9.ファンクラブ、拡大中?
創立してから50数年とまあそれなりに歴史がないでもないうちの高校だが、中には創立初期から勤め続けている年配の教師なども存在する。
その大ベテランとでもいうべき教師の授業は流石に長年の経験と培ってきた知識により非常に分かりやすく、懇切丁寧なものである。
それは確かに真面目に聞けば問題に取り組むのに実に有用なテクニックなどが自然と身につくのだろう。だが悲しいことに我々若者は今の一瞬を生きる刹那的な生き物であり、己を高めることより現在の益を求めるものなのである。
要するに、静かな教室内で淡々と奏でられる落ち着いたバリトンボイスは良い子守歌にしかならず、そうして寝たり書いたり消したり寝たりしながら時は経ち、あっという間に昼休み。
……何と言うか、我ながら残念な学校生活を送っているものだ。
「どうだったよ徹、昨日のライブは。楽しかったか?」
「うん、楽しかったよ。凄くたくさん人がいて疲れちゃったけど」
友人同士でテーブルを囲み、各々食事を口に運びながら取るに足らない雑談に興じる。うーむ、これぞまさしく学校生活。訳の分からん勉強なんぞ糞喰らえ……とまでは言わないが。面白くはないがそれはそれで大切ですとも。
「特にパフォーマンスとかをしてる訳じゃないんだけどボーカルの顔がいいからな、女の子のファンが結構多いんだよ」
「というより半数以上が女性だな。前はそうでもなかったんだが最近になって一気に増えた」
天津飯をレンゲ代わりのスプーンで掬いながら亮二は語る。
「始めは純粋に曲に惚れ込んだファンが大半だったんだけどな。女の子の口コミでボーカルがかっこいいバンドとして広まって、それで一気に人気が出たんだよ。
俺は初期のファンだったから名前が売れたのは嬉しかったけど、その理由が曲以外の所にあるってのは複雑だよなぁ」
「流行は女が作って女が広めるものだしな、仕方ないだろ」
弁当をつつきながら話を合わせると、那佐がそれに続いた。
「だが本人たちはそれをあまり気にしていないようだし、それを受けて安易に路線を変更したりもしていない。周囲は変わっても彼らの曲は変わらない、それでいいんじゃないか」
「うーむ……ま、それもそうか」
「因みに、リョウは何の曲が好きなの?」
桃色の箸をちょこちょこ動かしながらの徹の質問を切欠に、亮二と那佐は曲についての蘊蓄をぺらぺらと話し出した。
徹はそれに対して相槌を打ったり質問したりしているが、ライブに行かず曲を聞いてもいない俺にはさっぱり分からん。
しかし、亮二はともかく那佐がここまで積極的に話すのは久しぶりだな。余程好きなバンドなのだろう。
延々と続くコアな話に辟易してちらりと他所を向く。と、食事の受け渡しの所に出来た集団からはい出てくるちみっこい姿が目に入った。
セーラー服姿のそれはきょろきょろと食堂内を見渡す――いや、あの身長では『見渡す』というか『見回す』のほうが似合うが。
だがこの辺りの時間になると、食堂ホールの半分と壁に沿って並んでいる長テーブルの個人席はほとんど埋まってしまい、6人掛けの円卓テーブルは俺達のようなグループが独占してしまっている状態になる。
料理の載った盆を持ったまま困ったように右往左往する小さな姿。と、その視線がこちらを向いてぴたと止まった。
……困惑に潜められた眉とくりくりした小動物のような円い瞳が、ようやく居場所を見つけたといわんばかりにぱっと輝いた。
とりあえず、関係ないとばかりに目を逸らして会話に戻ってみた。
「先輩の薄情者ーーっ!!」
すると、とてててっと走ってきながら小動物はそんなことを言う。
「知らん、外で芝生にピクニックシートでも敷いてそこで食え」
「小学校の遠足ですか!?」
今日は晴天だから案外気持ちいいかもしれんぞ?
「マサ、その子誰? 下級生に知り合いなんていたの?」
徹がきょとんとした顔で俺に聞いてくる。まあ、俺は部活に入ってないから後輩との関係なんて想像出来ないだろうな。
「おっ、今朝の。トールとナサは知らないよな。この子は……」
と、朝の一件で面識のある亮二が二人に紹介しようとしたところで、
「渡井か、うちの高校に来ていたとは知らなかったな」
「あ、陣堂さん! どうもお久しぶりです」
純は那佐にぺこりと頭を下げ、亮二は『わた……』と言った所で固まった。
「徹、こいつは渡井。俺とマサが通っていた中学の後輩……といっても俺はあまり関わっていなかったが」
「へー、そうなんだ。僕は楢木、宜しくね渡井さん」
「はい、宜しくお願いします」
「……なるほどなー」
そして紹介終了。亮二、お前は何も悪くない。気にするな。
「この時間だと席が残ってないかな? よければ一緒に食べる?」
「すみません、お願いします。いつもは混む前に来るんですけど、今日は授業が長引いちゃって……」
純は俺の隣にカレーの載ったトレイを置くと、よいしょと声を掛けながら椅子に座る。
「うちのカレーに甘口なんてあったか? 給食のより辛いぞ、水汲んできてやろうか」
「どこまで子供扱いしますか! お願いします!」
どっちだよ。
しかしまあ自分から言い出した事なので大人しく水を汲みに行く俺ってば紳士。……突っ込みはいらん。
出入口の横の冷水機からコップに水を汲み、ついでにそのまた隣にある自販機で自分の飲み物を買う。
「おお! 『crazy moonlight』の良さが分かるとは、やるね純ちゃん!」
「渡井です。でも、あの破滅的な歌詞はやっぱり嫌いな人が多いですよね」
「他の曲とは大きく方向性が違うからな。だがその詩の中に潜む生々しい人間性が俺は好きだ」
戻ってみれば純はすっかり打ち解けていて、今度は徹が頭の上に疑問符を浮かべて黙っていた。
「俺のいない間に何が……」
取りあえず純の前に水を置いて椅子に座る。
「どうも、先輩。いや昨日Vectorのライブに行ったという話だったので、それについて話を」
「……ファンなのか?」
「人気が出る前から追ってました。最近はにわかが増えてちょっとあれですけど」
「さよか。それは知らんかった」
意外な共通点だな。しかしそれならこの二人と話が盛り上がるのも分かる。
「まさか渡井がVectorを知っていたとはな。そうと知っていればチケットをやったんだが」
「えっ? 余ってたんですか?」
「そこで冷凍食品と晩飯の残りが詰まった愛の無い弁当をかっ喰らってる男に寸前で予定が入ってなぁー」
「だからお前は俺の母親に喧嘩売ってんのかと」
「そんな勿体ない! それなら私に連絡下さいよ先輩!」
「いや知らんがな」
何をそんなむきになる。大体お前への連絡手段なんぞ無かったわ。
「そうだ、昨日色々グッズを買ったんだけど欲しいのがあったらあげよっか?」
「ホントですか!? それじゃ遠慮なくいただきます」
「え、俺にくれるんじゃないの?」
「野郎にかけてやる慈悲はねぇ」
友情とはかくも脆い物か……!
なんて無駄に衝撃を受けていると、左の方からぼそりと小さな声で
「……僕も話に入れてくれないかなー……」
……あ、すまん徹。すっかり忘れてた。