所は家族のいる場所だ。人族の妻や子供は森では生活できない。だから、森に住むエルフの長老やその娘といっしょに暮らすことは無いと断言する。
「自分ができるのは、せいぜい養父が困らないよう、我が侭な娘を矯正してくれる者をけしかけるくらいです」
ガンコナーは相変わらずこのエルフは変だと思う。
「それより」
顔を上げたエルフは、ガンコナーに獲ったばかりの魚を差し出しながら尋ねる。
「そっちはどうなんですか?」
「んあ?」
魚には興味はないが、土産に持って帰るかと思いながら見ていると、溜め息が聞こえた。
「家族が出来たんですよ。そっちだって」
ガンコナーは首を傾げる。
「家族?。あの子供みたいな女とか?。なんで妖精と人族が家族になるんだ」
長い間、実体を持っていなかったガンコナーはまだ現実を分かっていないようだった。
確かにガンコナーという妖精族は群れを作らない。
それでも生涯ずっとひとりというわけではない。彼らだって気に入った者は大切にするし、愛することもある。
「結婚とはそういうものでしょう?」
魚を焼く為にたき火を起こしはじめたエルフを手伝っていたガンコナーは笑い出す。
「あははは、人族の儀式なんぞで縛られるはずがないだろう」
魔法で付けた火に、くべられた小枝が白く煙りを上げ始める。
「それでも」
エルフは立ち上がり、少し離れた場所で、子供達を見守りながら立っている人族の女性を見つめる。
「縁っていうのは、あるんですよ。それは貴方だって知っているはずです」
ガンコナーはエルフの視線の先にいる女性を同じように見つめる。だけどガンコナーの目には、その女性は、遠い昔、出会った勝ち気な魔術師に見えた。
(彼女とずっといられたら、もしかしたら俺は彼女と)
自分の、あの頃の、あの想いは、どこへ行ったんだろうか。
人族ではなく、ガンコナーという妖精族だと告白された。
その時からずっと考えていた。いっしょに生きる道を。
種族が違うからと離れようとした彼に気付いた。
魔術師の女性は、彼を封印することを決意した。
「何をする気だ!」
彼女は答えない。言葉より先に手が出る女性だった。
勇者の家系では珍しい魔術師だった。
彼女は、その有り余る金で彼を繋ぎ止めていたつもりだった。
でも、それは間違いだった。
彼は金に目がくらんだ他の男性達とは全く違っていた。
やさしい言葉も。自分の好みどおりの容姿も。
すべて彼女のためだと彼は言った。
そんなものがなくても、きっと愛していた。言葉にはできなかった。
初めての気持ちに、彼女はどうしていいか、わからなかったのだ。
彼を魔力で捕える。
自分の血と魔力を注いで作った薬が入った瓶の中に閉じ込める。
涙があふれていた。
こんなことしか出来ない、我が侭な自分を責めた。
「ずっとそばにいて」
一言、呟いたあと、一気にその薬を飲み干した。
彼女は意識を失い、数週間眠り続けた。
そして目覚めた時。
それまでの事をすべて、彼女は忘れていた。
ガンコナーは、あの彼女と同じ魔術師で勝ち気そうな人族の女性を見つめる。
ふいにその魔術師の女性がこちらに気づき、にっこりと笑う。
どきりとするが、その笑顔はガンコナーにではなく、隣にいる彼女の夫であるエルフに向けられているものだと気づく。少し恥ずかしくなり目を逸らすついでに子供達を探すと、岸から少し離れたところで、土の最上位精霊に守られながら、笛を吹き、踊っている。
「なんだ、あれ……」
その子供達の傍に、一体のニュンペーがいる。
「なんか知りませんけど、気に入られたみたいで」
パーンの使いで来たニュンペーが子供達に踊りを教えているのだという。
ガンコナーが町の歓楽街に潜み、人族の女性を騙す妖精であるのとは対照的に、ニュンペーは草原や山々に潜み、旅人の男性に取り入り精気を奪う女性の妖精である。お互いに相容れない関係であり、ガンコナーは苦い顔をする。
「じゃ、帰るわ」
またな、と手を振る。その手にはしっかりとお土産の焼き魚を持って。
「ただいま」
まだ夕食前の時間だった。ガンコナーは部屋の中で寛ぐヨメイアの横に座る。
使用人の気配が近付いていたので、勇者の姿に変化する。扉の外から声がかけられ、入って来た使用人から夕食の用意が整ったことを告げられる。
「あの、旦那様はご夕食は不要と聞いておりましたが」
一人分用意が足りないことを焦る使用人の女性に、にこやかに必要がないと安心させる。
「あ、これ、お土産。皆さんでどうぞ」
りっぱな魚を焼いたものを渡す。
それを見たヨメイアが、その中の一匹を取り出した。残りを使用人に持たせ、部屋を追い出す。
「せっかくの旦那様の土産だ。ここでいっしょに食べよう」
ガンコナーが唖然としていると、ヨメイアはかまわずがぶりと魚に喰いついた。
「焼き立てだな。美味しいぞ」
満面の笑みを浮かべて、その串に刺された食べかけの焼き魚をぐいっと差し出して来る。
「あ、ああ」
なんだこいつは、と思いながら、ガンコナーも魚を口にする。
うん、うまいなと思う。
「な、美味いだろ」
まるで自分が獲ってきたかのように自慢げに笑う妊婦に呆れながら、ガンコナーは笑いがこみ上げる。
「ふふふ、あはは」
おおよそ女性らしくないその仕草も、貴族らしくないその立ち居振る舞いも、以前愛した女性とは似ても似つかない。
それでも、なんだろう、この温かくなる気持ちは。
愚かだからか。脳筋だからか。
自分が手を貸してやらなければ、この女性はきっといつまでもこのままだ。
(やってやろうじゃないか。誰から見てもいい女にしてやるよ。あのエルフともどもな)
「あ、そうだ」
食道に向かう前にヨメイアは、部屋に残るガンコナーに何か言いたいことがあるようだ。
「えーっと、名前勝手に決めていいんだよね?」
「ああ、いいぞ」
「じゃ、ガンコナーでサンダナだから、サガンね」
なんじゃそりゃ、とは思ったが、彼女がそれでいいならかまわない。
馬鹿っぽい笑みを浮かべ部屋を出ていく妻を、手を振って見送る。
「いってくるね、ガンちゃん」
ちょっと赤い顔をして、その女性は扉を閉めた。嫌そうな顔の夫を残して。
翌日から、ガンコナーの容赦無い淑女教育が始まることになる。
〜完〜