第22話 砲火
コミテルン帝国・帝都
帝都の中央部から若干北に位置している王城。その一室に激怒するジガリ皇帝と萎縮する数名の側近の姿があった。
「一体どういう事だ‼︎」
皇帝の怒号が響き渡った。
「恐れながら陛下・・・。ニホン制圧に向かった艦隊から一切の連絡が途絶え既にひと月が経ちます。亜人どもの動きを見ても、艦隊は・・・」
「言われずとも解るわ‼︎ ニホンは軍を持たぬ国ではなかったのか⁉︎ 我はそれを聞いたから艦隊を送り出したのだぞ‼︎」
側近達は誰も声を発せられなかった。
ジガリ皇帝は前皇帝の急死によって即位したのだが、各地の貴族達との関係は良好なものではなかった。
それを象徴するのが大陸西方に位置するエルンスト国との和睦交渉と海軍だ。
通常帝国軍は各地の貴族によって徴兵・訓練された兵から成る。
そのため皇帝が兵を招集して新たな戦争を行う際には、貴族によって構成される元老院にて賛同を得る必要がある。
しかし例外として傭兵によって構成された部隊ならばいちいち元老院の許可は必要ない。
帝国軍の海軍部隊は殆どが海賊上がりであり、普段は私掠船として荒稼ぎしていたので費用もあまり掛からなかった。更に海軍の活躍によって皇帝直轄地の拡大だけでなく西方のエルンスト国との戦争も有利になっていた。
貴族達から見れば自分たちが軍の維持に相当な負担をしているにも関わらず、皇帝の権力が一方的に強まる状況に不満を持つのは当然であり、元老院にて反皇帝派の派閥が組まれていた。
加えて貴族にとって戦争は自らの領地を拡大する絶好の機会であるが、皇帝が元老院の反対を押し切ってエルンスト国との和睦交渉をしたことが両者の対立を決定的にしていた。
しかし皇帝は和睦交渉による一時的な戦闘中止の合間に、亜人諸国への侵攻の裁可を元老院に求めた。
丁度帝国と対等な関係を持ちたいなどと言ってきていたた身の程知らずの国を海軍部隊で占領すれば、皇帝直轄地の拡大を嫌う元老院は直ぐに軍の派兵を認めるだろうとの思惑があったのだが、それが根底から覆っていた為に皇帝は側近達に当たり散らしていた。
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日本が異世界に転移して約9カ月、翌々日に戦後76回目の8月15日を迎える日の夕方に行われた原田官房長官の定例記者会見では、亜人各国との外交や国会の早期正常化に向けての政府見解などが話され、目新しい内容は無かった。
しかし会見の最後に、閣議決定によって8月15日を「敗戦公表日」9月2日を「降伏調印日」と定め、各メディアに8月15日を「終戦」では無く「敗戦」と言いなおすよう政府から要請することが公表された。
個人的なイデオロギーが多分に含まれている様に見えるが、旧陸海軍に歴史を認識させる一環であるとの説明がされた。
8月15日
全国戦没者追悼式が行われる一方で無関心な人間は日々の生活と同じ行動を繰り返す例年通りの光景。
しかし2つほど異なる点があった。
政府の要請通りに見出しを「敗戦」と改める民放や新聞とこれまで通りに「終戦」と表現するメディアが混在すること。
そして正午に戦没者追悼式の黙祷が終わった直後、テレビのみならず全国の防災無線等で玉音放送が流れたこと。
後にこれらの施策は必要性が乏しく、極端にイデオロギー性を含んだ不適当なものだとの批判が相次いだ。
その一方で全閣僚が一斉に靖国神社を参拝したことはあまり報じられず、一部のジャーナリストからは靖国神社についてはメディアへの強い圧力や統制がされたとの指摘がされているが、政府は沈黙を貫いている。
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コミテルン帝国に大規模な動きが見られるとの一報は、ハバル砦後方の簡易飛行場に展開した航空自衛隊のRF-4EJ偵察機によってもたらされた。
またこの飛行場にはRF-4EJと陸自のUH-60JA戦闘ヘリに加えて、第十一航空艦隊第二十三航空戦隊の台南航空隊と高雄航空隊から抽出された零式艦戦と一式陸攻の姿もあった。
本来この飛行場にはRF-4EJとUH-60JAが先行して配備され、後から増援が必要か否かを判断する予定だったのだが、ここで海軍から自分達の航空戦力の活用を強く要望された。
海軍艦艇には最低限の改修として通信機やレーダーが装備され、船によっては機関の改装も行われたのだが、各国に派遣された陸軍が現地軍に対して訓練指導する光景が日本国内で報道される度に、一部の海軍将校からは陸軍贔屓だとの不満が漏れていた。
このような不満は陸軍にしても同様で、特に歩兵や戦車兵などからは自分たちが農作業や建設工事といった本来の軍務からずれた仕事に従事する一方で、海軍は領海警備など本来の任務に携われているといった不満の声が上がっていた。
しかし協力的とは言え他国の領土にそれなりの基地を建設して航空機を駐留させるだけでも補給・整備の負担は決して小さくはない。
アルバーサリの租借地にも自衛隊の基地はあるが、どちらかと言えばユーティアル軍関係者との連絡室の意味合いが強い程度のものでしかなかった。
それでも元々は民間への転用を視野に入れた飛行場だった事もあって海軍の展開は厳しいながらもぎりぎり可能であった。
何れにしても海軍航空隊の進出に一部の自衛隊幹部は反発したが、山本長官から出撃命令が下った後は正式に空自の指揮下に入ることなどを条件に折り合いをつけた。
地上を進軍する帝国軍は約3万と推定され、分解運搬可能な攻城砲を数門擁し、後方にはローブを被るいかにも魔法を使いそうな人間の集団が確認された。
また港町ノボォナから出航したと思われる50隻前後の艦隊がコンバル島に向けて南進しているのも偵察により明らかになる。
防衛省からこれらの報告を受けた宮原総理は直ちにユーティアル王国をはじめとする各国への通達や、各国に派遣している陸自と陸軍に戦闘態勢への移行を、海軍に出撃要請をするよう指示を出した。
要請を受け、沖縄県の海上自衛隊那覇基地と米軍ホワイト・ビーチに待機していた海軍は二手に分かれた。ユーティアルの援護には山本司令長官座乗の第一戦隊・戦艦『長門』『陸奥』、第三戦隊・『比叡』『霧島』、第二航空戦隊・空母『蒼龍』『飛龍』駆逐艦『菊月』『卯月』『夕月』(仮称・第1任務艦隊)
コンバル島方面には第二水雷戦隊旗艦・軽巡『神通』、第八駆逐隊・駆逐艦『朝潮』『大潮』『満潮』『荒潮』、第十五駆逐隊・『黒潮』『親潮』早潮』『夏潮』(仮称・第2護衛戦隊)がそれぞれ出港した。