第15話 国内動乱
ユーティアルとの交渉準備に外務省を中心とした各省庁が忙殺されていた頃、マクミラン・ジョセフ駐日米合衆国大使及び在日米軍司令官兼米第5空軍司令官のハリー・ブラウン空軍中将と日本政府との間である合意が成された。
その内容は、日本政府は皇国島の一部を米側に無償貸与・臨時アメリカ政府の設置などに協力する代わりに、アメリカ大使館・在日米軍は以下の項目を容認するというものだった。
・在日米軍が所有する兵器の一部譲渡
・製造方法を含めた全てのイージスシステムの情報提供
・米軍が管轄する航空管制の全面返還
・一部米軍基地の即時返還
・日本企業・自衛隊等による米企業開発兵器の製造に関しての無条件承認
等計17項目
早急な合意は各地で急増していた外国人犯罪の中で、米軍人による犯罪が日米双方にとって頭の痛い問題だったためだ。
祖国を突然失ったショックはどの国の者でも同じだったが、国の為に尽くす軍人には影響が大き過ぎた。
米軍基地内の犯罪を取り締まる立場の憲兵ですらまともに仕事が手につかない程であり、日本国民の在日米軍に対する感情は悪化の一途を辿っていた。
これは日本政府にとっても他人事ではなく、現にアメリカ人を含めた外国人全体への国民の不信感は高まり続け、健全に生活している外国人すら誹謗中傷や犯罪の標的にされつつあった。
正直に言えば滞在者数の多い順から国籍別に領土を与えて日本本土から離れてくれた方が面倒が無いのだが、有力な資源地帯と目される皇国島を易々と手放せるはずが無く、インフラ整備や移住費用も日本政府が負担するしかない。
今回の日米合意でもアメリカに与えられる土地は割譲では無く無償貸与であり、新たな地下資源が発見された時の採掘権は日本にあると定められていた。
アメリカには厳しい条件だが、在日米軍の維持費や貸与される土地のインフラ整備費が日本持ちである以上文句は言えなかった。
この合意によって日本政府に差し出すものが有れば、日本に取り残された各国大使館や外国人にそれ相応の対応をすることが示された。
また日米安保条約を含めた地球上での各国との条約は形としては残っているものの、相手政府が居ない為に事実的には機能していない。
日米安保が国防・外交・政治の主軸である日本にとっては深刻だが、そもそも「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」の第5条 には「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、『自国の憲法上の規定及び手続に従つて』共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」とある。
つまり日本が急を要する事態に直面した時に、アメリカは即時に日本を守ることは無いのだ。
地球においての日米安保の有効性を問う議論は別にしても、この合意は外国人排斥の一環だと自称市民団体が再び騒ぎを起こすことになる。
しかしそうした団体の批判を他所にアメリカ大使館に続いてロシア大使館や各先進国の大使館とも似たり寄ったりの合意が次々に成され、転移前に日本を目の敵にしていた国々の大使館も皇国島の土地貸与と引き換えに日本政府から突きつけられた多くの条件を呑むことになった。
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アメリカ大使館との合意内容が公表されてから数日が経ったある日、日本の歴史上前例の無い事態が引き起こされた。
数日前から自衛隊の治安出動が初めて実施され、大都市圏では警察官と共に自衛官が治安維持に努めていた。そのため、都内の各所に自衛隊や警察関係の車輌がまとまって停車していても不自然な光景ではなかった。
午前3時
陸上自衛隊の普通科連隊を中心とした部隊が国会議事堂や議員会館に展開を開始し、また警視庁公安部をはじめとした公安警察と陸上自衛隊の一部は都内の議員宅や議員宿舎の制圧に動き出した。
これが後に「専制への退行」「民主主義への皮肉」と呼ばれるようになる政治体制への始まりだった。
夜が明けると、国民は日本の転移と旧軍のタイムスリップに続く三度目の大混乱を迎えた。
総理大臣が自衛隊と公安警察を動員して立法府である国会を封鎖した上で衆議院の解散を宣言する自己クーデターを起こしたのだ。しかも国防と治安維持のトップである防衛大臣と国家公安委員長も参画してのクーデターだった。
最高権力者や行政組織が変わっていない以上はクーデターという表現は正確ではないかも知れないが、何れにしろ本来は絶対に有り得ない事態が発生した。
またクーデターと同時に、警察がこれまで様々な理由から手の出せなかった朝鮮総聯や監視対象の宗教団体、大学を含めた左翼過激派の拠点、某国政政党などへの強制捜査・検挙が全国一斉に行われた。
各都道府県警察本部とそれぞれの所轄の警察官を根こそぎ動員した捜査は、正に警察組織の全能力を注ぎ込んだと言っても良かった。
クーデターの後に記者会見を開いた総理は衆議院解散の理由について次の様に述べた。
「政策判断の速度が国家・国民の存続に直接影響する今の状況は明らかに現憲法の想定外である。憲法に緊急事態における対処事項が規定されていない以上は日本を取り巻く情勢が憲法の想定する段階に回復するまで、政権に権限を集中させる必要がある。
本日より現政権を緊急再建政府と位置づけ、次回衆議院選挙及び首相選挙まで参議院の緊急集会にて法案の審議を行う。」
しかし詭弁に等しい、いや詭弁にすらなっていないと言われても仕方が無い説明に対して憲法学者や弁護士をはじめとした法の専門家達が、一時的かつ必要性があろうが事実上の憲法の効力停止を宣言した総理に同意するはずが無かった。マスコミも同様である。
また首相官邸の前で行われたクーデターへの抗議デモは、記者会見のその日のうちに5万人近くの参加者が集まるほどになった。
この様に世論の多くを敵に回したように見えながらも、宮原政権の擬似的な独裁体制への移行は着実に既成事実化が進んでいった。