1.愚者と隠者、友人につき
私立高校の何がいいかといえばとにかくエアコンがあることであろう。公立との間にある授業料の差を考えるとその程度些細なことと思えなくもないが、少なくとも俺はそれを基準にして受験校を決めた。
小学生の頃はいくら暑い夏であろうと雪の吹きすさぶ冬であろうとボールを追い追い校庭を駆け回っていたものだが、中学生にもなるとそういうわけにもいかない。
夏は窓際の席を求めて席替えの場は戦場と化し、冬はドア付近の席を避けて以下同文。一日の生活の半分近くを過ごさねばならない場所で暑い寒いなどの対処しにくい面倒な問題を抱えていたくはない。
というわけで、大勢のクラスメイト達が近場の公立高校や手頃な私立へ進学する中、俺は近所ではそこそこ有名な私立の進学校へ進んだ。
といっても所詮は地元レベルでの話であり、全国的にはたいしたレベルでもないどこにでもあるような高校である。1年以上通っていればそれは身に染みて分かる。
話の始まりは、殆どの生徒が入学後から続く気の緩みと進学校の響きによる根拠の無い余裕から成績を落とし、それに危機感をもった者達が学年の推移を機に予備校なり塾なりに通い始める、または検討を始める、そんな時期のこと。
ぶっちゃけて言えば俺が高校二年生になって一月が過ぎた頃のことだ。
教室に入り、バッグを椅子の下へ置いてカバンから数冊の教科書とノートを取り出す。宿題の出ていた科目だけ持ち帰っているのでたいした量にはならない。予習復習? 天然キャラが売りの芸能人の私生活並に興味ないな。
「ようマサ、ちょいと助けてほしいんだがっ!」
「全く、ほれ」
いきなり背後からがっしりと肩を掴んできた人物に、苦笑を浮かべながら二冊のノートを渡す。
「おっ、悪いなマサ。毎度のことながら」
「言っとくが答えが合ってるかは知らんぞ。途中式も適当だし、どうせなら那佐のを借りたほうが賢明だと思うが」
「いや、俺もそう思って先に那佐の方に行ったんだけどあっさり断りやがって。んで、仕方ないから次善策としてお前」
「亮二、やっぱノート返せ」
「ちょっ、おま、そりゃねーってマジでっ!」
ノートへと伸ばした俺の手を素早くはたき落とし、亮二は素早く机の間をすりぬけて逃げていく。
「感謝してるっていやホント。午後までには返すからさー!」
「アホ、物理は三限だっての! とっとと写せ!」
手に持ったノートをひらひらと頭上で降り、亮二は窓際の自分の席へと戻っていく。
「ったく、ホントあいつは楽して人生過ごしてるな……。と、そういえば」
教科書を机の中に押し込んでカバンを横に掛けて、俺は一番前の真ん中、いわゆる特等席と呼ばれ誰もが忌避する場所で黙々と本を読んでいる那佐の元へ向かう。
「よっ」
「……ああ、おはようマサ」
顔だけを動かして那佐がこちらに視線を向ける。目元を覆う癖のついたボサボサの髪と黒い太縁の丸眼鏡、それに物静かな性格の上に読書好きで、一人でいると黙々と本を読み耽っている為一見アレな人物のように思えるが、実際は外見にあまり――というよりほとんど――気を使わないだけで決して特異な人物ではないと理解している。
「ん、珍しくハードカバーだな。何て本?」
膝の上に広げられた本に目がいき、なんとなく尋ねてみる。那佐は最近よくテレビで聞くタイトルを口にし、
「たまにはファンタジーもいいかと思って軽く読んでみたが、なかなかいい話だった」、と評価した。
「話だった、ってもう一度読んでるのか?」
「ああ」
話の分かっている本を読んで面白いのだろうか、普段あまり読書をすることがないのでよく分からないが。
「本の読み方は人それぞれだが、俺の場合二度目は伏線になっている部分などを探しながら読むようにしている。これはこれでまた楽しいものだ」
「ふぅん、そんなもんかねぇ。――と、そうだ。日曜なんだが……」
そうして暫く話しているとチャイムが鳴り、他の生徒たちは席に戻り始める。
「……分かった。亮二と徹にはもう話をしたのか?」
「いや、これから。んじゃ、そろそろ席戻るわ」
「ああ」
会話が終わると那佐は再び顔だけを動かして読書に戻る。
その2分ほど後に担任が教室にあらわれ、HRが始まった。