脱出/戦闘
怜奈は眉を八の字にしている。
その顔を見ていると、突然脳裏に、あらぬ恰好をして俺にまたがる怜奈の姿が蘇った。
思わず顔を赤く染めて、慌てて顔を背ける。
「どうしよう竜次。私たち奴隷になっちゃうの?」
俺は後ろ手に掛けられた手錠を適当にガチャガチャやる。そう簡単に外れるわけもなく。
しかし俺のクラスが盗賊だというのなら、開錠のスキルくらいあってもいいと思うのだが。
「このままだと、おそらく。サティは恐ろしい能力を持っている。次も耐えられるかは分からない」
怜奈が首をかしげる。
「サティの能力って、どんな?」
思い出させるな。俺の頬はまた赤く染まる。
怜奈の訝しげな視線を振り切るように、俺は言う。
「怜奈の怪力でどうにかならないか」
俺たちを拘束している手錠は、普通の鎖で繋がっているものではなく、四角く厚い鉄板のようなものだった。力で簡単に壊せるような代物ではないように思える。
「怪力って言わないで。一応女の子なんだから」
と言いながら怜奈は頑丈な手錠を壊そうと力を込める。息を詰めているようだ。顔を赤くして、頬はぷっくりと空気で膨らんでいる。
彼女の腕は次第にぷるぷると震え出し、ガチャン、という音と共に手錠が破壊された。
「恐るべし。怪力女」
心の声が思わず口から飛び出てしまった。
怜奈は怒ったような目で俺を睨みつける。
鉄柵越しに俺の手錠と足かせも破壊してもらい、ようやく五体が自由になった。
「鉄柵は破れないか?」
怜奈は力を込めるが、牢は相当頑丈なようだった。壊れない。
さて、どうするか。
「竜次は盗賊でしょ。この牢の鍵、開けられないの?」
俺もさっきから考えているのだが、なにせ道具がない。牢の鍵穴は割と大きめで、なにか細いものでもあればなんとかなるような気がしなくもないのだけれど。
ふと、壊れた手錠を見やる。怜奈が壊した際に粉々になり、細長い鉄のかけらのようなものが所々に散らばっていた。
これだ。
俺はできるだけ形のいい物を選び、鍵穴に向かう。
どこをどうすればいいのか、なぜか俺は本能的に知っていた。
しばらくカチャカチャやって、扉が―――。
開いた。
「すごい、泥棒みたい」
怜奈が目を丸くしている。当たり前だ。盗賊なんだから。
手早く怜奈の牢も開けてやった。
「おやおや、やはり脱出しますか」
唐突に聞こえた声に驚いて振り向くと、リーフがいた。
そこにいるリーフは、もはや子供の猫なんかじゃない。恐ろしく冷酷な眼差しと、獰猛な笑みを浮かべている。
リーフの殺気が俺たちを貫く。背筋が凍った。
「貴重な労働力ですから、できれば殺したくなかったんですけどね」
この上なく嬉しそうだ。
戦わなければ、やられる。そう直感した。武器。なんでもいい。武器がほしい。
怜奈は自分が拳闘士である事を自覚したようだ。腰が引けながらも、ファイティングポーズをとっている。
「楽しそうなことしてるね」
地下室の階段上から声が降る。
サティだ。
「二対一ってのはよろしくないね。怜奈ちゃんの相手は、あたしがしたげるよ」
言いながら黒い翼を広げてこちらへ降りてきた。
空を飛べるなんて聞いてないぞ。
怜奈にとっては、直接攻撃できない分不利な相手かもしれない。あちらも考えているわけだ。
両者が睨み合い、一触即発の空気。
唐突に、それは始まった。
先に仕掛けたのは怜奈だ。拳でサティに殴り掛かる。紙一重でサティは飛び上がり、その攻撃を躱した。
勢い余った怜奈の拳は床に叩き付けられ、ものすごい轟音と共に地面を割る。
恐ろしいパワーだ。怜奈が味方で本当に良かった。
「はは、すごいすごい」
サティはなんでもなさそうに軽く笑い飛ばした。彼女は急速に下降し、鋭い爪で攻撃を仕掛ける。
怜奈は地面から拳を抜くのに手間取り、辛うじて避けたものの制服の背中部分を引き裂かれてしまった。
破れた個所から見える白い肌に、三本のひっかき傷が付き、そこからうっすらと血が滲む。
「くっ……」
苦痛に顔を歪ませる怜奈。
俺の頭に血が上る。なんてことしやがる。沸騰したかのように真っ白になった。
地面を蹴り出し、サティを殴り飛ばそうと拳を掲げる。
唐突に、樹木が行く手を阻んだ。
「あなたの相手は、僕です」
樹木は、リーフの近くにある地面から伸びていた。
魔術師、か。どうやら植物を操る類の魔術師のようだ。
リーフは地面に植物の種らしきものをひとつ落とし、ぼそっと一言つぶやく。落とした種が緑色に発光して、ものすごいスピードで樹木へと成長し、俺に向かって伸びてきた。
樹木の先端は、槍のように鋭く尖っている。まともに喰らえば、体を貫かれるだろう。
すんでのところで避けた。しかし対ゴブリン戦の時のような瞬発力を、自分の中で感じられない。
なぜだ。このままではやられる。
思い出す。あの時俺は、カッターを握った瞬間、豹変したように動けた。
刃物、か。恐らくそうだ。俺は刃物を握れば、豹変する。
何かないか。あたりを見回す。何もない。
武器がほしい。切実に。
目の端に映る怜奈は、苦戦しているようだ。空を飛び回るサティに、まるで遊ぶように振り回されている。
「姐さん、遊んでるみたいですね。悪い癖なんですよ」リーフが言う。続けて「こちらの方が早く終わりそうですね。武器を持たない盗賊なんて、殺すのは簡単です」さらに続けて「あなたを殺したあと、怜奈さんは拘束することにしましょう。あれだけの容姿を持つ娘なら、相当高額になるはずですから。しかし変態男に買われて行く様を、あなたに見せてあげられないのは残念だ」
俺はもうカンカンだ。怒った。震える。
全身の血が逆流する。沸騰する。心臓が、かつてないほど力強く鼓動する。
頭の中が真っ赤に染まる。脳みそが蠢く。繋がる。パズルのように、カチカチと。
天啓のようなものが、俺を貫いた。
気づけば俺は、ナイフを握っていた。刃渡りは20センチほど。信じられないくらい、手に馴染む。
俺の手にナイフが握られているのを見て、リーフは目を丸くする。
「馬鹿な……。無から有を作り出したとでも言うんですか。魔法使いでもないクセに、生意気な」
吐き捨てるようにそう叫び、種を五つ同時に地面に落とす。発光、急速成長し、俺を貫こうとする。
コマ送り。俺は歩くようにすべてを避ける。
脚を爆発させ、反撃に出ようとする。
リーフは十個もの種を落とし、俺が動けるであろう範囲全体に木の槍を伸ばす。
まずい。これは避けられない。
南無三。上に跳ぶ。
驚くほど高く跳躍してしまった。
相当な高さで、怜奈と戦っているサティと目が合う。彼女の目は丸くなっていた。
少しの滞空のあと、下降。
待ち受けていたかのように、木の槍が俺の中心を貫こうと伸びてくる。
しまった。
空中では動けない。
一か罰か。コマ送り。木の槍の先端に、ナイフの刃を合わる。うまくいった。
樹木は先端から二つに裂け、俺を避けるように伸びていく。
目の端に映るのは、もう一つ種を落とすリーフだった。つぶやき、発光する。
ナイフは、樹木から抜けない。
伸びてくる木の槍。
万事休すか。
もう一本、ナイフがあれば。
目が霞む。吐き気が喉を込み上げる。
脳が火花を散らした。神経がショートするかのように熱い。
回路が、繋がった。
左手に現れたナイフ。
伸びてくる樹木の先端を、同じように切り裂いた。
地面に降り立ち、まだ伸びてくる木の槍をすべて避ける。
超スピードでリーフの背後に回り込み、リーフの喉にぴったりと刃を当てた。
「俺の勝ちだ」