氷が溶けないように
「いくら同じ職場でもさ、普通女と二人っきりでご飯行く⁉︎」
熱のこもった声。怒っているのだろう。それはいたって普通のことだとは思う。もうすぐ入籍するというのに他の女と、なんてのは不安材料としては十分だ。
「それなら女と会うなって言えばいい」
「やだ! 面倒な女だって思われたくない!これから夫婦になるんだよ⁉︎ 信頼したいじゃん!」
女と会ったことを怒っておきながら、結局相手の意思を優先している。君はなんとも優しい人だ。優しく、そして甘い。
それにしても暑い。逃げ込むように入った喫茶店は、涼しい風が身体を冷やしてくれている。しかし、君の熱はいまだ下がることはない。情熱的、感情的、良くいえば素直で。悪く言えば…… なんだろう。頑固、とも言えるのかな。
「旦那さんも付き合いってのがあるんだろ」
「まだ籍入れてません〜」
「なに、別れる予定なの?」
「まさか! こんなことで別れないよ! あんたは時々失礼だよね!」
「はいはい、すみませんでした」
まったく。もうすぐ結婚する人に呼び出しをくらう身にもなってくれ。金銭問題、親族の問題、仕事の問題など色々想定してしまうから。保証人としてはトラブルはごめんなんだよ。でも君の呼び出しは大抵小さなことだと言うことも分かっているけれど。
「あんたは結婚しないの?」
「出来ると思うか?」
「いやぁ、あんた冷めてるもんねぇ。結婚に意味やメリットがあるのか? とか言いそうだもんね」
そう言って君は笑う。冷めていて何が悪い、年々地球が熱くなっているんだ。人間くらいは冷めていなくてはバランスが悪いだろう。
「君みたいに考えなしに動かないんだよ」
「なにそれ、あたしが馬鹿みたいに聞こえるけど!」
「実際馬鹿だろ」
「どこが⁉︎」
「旦那が女と二人っきりで会っていた。そんな話を別の男と二人っきりで話している所とか」
「だって、あんたは友達じゃん!ノーカウントだよ!」
友達がノーカウントなら、仕事の付き合いもノーカンにしてあげろよ。そこら辺は結局信頼関係なのだけれど。
…… 実際、旦那さんからもフォロー頼むと言われているし。はぁ…… 気にしすぎなんだよ、君は。 まだまだ熱が下がる様子がない君を見ながら、届いたLINEを確認した。
「…… 寿退社、だとさ」
「あんたが?」
「なんでだよ。旦那さんとご飯行った女の人。お世話になったから先に報告しておきたかったんだと」
「…… え、その女の人とあんたが知り合いなの?」
「違う。ほら、旦那さんからの証言」
そう言って、LINEのトークを見せた。食い気味にスマホを奪い、目を見開いて画面を睨みつけるように見ている。目が悪いのか?いや、正確には頭か。
「…… なるほど」
「君も旦那さんも、気を使いすぎなんだよ。夫婦になるんだろ?不安なら言えばいい」
「うーん…… 嫌われなくないからなぁ。難しいかも。あ! でも、あんたがいれば安心だね! こうして仲介役になってくれるから。やっぱ冷静さを失わない人は頼りになるね!」
さっき冷めてると馬鹿にされた気がするが。なにより、夫婦間の問題にいちいち巻き込まれてはこちらの身がもたない。
「うーん…… スッキリしたぁ! じゃ、あたしは帰ります。ご飯作らないとね!」
「本当に熱いな。新婚さんは」
「だから、まだ籍入れてません〜」
「はいはい。暑さで倒れないようにな」
「はーい、また今度ねぇ」
そう言って、君は店を出て行った。
まだ少し熱い。でも、時間が経てばまた冷める。
君の近くが辛いと感じたことがあった。それがなんなのかと悩むほど無知ではない。目の前のアイスコーヒー、浮かぶ氷たち。少し小さくなっている。
溶けない氷はない。冷たい液体の中でも溶けていくのだから、熱いものの近くなら尚更。 溶けてしまえば氷ではなくなる。君が求めているのは、友達である俺だ。
上がった熱を冷ますことが俺の役割。それは俺と君が『友達』だから。君には大切に想う人がいる。それは俺ではない。
……別に、ドラマみたいな役を演じるつもりはない。相思相愛に割って入る男、なんてのは君みたいな情熱的な人がやってくれ。俺の方が幸せにできる! なんて言葉をぶつけて略奪愛? 気持ちに気づかず、言えなかったからこうなった。君の旦那さんは言った、俺は言わなかった。ただそれだけのことだ。
しかし暑い。夏は嫌いだ、本当に。
「……アイスコーヒー、貰えますか」
「はい」
♦︎
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「…… 随分明るい方ですね」
「ええ。落ち着きがないとも言えますけど」
ほろ苦い冷たさが、熱を冷ましてくれる。唯一の夏の利点、冷たいものが美味しいこと。それでも暑いのはやはり嫌いだ。
「お友達ですか?」
「ええ、まぁ」
「ただの初恋の相手です」
少し溶けた水滴が、こぼれてしまうから。
終