第11話 混乱と希望
『株価暴落 ストップ安続出』
『各証券市場 一時閉鎖を検討』
『各航空会社 全フライトを取り止め』
『連合艦隊現る』
『タイムトラベル⁉︎ 旧日本軍が出現‼︎』
『電力 政府統制を検討』
『食料品 配給制の可能性』
メディアは連日連夜大騒ぎであった。新聞の見出しは上記のような言葉で埋め尽くされ、テレビはどの局でもニュース速報が常に入ってくる有様だった。
その様な中で野党と共同で内閣不信任案を提出しようとしていた与党は、日本が直面している非現実的な状況への対処が先決だとして、一転して内閣に協力する姿勢を示した。
この危機的状況の中で無闇に政争を繰り広げれば、国民の命より政局を優先したとの批判を受けかねないと判断したためだ。ある意味で宮原総理は、東日本大震災の発生で外国人献金問題を有耶無耶にすることが出来た総理大臣と似た立場になったと言えるかもしれない。
だが総理の核開発検討及び空母建造発言がどうしても気に入らない某communist党などにとっては日本国の危機的状況より己の政治的信条が優先らしく、あくまでも内閣不信任決議案を提出しようと計画していた。
尤も提出に必要な賛同者の数が足りず、結果的に提出されることは無かったが。
転移から一週間程が経過し、多くの問題が顕在化し始めた。
一例としては外国人問題が挙げられる。日本に生活基盤の無い旅行者などへの支援に加え窃盗や強盗などを犯す外国人が急増し、中には祖国を失ったショックから暴徒化する者も出始めていた。一部では機動隊だけでなく警視庁のSATまで投入される事態にまで発展し、自衛隊の治安出動も秒読みと噂されていた。
また既に物価の上昇が見え始め、国民生活安定緊急措置法や買い占め等防止法などに基づく政府の市場介入も実施寸前だった。
因みに配給制については主に食料品を買う際に現金と共に配給切符を出さなければならないとした。しかし実施には配給切符の製造手配並びに各家庭への送付、配給品目の選定、企業や農家との折衝などに膨大な人員や時間が必要であり、各省庁は未だその準備に忙殺されていた。
だがある意味で最も苦慮するのが30万人を超える旧陸海軍への対応だ。
当然のことながらタイムスリップの前例などあるはずが無く、法的にどのような扱いになるのかを法務省が頭を抱えながら協議を続けていた。
また食料については、日米開戦時に南方軍へ割り当てられていた糧食の一部も転移していたために1ヶ月近くは食料供給を細々と行っても致命的な状況には至らないが、その1ヶ月が過ぎた後に皇国島(旧陸海軍と共に出現した島の仮称)へ陸軍及び海軍陸戦隊十数万人分の食料を運ぶだけでも相当な負担となる。
かと言って、彼らを安易に本土へ連れて来る事には国会や政府内から慎重な声が上がっていた。
理由としては同じ日本人とは言え、生活様式のまるで異なった現代日本に旧陸海軍将兵を適応させる労力を考えるだけで背筋が寒くなるため、そして現代の国民との間に軋轢が生じることが懸念されるためだ。
しかもとある盲目的な集団がこの懸念を一層助長させる行動を起こしていた。
12月10日 防衛省
「此処が、80年後の軍政を司っているのか。」
防衛省庁舎の正門前で山本長官が海軍次官時代を思い出しながら呟いた。
宮原総理からの要望で今後の自衛隊と旧軍のあり方を統合幕僚監部と旧陸海軍指揮官との間で意見交換することとなり、瀬戸内海の連合艦隊首脳部と皇国島の陸軍・横須賀鎮守府の幹部が市ヶ谷に案内されていた。
意見交換の後には首相官邸と皇居を訪れる予定になっている。
「皆様、どうぞ此方へ。」
案内の自衛官に促されて彼らは防衛省の敷地内に入り、自衛隊の最高幹部との話し合いを行った。
「まさか、戦の仕方がこれほど変わっているとは。」
意見交換の後、庁舎の中を歩きながら第四艦隊長官の井上中将が言った。彼は山本長官が海軍次官時代に軍務局長を務め、当時の海軍大臣であった米内光政と海軍次官の山本五十六と共に日独伊三国同盟に反対した経歴を持つ。
この日は意見交換というよりは自衛隊の組織や各種装備の説明になってしまったためにまた改めて双方の見解を述べる機会を設けることとなったが、未来の戦闘が想像以上にかけ離れていた事に陸海関係なく驚愕していた。
「確かにあのイージス鑑とやらは魅力的な兵器だが、海から戦艦が無くなってしまうのはどうも頂けないですな。」
南雲中将が残念そうに言うと他の海軍指揮官達も同意見だという顔だった。
首相官邸へ向おうとすると、防衛省の前に何やら横断幕やプラカードを掲げて叫ぶ数十人の集団が居座っていた。
「旧軍受け入れ反対ー‼︎」
「平和の敵を追い出せー‼︎」
その光景を見た本間中将が困惑に満ちながら言った。
「何なんだね、あの連中は⁉︎」
他の指揮官も声には出さなかったがとても不快そうな表情となっていた。
そうこうしている間にデモ隊の声は大きくなって行き、一部の者は防衛省の敷地内に入り込もうとすらし始めた。
流石に法を犯す者を放置するはずが無く、デモ隊と張り合っていた機動隊が即座に捕縛へ動いた。
ところが、何とデモ隊からお手製の火炎瓶が投げ付けられ隊員に負傷者が出たのだ。
もはや不法侵入では無く明らかな公務執行妨害と傷害の現行犯となった集団は機動隊との取っ組み合いの後に30人程が逮捕された。
後にこのデモ隊は半数以上が日本にいる外国人の数で上位にあるアジアの某2カ国の出身者で、旧軍の受け入れをどうしても阻止したい日本の共産主義者と共に参加していたと判明する。
これによって旧軍指揮官の何人かは現代日本への不信感を抱いてしまい、東京湾と瀬戸内海に転移した連合艦隊の将兵は兎も角、皇国島の将兵を余計に連れて来づらくしてしまった。
また火炎瓶まで用いた警察との衝突によってデモを画策した日本の某政党は大いに批判され、国民がその政党関係者と無関係な外国人へも不信感を抱く原因ともなった。
そのような混乱の極みにある日本にとって最大の救いが油田の存在だった。
皇国島の南部にて発見された油田関連と思われる施設を調査したところ、建造物は張りぼてに近い第二次大戦時のパレンバン油田のようであった。
ところが調査開始の翌日に試験掘削で石油の存在が確認され、しかも相当な埋蔵量が期待できるという都合が良すぎる展開となったのだ。
この情報は夕方のメディア速報を駆け巡り、翌日に再開された株式市場は暴落から一転、石油化学関連企業の株価は転移前の水準にまで回復する見込みとなり、他の業界の株価も下落にストップがかかる程だった。