この世界の陰で誰かが戦っていることを誰も知らない
空を見上げればいつも太陽が見守ってくれている。
この世界に来て間もない僕にはそれが新鮮で、すごくありがたく感じる。だってあの月はこの世界に来てまだ右も左もわからない状態の僕を導いてくれた人と同じ名前だから。
人気のない大通り、そこで2つの人影が相対していた。人間とリザードマンだ。人間の方はまだ少年、と言える年齢だろうか。少女のような顔つきに、短めの髪がよく似合っている。ある日突然この世界に転生してきた少年で、元の世界では男の娘よ呼ばれる容姿だ。対するリザードマンは明るい赤を基調として、所々に黄色のラインの入ったローブを着ている。
後方、闘技場から歓声が聞こえる。何も知らない人が聞けば、あぁ、盛り上がっているな、で終わる歓声だが、事情を知っている人からすれば、それは胸を撫で下ろせる祝福の音だ。
「これで君たちの企みは崩れたね」
そんな、歓声の大切さを知っている一人、銅島灯は、対峙している男に向かってそう言い放つ。目の前の男、国家転覆を目論む組織の幹部ヴァイスとは、灯がこの世界にやってきてから戦ってきた。こうして直接相対するのは初めてだが、その威圧感はそれまで戦ってきた相手とは比べ物にならない。
「くだらん。そんなものは計画の一部に過ぎん。たとえここで闘技場から聞こえるはずの悲鳴が聞こえずとも、このまま私が乗り込めばすむだけのこと。試合の全行程が終わり気も緩まったところで私が攻め込むのもありだろう。私たちの目的は王の首それのみ」
「そんなこと、僕が許すとでも?」
「関係ないとも。どうせいまここで君を倒し、王の元まで進めばすむことだ。今なら都合よく剣闘に参加するような強者も疲労しておろう」
ヴァイスの言葉に、ますます闘技場に近づける訳にはいかない、と思う。
剣闘には灯の師匠でもある王女も参加しているのだから。
決意を新たにしている灯を前に、ヴァイスがため息をついた。怪訝に思っている灯の前で、ヴァイスが身を低くした。臨戦態勢だ、と思った時にはヴァイスが目の前にいた。息を飲むと同時に、相手が右拳を握っていることから、右拳による打撃が来ると判断。身を硬くする灯の前で、ヴァイスが左足を踏み込む。いよいよくる、と思った灯の予想を裏切り、ヴァイスが左足を起点に体を回した。動揺する灯に、ヴァイスの尻尾が襲いかかる。尻尾のあるリザードマン特有の攻撃だ。予想していた右拳の一撃よりもずっと重い一撃に、灯は吹き飛ばされた。吹き飛ばされた先には家屋があり、灯はその壁に激突する。
その衝撃に動けなくなる灯の前に拳を構えたヴァイスが迫る。尻尾の叩かれた衝撃と、壁にぶつかったダメージで動けない灯に、その攻撃を避けることはできない。
ヴァイスの一撃が灯の腹部に突き刺さる。拳により肺の中の空気が全て叩き出され、灯の呼吸を妨害する。灯の目にのみ映る星が舞う。灯が周囲の状況を把握できていない中でも、ヴァイスはその手を緩めない。ヴァイスの動きに対処できない灯の身に、ヴァイスの攻撃が2発、3発と打ち込まれていく。
10を超える打撃を灯に命中させ、ヴァイスが身を引く。灯の体から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「・・・・・・この程度か。本当にリーセサに師事していたのか?」
ヴァイスが誰に向けるでもなく言葉をこぼし、闘技場に向けて歩き出す。その歩みを止めるものはない。・・・・・・そう思われた。しかし、その体に衝撃が走る。足元に転がった自分の身に突撃した相手を睨みつける。瓦礫だ。
ヴァイスは瓦礫をなげとばしてきたであろう相手を睨みつける。
「実力差をそれほど見せつけられても立ち向かってくるその姿勢には賞賛の言葉をやろう。が、実力の伴っていない行動は時としてその身を滅ぼすぞ」
ヴァイスの視線の先では、灯が瓦礫を投げ飛ばした姿勢のまま固まっていた。灯がその口から血を吐き出す。
「関係ないよ。僕は僕を拾ってくれた人を助けたいだけだもの」
「くだらん。そこで意識を失っておれば生きながらえることもできたろうに」
灯が咳き込む。地面に赤い斑点が出来上がる。
「そんな体ではもはや戦えまい。王女のために戦っている、と言ったな。だがお前の行動はその王女の身を危険にさらしているのだぞ」
「・・・・・・どういう、ことさ」
「国王は王女の命を持ってこの国の統治を完璧なものとしようとしている。その命を持って自身を不老不死の身とし、この国の王が不変のものであろうとしているのだ」
思わぬ事実に、灯の目が動揺で左右に揺れる。
「王女を助けたければ私たちの作戦を妨害するのではなく、私たちの作戦に協力すべきだ」
「そんなの、信じられないよ」
「信じる信じないはお前の勝手だ。だが私をここに止めている間に王女の命は刻一刻と死者を捕らえる地底王のもとに近づくぞ」
「・・・・・・例えば、の話だよ」
「聞こう」
「僕が君たちに加担して、リーセサ様はどう思うかな」
「感謝するだろう。なにしろ命を救われたのだ。少なくとも恨まれることはないだろうよ」
「そうかな・・・・・・」
ヴァイスの視線の先で、灯が立ち上がる。依然としてその口からは血が溢れ、決して無事でないことがわかる。
「僕は、両親に愛されて育った。命を狙われたことなんてない。でもさ、例え命を狙われていたとしても、第三者に親を殺されていい思いをするはずがないと思う」
「王族の感情を、王族に拾われたお前が理解できるとは思えんね。ましてやお前は人間だ。竜族に名を連ねるドラゴノイドの心境が理解できようはずもない」
「そうかな。親を思う気持ちは種族に関係ないと思うよ」
「情で動かされる人間の気持ちはわからんな」
ヴァイスの視線の先で、灯が弱々しい笑みを浮かべる。
「そうかもしれない」
ヴァイスの知る由もないが、灯の脳裏に浮かぶのは自分を拾ってくれたリーセサの笑顔だ。リーセサの役に立ちたい、といったときの困った顔だ。その顔は自分を鬼のような所業で鍛えている間も変わることはなかった。そして父である王の統治がいかに素晴らしいものであるかを語る誇らしげな顔。その顔が曇るのは何としてでも阻止したい。王族であるリーセサは、自分のことなど拾った子犬程度にしか思っていないだろう。それでも、と思うのだ。かなりの頻度で少女に間違えられる灯も、好きな人ぐらいは守れる騎士でありたい。
「でもさ、リーセサ様がお父さんである国王陛下を殺されていい顔をするはずがないんだ。表面上ではどんなに気丈に振舞っても、だれも見てないところで泣いてる」
灯はそんな顔は見たくないのだ。
「それに、リーセサ様は聡い方だよ。君たちが感ずいてることを感ずいていないとは思えない。それでもリーセサ様が国王陛下を討たないのが、君たちの企みが見当違いのことをしているなによりの証拠さ」
「知ったような口を」
血を吐き、崩れ落ちそうになりながらも決して口を閉じようとしない灯にとどめを刺すべく、ヴァイスが足を進める。苛立ったリザードマンがそうするように、ヴァイスの尾も地面を叩きつけている。
「例え君たちがリーセサ様のことを思ってやったことだとしても、お父さんを失ったリーセサ様にとってはバッドエンドだ。そんなの、例え誰が許してもリーセサ様が望んでいないなら僕は認めないよ」
「いい加減黙りたまえ」
灯の視線の先で、ヴァイスが姿勢を下げる。そして体を回し、
「・・・・・・それはさっき見たよ」
体に追従してくる尻尾を、跳躍することでかわす。体を回したことで灯に背を向けているのでそこはガラ空きだ。ガラ空きの背中にリーセサ直伝のドロップキックをお見舞いする。体重差によってつんのめる程度の効果しかなかったが、灯にとっては十分だ。蹴った反動を利用してヴァイスから離れる。地面に着地すると地面を強く蹴りヴァイスの側面に回り込む。灯のいた場所をヴァイスの尻尾が襲う。
並ぶようにして立った灯がしゃがむ。灯の頭のあった位置を尻尾が襲う。しゃがんだ灯を追うのはヴァイスの拳だ。その指は伸ばされ、そこらの刃物よりよほど鋭い凶器となる。たまらず灯はヴァイスから離れる。
「・・・・・・やっぱり尻尾のある種族は厄介だね」
「勝ち目がないならそこでおとなしくしていた方がいい。邪魔しないならお前の命は保障しよう」
「命の保証をされてもリーセサ様の笑顔がないなら僕は嫌だよ」
「そうか」
ならばここで物言わぬ置物となれ。
灯に迫ったヴァイスを、灯は避けることができない。先ほどの動きが全力で、もはや動く体力がないのだ。
リーセサ様ゴメンなさい。体に走る衝撃を想像し、目を瞑る。
謝る灯に止めを刺そうとヴァイスが迫る。
肉を打つ音が周囲に響く。
が、灯の体に衝撃は走らない。
恐る恐る目を開けると、そこでは赤い髪をたなびかせる女性がヴァイスの拳を受け止めていた。
「アカリ、ダメだろう。どんな状況でも目を閉じるなとリサに教えられたはずだぞ」
「そんな・・・・・・。どうしてあなたがここに?」
目の前の女性は剣闘に出場し、その優勝候補に挙げられていた。時間的にヴァイスと戦う前に聞こえた歓声が決勝だと思っていたのだが違っただろうか。
「ん。優勝候補、と言われていたが、剣闘はトーナメント。当たる相手が悪ければ一回戦で敗退することだってあるさ」
ヴァイスが掴まれた手を振り払い、距離を取る。
「面倒な相手が出てきたな」
「そういうなよ。私もまさか2回戦で負けることになるとは思わなくてね。ちょっと暴れ足りないんだ」
「ぼ、僕も加勢します」
「邪魔」
「え?」
「邪魔だよ、アカリ。君はリサのところに行って安心させてやりな。君が巡回に行ってなかなか戻ってこないから心配していたぞ」
目の前の女性から溢れ出す威圧感に、思わず一歩引いた。一歩引いたことに傷つき、自分がいても邪魔になるだけだと思ったアカリは身を翻す。
今はリーセサのところに一刻も早く行きたい。背後からは激しい激突の音が聞こえ始めていた。
「リーセサ様!!」
闘技場に着くと、そこでは剣闘の終了を国王が告げているところだった。闘技場内を見渡し、リーセサの姿が貴賓席にあるのを見つけた灯は、わき目も振らずに貴賓席に駆け上った。ヴァイスと戦った怪我の痛みなど大好きな王女を見つけたことで一時的に吹き飛んでいる。
貴賓席を警備する兵士たちが、傷まみれの灯を見てギョッとするが、ともに訓練をした仲間だとわかると、ほっとした顔になった。
「灯じゃないか。どうしたんだ、そんなに汚れて」
「リーセサ様は大丈夫?!」
「安心しろ。貴賓席にここまで近づいたのはお前だけだよ。そんなことよりお前は早く医務室に行ったほうがいい。剣闘に怪我は付きものだから、今医務室には腕のいい医者がいるぞ」
兵士の言葉に灯は首をふる。そうではないのだ。しかし、国王が王女の身を狙っていると言っても、目の前の人を混乱させるだけだろう。
「そうじゃなくて!」
「騒がしいけど、何かあった?」
叫ぶ灯の目の前で、貴賓席に通じる扉が開いた。
「リーセサ様!!」
貴賓席から出てきたのは灯がその身を案じていたリーセサ当人だった。
「あらあら、アカリ。どうしたの、そんなに汚れて。それにすごい怪我」
灯の怪我をみて目を丸くするリーセサ。直にリーセサの姿を見た灯は、それまで忘れていた痛みが全身を襲うのを感じた。そのあまりの痛みに意識が遠のく。遠のく意識の片隅で、リーセサの悲鳴を聞いた気がした。
目を開けると、純白の天井が真っ先に目に入ってきた。この視点は初めてだが、この天井は見たことがある。この国の王女であるリーセサの部屋のものだ。
どうして自分がリーセサの部屋で眠っているかわからず混乱した灯だが、次第に意識を失う前のことを思い出す。
「リーセサ様?」
自分をここにいるということは、リーセサが許可を出したということだろう。ならば近くにリーセサがいるはずだと思い、体を起こして周囲を見わたそうとする。が、体を痛みで動かすことができない。
おそらくリーセサは無事だとは思うが、その姿をこの目で見るまでは安心できない。心ばかりが流行り、焦りが募る。
とにかく部屋をでようと思い、体を転がし寝かされていたベッドから落ちる。
その痛みが全身の傷を刺激し、目の前を星が舞う。が、どうにかベッドから降りることはできた。部屋の出口を目指して這い進む。
すると扉が開き、リーセサが入ってきた。地面を這う灯を見て目を丸くすると、灯に駆け寄ってくる。
「アカリ!!何してるの?!傷がひどいから寝てないとダメよ!!」
抱き起こされ、ベッドに寝かされる。体から離れていくリーセサの手を思わずつかむ。
「あらあら。どうしたの?」
「このままがいい」
上目遣いに頼めば、リーセサは微笑み、手を握り返してくれた。
「何があったのか話してくれる?」
訊かれた灯は闘技場の外でヴァイスと出会い戦ったことを告げる。
「・・・・・・その時に聞いたんですが、国王陛下がリーセサ様の命を狙ってるっていうのは本当ですか?」
リーセサは微笑みから表情を変えない。そのことが、灯に確信を持たせる。
「やっぱり知ってたんですね」
「そうね。お父様が私の肉を食べ永遠の命を得ようとしていることはなんとなくね」
灯が思っていたよりもよほど血生臭い話で息を飲む。
「・・・・・・僕はリーセサ様を守れる騎士になりたいです」
「あらあら。可愛いこと言ってくれるわね。でも、そのためにはその怪我を早く治して私よりも強くならないとね」
「可愛くても僕も男です。リーセサ様より強くなってみせます」
リーセサが笑う。花が綻ぶように顔に広がる笑みをみて、灯はリーセサが好きだ、という思いを再認識する。
「好きです、リーセサ様」
「私もよ、アカリ」
あっさり肯定され、灯はため息をついた。
「リーセサ様、ちょっと耳を貸してください」
灯の言葉に、首を傾げたリーセサだが、そうする理由を尋ねるでもなく耳を近づける。目の前に寄ってきたリーセサの横顔に、体を無理やり起こしてキスをする。本当ならその唇にしたかったが、そうするだけの体の自由は得られなかった。
一瞬リーセサの頬にキスしただけで力尽き、全身をベッドに預ける。
「僕が好きなのは、こういう好きです」
灯の顔を見たリーセサの顔は真っ赤だ。その顔を作れただけで少し満足する。それと同じかそれ以上に自分の顔が赤いのは自覚している。
リーセサがため息をつく。
「ねぇ、私が可愛いもの好きだってことは知ってる?」
突然の問いに戸惑いながらも頷く。確かに、この部屋を見渡す限りではそういったものはないが、いたるところに人形などが隠されていることは知っている。
「でもね、この国の女の人って基本的に可愛い、というよりはかっこいい、って感じの人ばっかりなのはあなたも知ってるわね?男の人なんていうまでもないわ」
確かにこの国の女性は基本的にかっこいい、という表現のほうがしっくり来る。
「だから正直私の好みの人っていなかったの」
言いたいことがわからずに戸惑っていると、リーセサの顔が近寄ってきた。思わず目を瞑る。
「私をその気にさせたんだから覚悟してね」
驚いて目を開けると、リーセサが微笑んでいた。
「今は怪我を治すこと。今のアカリとは何も出来ないでしょ?」
なにを、とは訊かない。
灯は頬を染めるとリーセサの手を強く握った。
今回のお題、闘技場、おとこの娘、バッドエンド
正直舞台を間違えたかなー。これなら別に主人公がおとこの娘じゃなくてもいいよね。反省