1
その宝石の中には、雪が降っているのだという。
宝石の中に降り続く雪は、世界に冬をもたらし、大地を凍てつかせる。
冬の女王の持つその宝石を奪ってこいと、王は言った。この長く続く冬を終わらせろと、春の恵みをこの地に蘇らせろと、そう私に命じたのだ。国一番の戦士であり、幾多の冒険を重ねてきた私に下った命令は、それまで私が経験してきたなかで、一番に過酷なものだった。
そして私は今、雪で覆い尽くされたその山に足を踏み入れている。
ザク、ザク、ザク。
ほとんど人が足を踏み入れないその地は、深い雪で行く手を阻んでくる。
一面の銀世界。
しかしそれは、美しさよりも厳しい寒さの象徴であり、女王の大いなる魔力の象徴でもあった。
――この山の頂上に、女王の塔がある。そこに、この長い冬をもたらす女王がいる。
女王から雪の宝石を奪って、この国に春の恵みをもたらすことが私の使命。それこそが、貧しいこの国を救う唯一の方法なのだ。
たくさんの兵士がこの山を登っていった。しかし、誰一人として帰ってきたものはいなかった。
あれは死の山だと誰かが言っていた。そんな山に登るなんて、やめたほうがいい。死ににいくようなものだと言われた。
それでも私は行かねばならなかった。行って、確かめたいことがあったからだ。
すっと息を吸う。途端に凍てついた空気が喉を通り肺を冷やした。体の芯から熱が奪われていく。手はかじかみ、靴の中の足は凍り付いて指が動かなかった。
それでも、行かねばならない。残された希望は、私だけなのだ。この国に春をもたらすことができるのは、もう私しかいないのだ。
***
「冷たい!」
私の額を氷のようなそれで冷やしてきたのは、美しき少女だった。白銀に光る長い髪に、透き通るような白い肌。青い瞳は深い雪を思わせる。そんな彼女は、私が今まで出会った人間のなかで、一番美しく可憐だった。
とある秋の日、木の下で寝ていると、ふいに冷たい感触を額に感じた私はびっくりして目を覚ました。そして視線の先に、見たこともないような美しい少女がいて、さらに私はびっくりしたのだった。
「きみは……だれ?」
私がそう問うと、少女は少し悩んでから答えた。
「……セシル」
「セシル。きみかい? さっき私の額をなにかで冷やしたのは? あれはなに?」
セシルはまた少し戸惑ったような表情を浮かべて、自らの手を見つめた。
「手を……当ててみたいと思って」
「手?」
「ええ。あなたがあんまり気持ちよさそうに寝ていたから、ほんの少し、触れてみたいと思ったの……」
セシルの声は、静謐で凛とした美しさを持っていた。そんな声にどきりとしながら、私は彼女の手を見つめた。
「あれはきみの手だったのか。しかし、だとしたらなんて冷たい手をしているんだ。もしかして、随分体が冷えてしまっているのじゃないかい? 私の家に来て、暖をとっていったらどうだい?」
するとセシルはきょとんとした顔をして、すぐに首を横に振ってみせた。
「大丈夫。そこまで迷惑はかけられないわ。それよりごめんなさい。起こしてしまって」
彼女は慌ててそこから立ちあがった。そしてそのまま立ち去ろうとしたので、私は慌てて声をかけた。
「待って! セシル、またきみに会えるかな?」
私が引き止めると、少し先まで行っていた彼女が振り返った。そして彼女は少しだけ迷いながらも、こくりとうなずいていた。
それから、私は彼女に再び会うために、毎日のようにその木の下に行き、彼女が来るのを待った。しかし、数日待っても彼女が現れることはなく、私は半分あきらめかけていた。
けれどそんなとき、ついに私はその姿を再度目にすることになった。秋が終わりを告げ、冬の寒さが身に染みるようになったころ、再び彼女はその場所に現れたのだった。
「セシル!」
私が叫ぶと、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせてこちらに近づいてきた。
「ごめんなさい。来るのが遅くなってしまって」
申し訳なさそうに話すセシルに、私は頭を振ってみせた。
「いいんだ。こうしてまた来てくれただけで。またきみに会えて、本当に嬉しいよ」
セシルはにこりと微笑んで、白銀の髪を揺らしていた。
「それにしても、とても寒くなってきたね。なんだかさっきよりまたぐっと気温がさがったようだ」
空は晴れていたが、辺りには寒々しい空気が満ちていた。ひんやりとした風が首筋を撫でていき、思わずぶるりと体が震える。
そのとき、私は彼女が随分薄着をしていることに気がついた。見たところ上着も着ず、薄手の白いワンピースを身につけているだけのように見えた。
「セシル。随分薄着をしているようだけど、寒くないかい? 私の上着、貸そうか?」
私が自分の羽織っていた上着を脱ごうとしていると、セシルは慌ててそれを止めた。
「大丈夫。脱がなくてもいいわ。わたしはこれで平気なの。心配しないで」
私は訝しみながらも上着を脱ぐことをやめた。だが、確かに彼女はこの寒さのなか、まるで平気そうな顔をしていた。というよりも、以前会ったときより随分元気そうに見えた。
「でも、よかった。こうしてきみとまた会えて。実は半分あきらめかけていたんだ。もうきみはここへ来ないんじゃないかって」
「……ごめんなさい。ちょっと前まで体調を崩してしまっていたから……。でも、もう大丈夫。冬がやってきたから」
彼女のその言葉に、私は不思議なものを感じ、その顔を見つめた。ひんやりとした空気を身に纏った彼女のなかに、以前にも増した美しさを私はそのとき感じた。と同時に、どこか他人を寄せ付けないような、冷たいなにかを感じ取っていた。
***