6.節制、後輩につき
「先輩、いい加減教えて下さいよーっ! 怒りますよっ!」
「お前もいい加減しつこいな。カリカリするなよ、毎日牛乳飲んでるか? ……いや、そんなわけないか」
「胸か! 今胸を見て言ったか! 先輩の桃色思春期!」
いや、背丈だが……そっちにもコンプレックス持ってたのなお前。つか、どんな罵倒だそれ?
先生に軽く絞られた後、俺達は下駄箱まで歩いて来た……んだが、そんな騒いでるとまた捕まるぞおい。
「お前こそ、やっぱり吹奏楽目当てでここに来たのか? お前ならもう少し上の学校でも十分狙えただろ」
「え? ええまあ、そうですよ。どうせならいいところで練習したいですし」
「ヘナチョコな部活が多い中でなんか知らねえけど頭一つ飛び出してるもんな、ウチの吹奏楽って」
亮二の言う通り、俺達の通う私立城岡高校は一応進学校として知られており、その為かは知らないが部活に精を出す生徒が少ない。
運動部は大会に出ればどれもこれも一回戦負け、文化部に至ってはそもそも部員すら集まらずに半数が存続の危機に瀕している状況である。
そんな中で我らが誇る吹奏楽部は毎年全国大会などで輝かしい成績を残しており、この前にはなんとテレビが取材に来た。
部員数はサッカー部と野球部とバスケ部を足してもまだ足りないほどだというから驚きである。
「吹奏楽はもうやってないよ。あんな化け物集団の中に突っ込んでいく度胸は俺には無い。竹槍でモビルスーツと戦うようなもんだ」
去年初めて演奏を聞いたとき、それが俺の吹いていたのと同じフルートだとは思えないような凄まじい迫力を感じたのを覚えている。それはまるで演奏者が木星に変化して俺を押し潰すかのようだった。
「でも私、先輩のフルートも結構好きでしたけど」
「フルート『も』って所がちょいと引っ掛かるがな」
目茶苦茶な絵を描いた小学生に図工の先生が『うん、楽しく描けてていいね』と言うようなものじゃないのかそれ。いや、なんか例えが変な気もするが。とりあえず俺、見下されてる?
「いや、でもやる気ないヤツにゃ結構きっついぜ、あの部活。肺活量つけるとかいって毎朝マラソンしてるし、運動部より動き回ってんじゃねーか?」
「そうそう。しかもさぼったら放課後に三倍走れとか言って。馬車馬じゃあるまいし、そんなに走れるかって」
「んー、でも私ならそれでもやりたいですけどね。練習は厳しいかもしれませんけど、それを乗り越えた際の快感! というか」
「なあマサ、純ちゃんって実は強い敵に遭遇するとワクワクしちゃう戦闘民族だったりしないか?」
「はっはっは、亮二、遠慮はいらんからはっきり言ってやれ。――このマゾめ、と」
「亮二さんはそんな意味で言ってませんよ! あ、というかすみません。亮二さんの苗字はなんとおっしゃるのでしょうか」
「おう、そういえば聞いたっきりで言ってなかったな。戯城だよ。でも別に亮二さんでもいいよ? むしろバッチコイ」
「いえ、遠慮しておきます」
「いやー、年上だからって気にすること無いよ? 試しにさっきみたいに軽く言ってみなって、ほら」
「戯城さん。あらぬ誤解があっては困りますので」
「あ、うん。そうね」
おお、亮二が引いた。つかさらっとえげつない対応するな、こいつ。
亮二がしょぼくれていると、予鈴のチャイムが響く。いかん、もうこんな時間か。
「ほれ、予鈴も鳴ったし行くぞ。純も遅れるなよ」
「あっ、ちょっと待ってください先輩」
「ん?」
まだ何かあるのだろうか。まさか放課後までに書いておいて下さい! とか言って白紙の入部届でも出すつもりじゃあるまいな。
「ほら、先輩って中学の頃ケータイ持ってなかったじゃないですか。それで、今持ってるなら番号教えてもらえませんか?」
「番号? XU02TAだけど」
「いや、機種番号じゃなくて! 常識的に考えて電話番号に決まってるじゃないですか!」
「常識的に考えて冗談に決まってるだろ。そんなんだから背が伸びないんだ」
「関係無いですっ!」
「あ、じゃあ俺のも教えようか?」
「え、はい。じゃあついでに」
「……そうか。俺はマサのついでか。その程度でしかないのか……欲しいのはマサの番号であってオレナンカドーセ……」
「ちょっ、いや、違いますって! 単なる言葉の綾ですよ!」
「何慌ててんだお前?ほら、ケータイ出せ」
と、なにやら顔を赤くした純と番号を互いに交換し、一年の教室は一階ということで階段下で別れた。
「しかしマサ……ホントになんも無かったんか?」
「お前もしつこいな、純とはただの部活仲間、先輩後輩でしか無かったって言ってるだろ」
「じゃあなんで下の名前なんだ? 渡井、でいいじゃん」
「もう一人渡井ってのがいて、分かりにくいからそうしただけだ。つっても、もう一人の奴とは殆ど関わらなかったけどな」
「それはどっちから?」
「? どういう意味だ?」
「いや、どっちが先に下の名前で呼ぶように提案したのかな、と」
「それは――」
三年ほど前の思い出が蘇る。
上級生が引退してから少しした頃で、俺は純とよく一緒になって練習していた。
俺がフルートのパートを吹き、純が同じ曲のホルンのパートを合わせて吹く。
だが、俺はいつも同じ部分で間違えて、その度に純はまたですか、と言ってはくすくすと笑った。
何回目かのミスの後、俺はちょっと待て、と言って一人でその部分を何度か確かめるように吹く。それからまた少し戻った所から二人で演奏を再開する。
そして、やっぱり同じところで間違えた。
――だああああ! なんだこりゃ、ふざけんなっ!
――あはは、もう一回やります?
――当然だ、出来るまでやるぞ! というわけで渡井、またこの部分……
――あの、先輩
――ん、疲れたか? 悪い、なら俺一人で練習してるから先に帰っても……
――いえ、そうじゃなくてですね。二年にも渡井先輩っているじゃないですか
――おう、いるな。三年が引退してからぱったり来なくなったが。どれ、今度軽くシメてくれようか……お前もやるか?
――そういうことでも無くてですね! それだと渡井って呼ぶと紛らわしいじゃないですか
――そうか? 俺はあまり気にならないが
――私が気にするんです。ですからその、良ければ私のことはこれから先……
「……忘れたよ、んな些細なこと」
「なんだよ、つまんねぇな……っておい、急になんだよ!」
「窓からベリちゃんが見えた! 急がないとヤバイ!」
「マジか! 今日はまた随分と来んのが早えな!」
二段飛ばしで階段を駆け登りながらふと思う。あの時俺は、何と答えただろうか。
その事については、本当に忘れていた。