クラスは、盗賊と拳闘士
草原の小高い丘の上。猫っぽく見える少年に続いて姿を現したのは、巨大な体躯を持つ、豚のような顔をした人間もどきだった。先頭の豚男に続いて、次々と同じような容姿を持つ者達が姿を現した。五、六……七匹だ。
腰布一枚を身に纏い、棍棒を振り回しながら猫少年を追い立てている。あれは、いわゆるゴブリンとかいうやつか?
「あれ、ゴブリンってやつかしら」
どうやら怜奈も同じことを思ったようだ。
「あの猫、追われてるみたいね。たすけてーって言ってるわ」
「そうだな」
「どうするのよ」
「俺が決めるのか?」
怜奈は俺を睨む。男でしょ、と言わんばかりの眼差しだ。
俺はイマドキ男女差別が云々と講釈を垂れようと思ったが、目の前で繰り広げられる切迫したような状況を鑑み、仕方なく選択をした。
「助けるしかないだろう」
怜奈の目が輝く。「そうよね!」
どうやらこの答えで満足のようだった。
そうは言ったもののさて、一体どうやって助ければいいのだろう。ゴブリンたちは中々に屈強な体つきをしていて、とても素手で戦える相手であるとは思えなかった。それに、俺は生まれてこの方一度も喧嘩という戦闘行為を行ったことがない。
改めてやつらの鬼の形相を見ると、思わず腰が引けた。
「俺達は武器を持っていない。やっぱりやめよう」
怜奈の熱が込もった期待の眼差しが、一気に冷めていくような空気を感じる。
「なにかあるでしょ。鞄の中漁ってみなさいよ」
言いながら自身も鞄の中身を漁り、天体望遠鏡を手に取った。少しの間逡巡し、それを武器にすると決意したように、ぎゅっと両手で握りしめる。
しかしゴブリンの頑丈そうな棍棒を見るに、そんなものでは歯が立たないことは明白だった。
いいのか?それ、もう星を見れなくなるぞ?
こちらに向かって一直線に駆けてくる猫少年とゴブリン達を見据え、怜奈は天体望遠鏡をバットのように構える。打点まで残り50メートル。怜奈の天体望遠鏡は微かに震えていた。
俺はかつて見た怜奈の、瞳の奥に輝く星を思い出していた。大事なんじゃないのか、その望遠鏡は。
いつの間にか俺の手は武器を探して鞄をあさり始めていた。筆入れ、教科書、小説、空の弁当箱……。一般高校生の鞄に、武器など入っているはずもない。
教科書を投擲武器にでもするか? と一瞬考えた。青春を謳歌したい学生の敵であるともいえる教科書は、この世界でも必要になる事はないだろう。
いや、と俺は思い直す。年々薄くなっていると言われているこのペラペラの教科書では、角で殴ったとしても到底ゴブリンに傷をつけられるとは思えない。筆入れの中身を見る。ペン、ペン、ペン、消しゴム、ペン、のり……カッターナイフ。
ないよりはマシか。
ゴブリンが残り10メートルにまで迫る。どどどどど。
カッターの刃をチキチキ、と出し、構えた。近づいてきたゴブリンは、思っていたよりデカかった。身長にして2メートル半くらいか。これはやばいな、とどこか冷めた頭で考える。ゴブリンが手に持つ棍棒で、殴り飛ばされて吹っ飛ぶ自分の映像が脳裏を掠める。情けないことに、俺の足と手は震えていた。
震える手の中にあるカッターナイフ。そんなに頻繁に使ってはいなかったはずなのに、なぜか妙に手に馴染んでいる。
そのことを意識したとき俺は、あれ? と思った。頭の芯が妙な熱を持ち始める。体が急に不思議な昂揚感に包まれる。全力で走り出したい衝動に駆られる。なぜだろう? わからない。
猫少年が泣きそうな顔で必死に駆け、はぁはぁと息を切らせながら俺たちの後ろに回り込む。そのままその場にうずくまり、頭を抱えてぷるぷると震え始めた。
ゴブリン達が鬼の形相で訳の分からない叫び声を上げながら、俺たちに向かってくる。怜奈は天体望遠鏡を振りかぶった。
俺は思った。怜奈の望遠鏡を壊したくない。
その瞬間、俺の脚が爆発したのかと思った。地面を蹴り出し、一気に加速して先頭のゴブリンのぽてっとした脇腹にカッターナイフを突き立てる。赤い返り血を浴びるが、気にもならなかった。
思考をすり抜けて、筋肉は勝手に収縮し膨張する。
俺は動いている俺を俯瞰で見ているような気分だった。
怜奈が目を丸くして俺を見ている。
「竜次、うしろ!」
ゴブリンの脇腹からナイフを抜き、後ろに立って棍棒を振り上げるゴブリンの腕を切りつける。
そいつは苦痛に顔を歪め、棍棒を取り落した。
「怜奈、こいつで身を守れ!」
俺は地面に転がった棍棒を蹴り上げ、怜奈に寄越す。怜奈はどこかほっとした表情で、天体望遠鏡を置き棍棒を手に取った。
俺は次々とゴブリンを切りつける。カッターナイフでは深手を負わせる事はできないものの、やつらの緩慢な動きはコマ送りのようにゆっくりとして見えた。次々に振り下ろされる棍棒も、すべて簡単に避けられる。
返り血を浴びながら、俺はどこかで思った。気持ちいい。
俺が戦場を舞い踊る中、目の端に映ったのは、一匹のゴブリンが怜奈に襲い掛かっていくところだった。
まずい。いくら棍棒を持っているとはいえ、やはり怜奈の貧弱な細腕では……。
急いで駆け付けようとした矢先、どかん、と大きな衝撃音がした。
「え?」と俺は目を疑う。
怜奈が棍棒を手に、バットを振りぬいたポーズで固まっていた。怜奈に襲い掛かっていたゴブリンは、数十メートル先に吹っ飛んでいた。
固まったまま、俺と怜奈は目を見合わせる。お互いに「え?」という顔をしていた。
ゴブリン達も鬼の形相のままお互いの顔を見合わせ、負傷した仲間を抱えて去って行った。
「助けていただいて、ありがとうございます」
草原にちょこんと正座して、まだ声変わりしていない子供のような声で、猫少年はそう言った。
俺たちは車座になって、その猫少年をしげしげと観察する。
見れば見るほど不思議な容貌をしていた。体付きは人間そのものなのに、全身がオレンジ色の短い毛で覆われ、顔はまさに猫だった。アーモンド形の緑瞳に低い鼻。口は「ん」の形になっていて、両頬には細い毛が3本ずつ。身に纏っているのは黒いパーカー付きのコート、いわゆる魔法使いが着るローブのようなものだった。
「見て竜次、ふわふわだわ」と怜奈は猫少年の腕を取り、滑らかな毛並みをさすさすと触っている。
されるがままになっている猫少年は「僕の名前はリーフと言います」と自己紹介し、「あなたたちはすごいですね。異邦人なのにクラスを持っているんですか?」と続けた。
「異邦人」と「クラス」という言葉の意味が分からなかった俺は、質問の意図を聞き返す。
「たまにいるんですよ。あの星からうっかりやって来てしまう人が」
リーフは空に浮かぶ地球を指さした。
「でも、その人たちの中でクラスを持っている人を見るのは初めてです」と無邪気に笑い、「あなたは盗賊、あなたは拳闘士ですね。いやぁ、強い人に出会えて本当によかった」と俺と怜奈を順番に指さす。
俺が盗賊で、怜奈が拳闘士?