16.意趣返し、今はまだいたずら?
週末の過ごし方なんて人それぞれだろうが、まあ目一杯遊び散らすやつとのんびり休息する奴とで半々といったところであろう。
俺の周りの極一部に関してはまあ口にするのもはばかれるような悲しい週末を送り続けているらしいが、まあ何事にも希望を持つ事は悪くないんじゃないかな。
わざわざナンパの為だけに少なくない交通費を出して都心まで出て、日が暮れるまで見知らぬ女性たちに不屈の精神で挑み続けるというその情熱と時間をもっと他の事に費そうとは思えないのだろうか、奴は。
まあ、そんなどうでもいい話はともかくとして。
現時刻は昼の一歩手前、外食店がピークに向けて準備に入るようなところであろうか。
俺はバイト先の最寄り駅前にあるホームセンターを、頼子さんと並んでぶらぶらと歩き回っていた。
「で、結局何なんですかこれは」
「ん? いやー、最近マンション引っ越したんだけどね。色々と足りないものとか買い足そうかと思って」
頼子さんは今日はパンツにスニーカーと動きやすそうな服装で、色合いなどもいつもより全体的に地味な感じにおさまっている。
そういう私服は休日ではなくむしろ勤務中に着るべきものなんじゃないかと思わなくもないが。
「で、俺はその荷物持ちですか。宅配すればいいじゃないですか」
「まあ大きい物はそうするわよ。でもそれとは別に、マサっちの意見も聞いてみたいからさ」
「俺のですか? 頼子さんの部屋に置くものなんですし、好きなものを選べばいいじゃないですか」
「でも将来一緒に使うものなんだから……ねっ、式はいつ挙げる?」
「そんな将来は永遠に来ないものと思っていただいて結構です、あと近い、もうちょっと離れろ!」
先ほどから頼子さんは俺の右腕に抱きついている。最初は手をつなごうなどとさえずっていたが、完璧にシカトし続け相手にしないでいたらこのような形にされてしまった。
何が楽しいのか頼子さんはずっとニコニコ、いや、ニヤニヤしているし、こっちとしては恥ずかしくて堪らないのだが。
「これって傍から見ればカップルにしか見えないでしょうね。同棲を始めたから生活道具を揃えにきました、みたいな」
「実際同棲するとなったら頼子さんの相手は可哀想ですね。家事を二人分やらなくちゃいけないんですから」
「使用済みの下着を自由にさせてあげるんだからイーブンよ」
「レベルが高すぎて内容が理解できない」
なにその等価交換。
「マサっちだって経験あるでしょう? 放課後好きな女の子の席に座ってみたり、縦笛見つけて脳内会議始めたり、体操服の匂いを嗅いだり、スク水を着てみたりとか」
「おまえは俺を何だと思っているんだ」
「あっ、妹さんのでそういう欲求は発散しちゃってるのか。そうよね、妹さん可愛いから……」
「あんたの脳内で俺は一体どんな鬼畜ド外道と認識されているんだよ!」
全く持って心外である。遺憾の意を表明せざるを得ない。
そんな馬鹿なやりとりを繰り返しつつ、頼子さんと店の中を適当にぶらつきながら家具を選んでいく。
足りないものを買いに来たといっても本当に必要なものはあまり無いようで、クッションとカーテン、それといくらか細々としたものをいくつか購入した後ついでに上の階にある電化製品売り場も覗くことにした。
「まあ、いい加減炊飯器くらいは買っておいたほうがいいわよね。多分使わないと思うけど」
「自炊しようという気はないんですか。本当に嫁の貰い手がいなくなりますよ」
「火を見ると思い出すのよ、あの日夜の闇の中で朱に染まった私の故郷の事を……」
「はいはい、厨二乙」
「ぶっちゃけご飯だけ炊ければおかずは買えばいいし、これだけあればばっちりよ、きっと」
まあ健康被害に遭うのは彼女自身なわけだし、深く突っ込むのはやめておこう。
それからコンパクトな掃除機やドライヤーなどを選び、俺たちは店を後にした。
*****
で。俺の役割は荷物運びということで、当然購入後はしかるべき場所に行かなくてはならないわけであるが。
正直に言おう。すっげー行きたくない。
健全なる男子高校生の身としては「女性の部屋」という響きにどきっとくる部分がないとはいわないが、ところがどっこいそこは頼子さんの部屋である。
引っ越したばかりとはいっても普段からアレな発言ばかりしている人であるから、暮らし始めてほんの僅かな期間でも既に魔窟と化している可能性は否定できない。
いやでも、案内されたマンションの外見からは安っぽい感じはしなかったし、万が一ってことも……そう思いながら玄関の扉を開けると、そこは意外なことに!
――っていっておくと、フラグみたいに聞こえるじゃん?
「ところがどっこい……夢じゃありません……! 現実です……! これが現実……!」
「人の部屋にきて一言目から何をぐにゃってるのよ」
かすかな期待は軽く裏切られ、部屋の中は残念なことに残念でした。さやかちゃん? 君は何をいっているのかね。
いやまあ、最悪の予想には届かなかったものの、部屋の隅に詰まれた70Lの半透明ゴミ袋の大群とかほんとどうすればこうなるのか理解不能レベル。
それに荷解きする気がまったく感じられず、口を開いただけで平積みにされている引越し社のダンボールが更に部屋の印象を引き下げている。
洗濯物はきちんとしまわれているあたりまだ目に優しいが、人を呼ぶ事をあらかじめ分かっていてこの状態とか半端じゃないぞ。
というか、もしかして頼子さん基準だとこれで片付いているレベルに入っているのだろうか。
「これじゃ俺、女性の私生活に夢を抱くことができなくなっちまうよ……」
「男の子の夢ならそこのタンスの中にたくさんあるわよ。しばらく見て見ぬ振りしててあげよっか?」
「こんなに俺と頼子さんで意識の差があるとは思わなかった……!」
「別に腐るようなものを溜め込んでるわけでもないし、健康に問題は無いわよ。あまりにも目に付くような状態になったら掃除するようにしてるしね」
つまりこれはまだ「目に付くような状態」ではないということで、やはり頼子さんからするとこれでも整理されているようだった。
あれだ、きっと「どこに何があるか分かってるから私にとっては片付いてるし、それにこっちのほうが便利なのよ!」とか言っちゃうんだろうなぁ。
「とりあえず、荷物は部屋の奥にでも運んでおきますね」
「ん、お願いー。そしたらお茶でもいれるから適当に座ってて」
いや、座っててと言われても、どこに? というかお茶なんてあるのかこの部屋。
ひとまず目に付いたベッド、は流石にまずいだろうということで、購入したクッションを早速取り出してテーブルの前に座る。
ごちゃごちゃした部屋の中にドンと置かれたごついPCだけがなんとなく不釣合いで、浮いているような感じを受ける。
「頼子さんって、パソコンとか結構やるんですか?」
「そりゃあまあ、一人暮らしだからねえ。大体はネット目的だけど仕事にも使うことあるからね」
頼子さんは湯気の上がるふたつのマグカップを手に、キッチンからこちらのリビングへと移る。
ひとつを俺の前に置くと頼子さんは少し距離を置いて左隣に座り、マグカップを啜る。
ちなみに中身はコーンスープだった。……ちょっと喉渇いてたからお茶と聞いて少し期待したんだけど、これ飲めってか?
「そういえばマサっち、最近入ってきたバイトの子とはもう会った?」
「ああ、リルって人とは。もう一人とはまだだな」
二人でコーンスープをずるずる啜りながらの会話。なんだろうなこの図、シュールなんだけど。
「リルは仕事熱心だし、物腰も柔らかいから口調さえなんとかなればすぐに接客も出来そうね」
「その口調が一番のネックな訳なんだけどな」
「テンプレさえ覚えさせればあの程度なんとでもなるわよ。接客基本用語をロボットみたいに繰り替えすだけでも傍目からは何とかなってるように見えるもんだし」
「そりゃそうかもしれんが、折角だしまともな日本語を教えてあげたくもなるんだよな」
貴公子然とした風貌であの間の抜けた話し方は色々と残念だ。
「んー、でもあの子はこのままの方が面白、ごほごほ、可愛くていいんじゃない?」
「言い直したつもりかもしれんが玩具として見てるという点で大して変わってないぞ」
「玩具になんてしてないわよ、ちょっと口でからかってる程度ね。まあ下ネタなんだけど」
「慎みって言葉とは本当に無縁ですねあんた」
「いやーでも少しからかうだけで顔真っ赤にするから可愛いわよ? 初々しいわぁ、エッチなことに免疫無いのね」
「間違っても手は出さないで下さいよ、頼みますから」
「大丈夫よ、私が手を出すのはマサっちだけだから。なんならマサっちに手を出されてもいいのよ?」
そう言って頼子さんは俺の肩にしなだれかかる。耳元に息がかかり、背筋にぞくりと震えが走った。
いつもなら冗談は止めてください、と押し返してさらりと流す場面なのだが。
仕事中ではなくプライベートであることと、人目が無く二人きりの状態であることでなんとなく箍が緩んでいたのか。
「そうですか? では、ちょっと失礼」
いつもやられっぱなしなのでたまにはやり返して見ようかと、そう考えて。俺は頼子さんの左肩に手を置いた。
そして右手を頬に添え、優しく力を加えてこちらを向かせる。頼子さんの瞳の中に映る自身の姿が見えた。
「……へ? あ、あれ、マサ?」
「きれいな肌してるんですね、頼子さん。すべすべで気持ちいいです」
ゆっくりと頬を撫で、そのまま掬うようにして髪を梳く。さらさらと指をくすぐりながら零れていく感触が心地良い。
頼子さんの体が強張るのを左手に感じたが、気にせずいたずらを続けることにする。
「髪、カラーリングしてるから痛んでるんじゃないかと思いましたけど。案外なめらかなんですね」
左手をゆっくりとずらし、背中に下ろしていく。頼子さんは慌てた様子で表情をころころと変えるが、体は動かさない。
くすぐるように動かした手は腰に回り、片腕で抱くような体勢になる。
ここにきて頼子さんはついに頬を染める。普段の仕返しとしてはこれで十分なのかもしれないが、調子に乗った俺は更に先へと進む。
「黒い髪以外認めないなんて言ってましたけど、よく見ると悪いものでもないですね。と、言うより」
髪を梳っていた右手を彼女のうなじに当てて前傾姿勢になる。必然、お互いの顔が近づくが、頼子さんは拒絶しない。
ふわりと髪から花の香り。だが今は以前露店でも感じたそれに加えて、ほのかに石鹸の香りがする。頭の片隅に霞がかかるような感覚。
きゅっと僅かな力を込めて、腕の中の体を引き寄せる。華奢な肉体、だけど、柔らかい。
耳元に唇を寄せ、小さく息を吐く。こそばゆい感触にびくりと体を震わせた。
「なんだか、好きになりそうです」
ぽろりと、言葉が口をついた。顔は見えないが、腕の中が温かくなったような感じがした。
とくとくと血の流れる音が聞こえる。俺のものか頼子さんのものか、近すぎてよくわからない。
甘い香りに包まれながら、俺はただ思った以上に繊細な彼女の体を抱きしめ続ける。
頼子さんは、何も言わない。腕を俺の胸に添えたままで、突き放しもしなければ抱き返してもこない。
そのままの姿勢でただ静かに時が流れる。
時計の針の音だけが響く部屋で、ただ時だけが。
時だけが。
時だけが。
時だけ、が。
「…………」
「…………」
えーっと。
なんだこれ、死にたい。
時間が経ってふと冷静になってみたら何をやっているんでしょうね僕様ちゃんは。ゲッペルさんが降臨なされて今の俺はスーパー自嘲タイムの始まりです。
というかマジでどうしてこうなった。なんだこの状況。誰か何とかしてくれって個室でしたそうでした。救いは無いんですか! やだー!
頼子さんもこんな冗談に付き合わないで途中で笑ってくれれば良かったのに! というか今からでもいいからこの空気ごと両腕で突き飛ばしてください。
ちょっと恥ずかしいことしてやろうと思ったらむしろこっちのほうが傷が深いとかなんだこれ頼子さんったら物理反射持ちのペルソナだったのかよたち悪いわ!
「…………」
「…………」
ごめんなさい、ホント反省してますので何か仰って下さい頼子さん。
今の俺にとってはこの沈黙が何よりの拷問です。無敵のKYスキルで何とかして下さいよォー!
と、冷や汗をダラダラ流しながら心中で悶えていると、頼子さんが消えるような声で囁いた。
「え、っと。マサ」
「! ははっ、はい」
「その、何ていうかさ、うまくいえないんだけど、あの」
それからまたしばらくの沈黙。なんだろう、罵声でもなんでも浴びせてくれて構いませんのでこの流れをなんとかして頂けないでしょうか。
頼子さんはゆっくりと、わずかに体を離して腕の中からこちらを見上げる。潤んだ瞳と朱の散った頬がなんだか艶かしい。
それから一度きゅっと目を瞑ってから、意を決したように口を開く。
「私、マサに――」
瞬間、三つの出来事が発生した。
まず、ベッドの傍のゴミ山の中から轟音が発生した。
「キャーーッ!?」
「ぐへぇーーっ!?」
次に、甲高い悲鳴と共に俺の体が後方に突き飛ばされた。
最後に、壁に激突した俺の体を積み上げられていたゴミ袋の雪崩が飲み込んだ。
「ちょっ!? 何、いったい何が起きたんだ!?」
「あっ……これ、目覚まし時計ね。かけたまま解除するの忘れてたわ、いやあうっかりうっかり」
「目覚ましっておま、今12時じゃねえか! 普段どんな生活してんだあんた!」
ゴミ袋の中からずるずると這い出しながら、ぜいぜいと息をつく。袋の口が開いたようで、中身がちょっと出てしまっている。
「ああこら、せっかく片付けたのにまた汚れるじゃない! ちゃんと掃除しなさいよまったく」
「この部屋元々片付いてないだろうが、掃除もクソもあるか!」
それからさっきの空気が嘘のようにギャーギャーと喚き散らしながら二人で部屋中の掃除をした後、近くのファミレスで食事することになった。
ちなみに食事中もう一人の新人バイトについての話になったのだが、頼子さん曰く
「リルの知り合いで、お嬢様みたいな子ね。ただし大和撫子ではなくマリーアントワネットみたいな」
とのことであった。なんだろう、嫌な予感しかしない。