第19話 情勢
ユーティアル最大の港町であるアルバーサリはこれまでにない程の活気に溢れていた。
日本との交易の玄関口となったこの港には陸からは食料や鉱物資源が、海からは様々な日本製品が運び込まれ、活発に売買が行われていた。
しかし何もかもが順風満帆に進んだ訳では無い。
先ず課題となったのが通貨だった。ユーティアルに限らずこの世界の殆どの国家は金貨・銀貨・銅貨を基本にしており、更に経済体系も違いすぎるために為替レートは市場に任せることが難しかった。その為転移前の日本国内における金相場などを参考に、財務省や金融庁と経済界の協議で固定相場制による通貨換算で貿易がスタートしていた。
また当初は都市の衛生状態の問題に加えて、日本への不信感による悪態や日本製品を狙った襲撃事件が度々起こったために多くの日本企業が進出を躊躇ったのだが、アルバーサリに隣接する形で日本が行政権を持つ租借地を設定する条約が締結され、都市開発と共に警察だけで無く自衛隊も少数ながら駐留することが発表されると企業は雪崩の様に押しかけていった。
もちろんユーティアル側の一部には反発もあったが日本から支払われる租借料や非公式に手渡される賄賂に加えて、膨大な経済効果をもたらす日本企業の進出はユーティアルの貴族や商人にとってまさに垂涎の的だった。
日本国内でも日本が海外に租借地を持つのは前時代的だという批判があったが、企業の円滑な進出と取引の為に必要だとしてほぼ強引に参議院での条約承認が行われた。
最近は日本への密入国を図る事例が相次いでいる等まだまだ課題が山積しているアルバーサリだが、そこに日本がコミテルン帝国を撃退したという知らせが舞い込んで大騒ぎになっていた。
*****
「それは本当か⁉︎」
ユーティアル国王ネルはアルバーサリから500キロ程内陸に位置する王都の王宮にて侍従長からの報告に驚愕していた。
「はい。先日外務局にニホンから問い合わせがありました。正体不明の大船団がニホンの領土に接近しつつあることに心当たりはないかというものでしたが、船の数や位置からしてコミテルン帝国のものではないかと返答しました。」
一息ついて侍従長は報告を続けた。
「その後の様子を暗部が調査したところ、ニホン軍によって帝国の艦隊は半日も掛からず全滅。ニホンの被害は数名のみ、それも軍人ではなく一般の民だそうです。」
ネル国王は動揺が隠せなかった。
「ニホン・・・並外れた力を持つ国だとは分かっていたが、これ程とは・・・」
「ニホン人がフィヨル様のお話の通り、戦争を嫌う性格であったことが幸いでした。そうで無ければ王国はどうなっていたことか。」
侍従長の安堵した声に対して、ネル国王は期待と懸念に包まれていた。
そんな国王の心情を察してか、侍従長はこれから必要となることを提案した。
「兎に角、今後のニホンの動きはこれまでよりも我が国に影響しましょう。御前会議を招集すべきかと存じます。」
「そうだな・・・。侍従長、早速皆を集めよ。」
「はっ」
*****
「皆も既に聞いておるかも知れぬが、ニホンに差し向けられた帝国の艦隊が退けられたそうだ。しかもニホン軍は無傷らしい。」
召集されたそれぞれの部門のトップ達は「まさか」「あり得るのか?」と驚愕や疑問の声を上げ、会議室は騒然となった。
「ここでニホンに対する皆の意見を改めて聞きたい。」
国王の問いに最初に答えたのは軍務卿のアルボル侯爵だった。
「陛下、ニホンが帝国と戦争になるのならば王国にとっては有利です。」
発言したアルボル軍務卿は日本と結ばれた租借条約に反対の立場で交易に関しても消極的だった。
経済力、軍事力、文化力などあらゆる面で圧倒的な日本がユーティアルと敵対関係にあるコミテルン帝国に痛手を負わせるならば、これを利用するべきだという軍務卿の意見は尤もだとの声が他の者からも上がった。
帝国では亜人に権利は与えられず、ヒトは亜人を殺しても他人の奴隷でなければ罪にならない。
また幾度となくユーティアルなど亜人が中心の国々に侵略を繰り返してきたため、亜人諸国は常にコミテルン帝国の脅威に晒されていた。
現在帝国は別の国との戦争に集中しているため亜人諸国は若干放置されているようなものだが、その戦争も近々折り合いが付きそうだとの噂が広がっていた。
そのタイミングで帝国と日本が対立関係に陥ったのはユーティアルにとっては好ましい情勢だと言えた。
しかし内務卿を務めるジェラール侯爵は懸念を示した。
「しかしアルボル軍務卿、ニホンが帝国との戦争を理由に国内から撤退するとなれば我々が失う益は少なく無い。租借料だけでもどれだけの金額が王国に入ってくると思っているのか。
それにニホンが帝国に敗れた場合、あの驚異的な文明を帝国が手にする事になる。そうなれば我国どころか亜人そのものの存続が危うくなるぞ。」
アルボル軍務卿とは対照的に、ジェラール内務卿は日本企業のユーティアル進出や日本の援助によるインフラ開発に積極的だった。
特に鉄道による流通の劇的な向上は商業の飛躍的な発展とそれに伴う税収の増加をもたらすことから、大きな期待を寄せていた。
当然だがユーティアルに鉄道経営の経験などある筈が無いため、鉄道が建設された後の運営は日本政府と日本国内の各鉄道会社の協力による半官半民の形態となる予定だ。
「内務卿、ニホンが帝国に敗れる心配などせずとも良いだろう。」
反論しようとする内務卿を無視してアムボル軍務卿は発言を続けた。
「腹立たしいが、我国は元より帝国でもニホンの軍事力の足元にも及ばない。帝国は負けはしないかも知れないが、決して勝利などつかめるはずが無い。」
これまで悉く日本との協力に異議を唱えていたアルボル軍務卿とは思えない発言だった。
「軍務卿はニホンに怖気づいたのですかな?」
若い女性のエルフが軽蔑した声で言った。
「エルリア近衛騎士団長、貴殿はニホン軍の力は取るに足らないと言うのか?」
「当然です。いくら優れた文明を持っていようと所詮は野蛮なヒト。我らエルフや他の亜人に敵うはずがありません。」
「・・・数日前、外務卿がニホンでの会談に臨む際に私も同行した。」
軍務卿は溜め息をつくように言った。
「外務卿はニホンの首都であるトウキョウで会談を終えた後に街並みの視察へ向かったのだが、私は無理を言ってニホン軍の視察をさせてもらった。」
外務卿と軍務卿が来日する前にも実務官レベルによる日本の視察は行われており、彼らは日本と対立する事は絶対に避けねばならないと報告していた。
「ニホンの持つ武器や兵器は我々では太刀打ち出来ぬものばかりだった。
仮に我々がニホンに戦いを挑んだとしても、ニホンの国土に辿り着ける可能性は万に1つもない。ニホンに赴いた部下が私に挙げてきた『対抗不可能』という報告は正しかったということを、私は実感したのだ。」
対馬沖事件やその後の交流によって日本に軍事的に敵うはずがないという認識はユーティアル政府内でかなり共有さていたのだが、未だに中枢部では懐疑的な意見を持つ者、と言うよりプライドを捨てきれない者が少数ながら残っていた。
軍部のトップが日本の強大さを認めるというのは、ある意味で決定打だと言えた。無論それでも納得しない者は居たが。
「ではどうするのか? ニホンの指導下に入るとでも言うつもりか?」
会議出席者の中で最高齢のエルフの男性が、まるで試すかの様にアムボル軍務卿に問いかけた。
「まさか。私はニホンの実力は認めるが、エルフの矜恃を捨てた覚えは無いですぞ、公爵。」
アムボル軍務卿に問いかけたエルフは過去に宰相を務め、現在は国王の相談役となっているカーダル公爵だった。