第4話 課題
日本が異世界に転移したと判明してから、宮原総理は頭を抱えていた。
真っ先に頭痛の種となったのは対外資産だ。政府、企業、個人が海外に所有する資産から負債を差し引いた対外純資産は2014年末時点で366兆8560億円だったが、2019年末に390兆円を突破し、2020年末には400兆円を超えると予想されていた。
前政権の経済政策によって工場の国内回帰を行う企業も以外と多かったが、依然として海外企業に対する投資・買収などは続いていた。
日本の一般会計予算4~5年分という膨大な富が一夜にして消失したとなれば、企業にとって死刑宣告に等しい。さらに海外企業との取引も一切出来ないとなれば、企業倒産件数と失業者数が過去最高を更新してもおかしくない。
株価の暴落も必須だろう。転移による混乱が生じさせる経済的損失は、バブル崩壊やリーマンショック時の損失をはるかに凌ぐ額に達する可能性が高い。
金融に関わる人間から見れば、この時ほど信用創造機能が憎たらしく思える時は無いだろう。各銀行は事実上預金封鎖されたも同然だった。
また国民の他に約260万人の外国人も一緒に転移しており、いずれ様々な問題が表面化するのは目に見えている。
それに輸出入が完全に途絶えれば、いずれあらゆる物資が不足してくる。そうなれば物価の暴騰は不可避だ。
石油に関しては国と民間の備蓄が約200日分あるため直ちに影響は無いが、早急に供給源を確保しなければ瞬く間に干上がってしまう。航空機や船舶による日本領域外の調査を考えれば尚更だ。
仮に停止中の原発をフル稼働させて火力発電の石油消費を抑え、国民に自家用車の使用自粛を要請したとしても1年を越せば奇跡に近いだろう。天然ガスも期待は出来ない。
さらに鉄鉱石やボーキサイト、レアメタルなどの鉱物資源や食糧はかなり厳しい。食糧は十分に賄える食品は米ぐらいしか無く、鉱物資源はほぼ輸入しか入手方法が無い。石炭は少量ならば国内でも産出するが、消費量に比べれば微々たるものでしかない。
海底資源開発に国力を注ぎ込むことも考えられなくはないが、一朝一夕に進む話では無いし、日本が転移した後でも小笠原や尖閣付近に海底資源があるという保証は無い。
考えれば考えるほど胃が痛くなってきそうな状況が盛り沢山だ。
何としても早急に交易相手を見つけなければならず、エルフの少女からどれだけ情報を得られるかに文字通り日本の運命が掛っていた。
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「なるほど、本当に異世界ね。」
渡邊補佐官は興味と困惑で満ちていた。
アリンの話によると、この世界には通常の人間(この世界ではヒト種と呼称される)の他に亜人や魔族と呼ばれる者達も暮らしており、特に亜人種はアリンの様なエルフを始めとしてケンタウロスや人魚など数多くの種族がいる。
アリンとアリスが住んでいたユーティアルという国は人口の殆どが亜人種で構成されており、マーダリア大陸(日本の西方に発見された大陸)の東部にある。主に農業と漁業が基幹産業であるが、これは日本にとって大いに関心を寄せざるを得ない情報だ。
因みに2人が漂流していた経緯は、ヒト種の盗賊に攫われて運ばれる最中に何とか逃げ出して海辺に乗り捨てられていた漁船に隠れていたところ、気づいたら沖に流されてしまったという事らしい。
ともかく、食糧を取引出来るかもしれない国が近くにあるという事実はかなりの安心材料となる。海上自衛隊・保安庁の艦艇の状況では日本領域外の探索は航空機が中心になるが、闇雲に交易相手と成り得る国家を探すより状況は良いと言える。エルフの2人を救助・保護した事実を持ち出せば、先方が此方をかなり怪しく思っても交渉に入れる可能性もある。
早速ユーティアル国の位置の特定、及び国交樹立・各種協定に向けて各省庁が下準備に入るのだが、翌日さらに混乱する事態が発生することなど誰も知る由は無かった。