任務、商館、呉越同舟
室内に4つの人影がある。シンマヒヤ商館という王都でも有数の大商館の一室だ。4階にあるこの部屋は普段から会合や商談で利用されることが多い。
その内の一人、バリシスは、目の前で行われている交渉を冷めた目で見つめていた。
「・・・・・・だが、お前たちにとって、この取引にメリットはあるのか?特にお前にとって、この取引で得られる利益はないと思うが」
テーブルを挟んで反対側に座る、褐色の肌の男が首を傾げながらいう。バシリスは事前に得た相手の情報から、相手のことを思い出す。名はエナトン。国内の貴族の子だが、その相続権は第9位であり、家督を継ぐことはないだろう。そのことは本人も分かっており、親の金で遊び呆けるろくでなしだ。
「まぁ、そこはそれ。表面上は親王派と言われていても、そのご子息も擁護の対象とするかは別問題、といいますか。あ、これ内密にお願いしますね」
「はッ!いいこと聞いたぜ。そこまで打ち明けてくれたんだ。信用しようじゃねぇか」
バリシスの目の前、エナトンと向かい合って座る男、ノーマッドの言葉に、エナトンが笑う。
エナトンは笑いを潜めると、上半身をテーブルの上に乗り出す。
「で?報酬を聞こうじゃねぇか」
「その前に、一体どの程度の兵で襲撃するつもりです?あなたの身元はばれないんでしょうね」
ノーマッドの言葉にエナトンが背もたれにもたれかかる。いちいち動作の大げさな男だ、と思いながら、バシリスの意識が向けられているのは、エナトンの後ろに立つ男、ヴェリココだ。エナトンと同様、褐色の肌を持つ男だ。エナトンがよく笑い、よく怒り、表情を頻繁に変えるのと対象的に、ヴェリココの表情はほとんど変わらない。
(もっとも、この交渉の主役は今テーブルについている二人だ。あまり表情を動かすこともないか)
「問題ねぇよ。使うのはうちの傭兵じゃねぇ。そこらへんの路地裏にいるネズミどもに餌をチラつかせて獲物に噛みつかせるだけさ。もちろんネズミに人間様の道理がわかるはずもねぇし、名前なんざ興味もねぇだろうよ」
「なるほど。そういうことでしたら安心です。ですが、それで失敗されても困りますね。指揮をとるのはどなたですか?それとも本当にネズミが人間様を殺せるとでも?」
バリシスは目の前で突然始まったネズミの話に戸惑う。本当にネズミに餌をやって人間を襲うようにできるのだろうか。エナトンの言っている意味を理解しているらしいノーマッドに聴きたくなるが、いまそれどころでないこともわかるので、己を律する。
「ッたく。旦那も心配性だな。失敗した時は失敗した時で、嫌王派の連中に罪をかぶせりゃいいだろうが」
「それもそうですね」
「じゃ、報酬の話に移ろうぜ」
「まったく・・・・・・。本当にお金が好きですねぇ」
ノーマッドに何も言葉は返さなかったが、エナトンが口角を上げて笑う。
事情を何も知らないエナトンをほんの少し哀れに思い、バシリスはそっと目を逸らした。
「護衛任務?」
謁見の間。そこに呼び出され、何のようかと思って赴けば、そんなことを切り出された。
「一体誰が護衛につくのです?と、言うよりも近々護衛が必要になりそうな遠征の用はなかったと思うのですが」
バシリスは首をかしげる。確か一番近い公務は2ヶ月後。それも城からは出るが、自国領の中の話で、わざわざ王自ら命令を下賜するような大事ではなかったはずだ。
「否。そなたに護衛をつけるのではない。そなたが護衛につくのだ」
「・・・・・・はぁ」
気の抜けた返事になったのは、事情をされても意味がよくわからなかったからだ。
「もっとも、護衛と言っても危険なことにはならんと思うがな。護衛対象はノーマッドという男だ。そなたと違って優秀な文官でな。今回は近頃巷を騒がせておる無法者どもを捕まえるための策があると言うので、話を聞いた。すると前々からその無法者どもの元締めの動向を探っており、近々其奴らに接触するとのこと。そなたにはノーマッドに同行し相手のいう身元が本当かどうか確かめてきてほしいのだ」
「相手の名前は?」
「エナトン」
「エナトン、エナトン・・・・・・」
「名前だけ聞いてもわからんだろう。一応貴族ではあるらしいが、その家督の継承権は第9位。よほどの才能がなければ表には出てこんような人間だ」
「ならば私が行っても身元の確認などできないではないですか」
「ノーマッドと共にエナトンに接触した後、その父親である貴族との食事会を予定している。その場に血族全員の出席を命じておるから問題ない」
「では私が直接赴くまでもないのでは?と、いうよりもそこまでわかっているのならエナトンとやらを直接捕まえてしまえばいい」
「バシリス。そなたモデノを知っておるか」
「当然。大好物であります。昨日も料理長に頼み込んでモデノの煮込み料理を作ってもらったところ。味ばかりをみな褒めますが、その匂いもいい。あれは他の食べ物にはない・・・・・・」
「もう良い。そなたがいかにモデノが好きかはよくわかった。して、そのモデノ。収穫はどのようにするか知っておるか?」
答えようとして、言葉に詰まる。確かに好きで頻繁に口にしているモデノだが、その収穫の方法までは知らない。知っているのは丸い根菜でうまいということだけだ。
「モデノの収穫はな、葉を引っ張るのだ。素人はモデノが一つ出てきた時点で力任せに取る。が、手慣れたものは一つ出てきた時点で力を弱め、モデノが根を伸ばしておる方向を確かめ、その根で繋がっておるモデノも収穫する。今エナトンを無理やり引っ張れば、その先に繋がっておるならず者を取り逃がすことになりかねんのだ」
「・・・・・・父上」
説明し終わり、少し得意げな王に向かっていう。
「なんだ」
「モデノを犯罪者に例えないでください。モデノが汚れます」
王は悲しげな表情になり、そうか、と小さく呟いた。
それから顔合わせをしたノーマッドだが、甚だ不愉快な男だった。バシリスを見るや否や、目立つな、と呟いたノーマッドは、バシリスに近くの兜をかぶせたのだ。
何をする!といえば、女とばれては相手に警戒される。当日は全身甲冑で来い。と返された。
そして今日。
(人が言われた通りに甲冑を着てくれば、暑苦しいだと!?失礼にもほどがある!)
思い出すだけでその時の気分で胸を焼いたバシリスは、目の前に座るノーマッドを睨みつける。ノーマッドがそれに気がつく様子はない。
ノーマッドとエナトンはすでに報酬の話を終え、楽しそうに笑っている。
「あぁ、今更だが、こうして親王派のあんたと俺みたいなろくでなしが同じテーブルに座ってるってのも変な話だな」
「呉越同舟、という言葉をご存知ですか?」
「ゴエツドウシュウ?なんだそりゃ」
「東洋の言葉なのですがね。仲の悪いもの同士でも利害が一致すれば協力しあったりする、という意味です。今回は王女の暗殺、という利害が一致してたまたま互いに利用しているだけです」
「違いねぇ!じゃ、よろしく頼むぜ旦那」
エナトンが立ち上がり、ノーマッドに右手を差し出す。
「えぇ。そちらも抜かりのないようにおねがしますよ」
立ち上がったノーマッドがエナトンの右手を握った。
エナトンが退室し、室内に二人きりになったバシリスは、ノーマッドの背もたれを蹴りつける。
「痛いな。何をするんです」
「うるさい。で、交渉はどうだ。成功か」
「はぁ・・・・・・」
隠す気のない失望の念に、再び蹴りつけてやろうかと足を振り上げる。
「本当にあなたは脳筋ですね。本当にあの国王の娘とは思えない」
ためらいなく蹴った。今度はさっき蹴った時よりも力を込めてだ。
「痛いな!こっちはあなたと違って繊細なんです!すぐに攻撃してくるのはやめてもらえませんか!」
「さっさと成果を報告しろ」
「横暴なところだけは陛下ににている・・・・・・。わかりました。わかりましたからその足をおろしてください。交渉は成功ですよ。一応はね。これで本当にあなたが襲われれば、エナトンが襲撃作戦の首謀者ということになる」
「それで捕まえてしまっていいのか?父上はその先のモデノも取ろうとしていたようだが」
「・・・・・・モデノ?なぜそこでモデノが出てくるんです?」
「間違えた。エナトンと繋がりのある犯罪者どもだ」
「あぁ、そういうことですか。確かにここで捕まえてしまえば、王女襲撃を持ちかけられた、といってエナトンは私を糾弾するでしょう。ですが、捕まえるのに失敗すれば?」
「逃げるんじゃないか?」
「ではどこに逃げるとおもいます?」
「・・・・・・なるほど」
ノーマッドの考えを理解したバシリスは頷くと、襲撃計画が滞りなく実行されることを祈った。
「そういえば。路地裏のネズミは人間を襲うのか」
「・・・・・・は?」
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
聞き返してきたノーマッドの表情で、自分が致命的な勘違いをしていることに気がついたバシリスは早口にそういうとノーマッドを室内に置いて一人部屋を後にした。
それから四日後。襲撃は計画通りに遂行された。
当日、バシリスは王族の正装で馬車の上から民衆に手を振っていた。建国祭の行事の一環で、王族が馬車に乗り大通りを進むのだ。
その時に襲撃は行われた。どうやらエナトンはスラム街の大人数を通りの一角に集めていたらしい。王族が馬車で進んでいると、その道の両側から民衆に扮装した雇われ兵が襲いかかってきたのだ。
バシリスは立ち上がると、そのことごとくを撃退した。この計画のことを知らなければ、無辜の民を殴るなど、とためらったかもしれない。しかし襲撃計画のことを知っている今、その拳に迷いはない。
結果、襲撃計画は失敗に終わった。
後日。王から聞かされたところによると、エナトンはノーマッドの計画通りに行動した。
逃げたエナトンは、スラム街の奥で人と会っていたのだ。それを見つけたノーマッドと王の近衛隊3名が捕縛。現在エナトンたちは地下牢に閉じ込められている。
「・・・・・・なんか、あんたの手の上で踊らされてるみたいですごく嫌なんだけど」
バシリスはノーマッドの執務室にいた。
「私の掌で踊ってくれるおとなしい人ならいいんですけどね」
何かの書類処理をしているノーマッドは、その手を休めることがない。
「ちょっと。初めから思ってたんだが、いくらなんでも王族に対する態度がなってないんじゃないか?」
「だったら仕事中にこないでください。陛下に言いますよ。王女殿下が仕事の邪魔をしてくる、と」
その言葉に内心ひるむ。いつもは穏やかな父だが、仕事のこととなると人格が変わるのだ。
「わかった。邪魔はしない。それと、今回の件。礼をいう。そなたの計画がなければエナトンはその活動範囲を広げていただろう」
ノーマッドが顔を上げる。その顔は驚きで満たされている。
「どうした、そんな顔をして」
その後ノーマッドの放った一言で感謝の念など吹き飛び、思わずノーマッドの机を蹴り上げてしまった。